029⚫️視点を変えると
上り坂と下り坂、どっちが多いと思う?
彼は考えた。
幼稚園に通う道には、ゆるい上り坂がある。
そこから公園までは坂はなくて、角をまがって信号をまた曲がると下り坂。
坂の終わりを左に曲がると、家に戻ってくる。
タダシくんの家に遊びにいくときは・・・。
あれ? あれれ?
さっき下り坂だったのが、上り坂になってる。
あっ、そうかあ!
視点を変えると見方は変わる。
2次元ではグラフのy軸とx軸がプラスの第一象限、両方マイナスな第三象限、第四象限までが視野に入る。3次元では第一象限から第八象限までだ。
次元が上がるごとに、世界を区切る領域の数は二倍ずつ、爆発的に膨れ上がっていく。4次元になれば軸は4本に増え、領域は16個の「ヘキサデカント」へ。さらに5次元、10次元、あるいは最先端の物理学やAIが扱うような1000次元の世界へと進めば、領域の数はやがて理解困難なものとなっていく。
そこは、私たちの脳が決して視覚化することのできない「超空間」だ。3次元の住人である私たちは、互いに直角に交わる縦・横・高さの3方向しか認識できない。しかし高次元の世界では、そのどの方向とも全く新しい角度で直交する「4番目」「5番目」の未知の方向が、無限に付け足されていく。
もし4次元の住人が、その新たな方向から私たちの世界を見下ろしたなら、彼ら彼女らは密室の壁をすり抜け、私たちの内臓すらも直接覗き込むことができるだろう。私たちが紙に描いた二次元の絵を、真上から隅々まで見通せるのと同じように。
次元が無限に増えていく極限の世界において、それぞれの軸がプラスかマイナスかという符号の組み合わせは、もはや天文学的な数の砂粒に等しい。それどころか、無限の軸のすべてが同時にプラスの領域に収まる確率など、数学的にはほぼゼロになってしまう。
上り坂と下り坂の反転に驚いていた小さな視点は、次元の階段を駆け上がるにつれて、完全にその座標を見失う。進むべき方向の選択肢が無限に広がる、その超高次元の深淵においては、私たちが日常でしがみついている上下左右、あるいはプラス・マイナスといった二元論的な区別など、もはや何の意味も持たない些末なことになるのだ。
このように視点を変えれば、概念が変わる。概念が変われば、価値観も見方も感性もまた、変わるのである。そして今、その「常識を超えた視点」が、宮廷の面々に突きつけられていた。
「なんと!これが絵画だと?」
「模様か?いや、模様ではないものもある!」
「山の風景らしきものか?」
「海のものらしいのもあるのではないか?」
「わからん。わからんが・・・これは見ていて落ち着くのう。」
「こっちのは力が湧いてくるようじゃ。」
「これは浮き上がって見える!手をカンバスに入れられそうだ。」
「この女性のほほ笑み、謎めいているぞ。魅力的だ。」
カナタの齎した絵画は、どれも意表をついていた。
レオナルドは描き終え、すべて模写だとカナタに告げた。
だが、南の大陸にはなかった視点で描かれたそれらに、宮廷の誰もが驚きの声をあげた。
レグナスもまた、例外ではなかった。




