弟か、罪のない人か
「……まずは、奴らの逃げ込んだ先が本当に正しいのかどうかだな」
地図を広げ、家族が暮らしていた場所、組織が管理していたエリア、そして警察が把握している情報網──そのすべてを重ね合わせていく。
頭の中で地図が立体的に組み上がっていくような感覚。
だが、条件を一つずつ精査すればするほど、胸の奥に違和感が積み重なっていった。
おかしい……辻褄が合わない。
違和感は三つ。
その一、警察に売ったという“見返り”が不自然だ。
組織の役員クラスなら、金に困ることはない。
家も監視下に置かれていた。
逃げる理由も、動機もあまりに弱い。
「……そんなリスクを負ってまで、奴らは何を得た?」
答えは出ない。
なら、“情報を売った”という前提そのものが誤りか、あるいは誰かが意図的に作り上げた虚構だと考えるべきだ。
その二、警察の保護が成立するはずがない。
奴らは常に組織の監視下にいた。
監視カメラ、張り込み、尾行──ありとあらゆる監視が日常化していた。
その状況で、警察が安全な居場所を用意できるはずがない。
警察内部に組織の者が紛れていることは、当の本人たちが一番よく理解していたはずだ。
それでも“逃げ込んだ”というのは、どう考えても不自然だ。
その三、逃げ込んだ場所が分かった理由が曖昧すぎる。
逃亡したのなら、敵に位置情報を晒すはずがない。
それなのに父は「監視カメラに写っていた」と言った。
そこに最大の違和感があった。
逃亡者が組織の監視カメラの視界にわざわざ入る必要などない。
むしろ避けるのが常識だ。
組織の人間がそんなヘマをするか?
否──ありえない。
だとすれば。
「……まるで、『逃げ込んだ姿を見せる』ことが目的みたいだな」
胸の奥が、冷たいものに引きずり込まれるように沈んでいく。
俺は監視カメラの映像を開き、一コマずつ丁寧に確認した。
光源は斜め右後方。
影は前方へ伸びている。
だが、画面の時計は“昼”を示していた。
昼間なら影はもっと短くなるはずだ。
影、光量、人物の動きの軌跡──
どれも“本物のカメラ”が捉えるはずのものとは一致していなかった。
「……雑な合成だ。あえて分かるように作ってある」
つまり──
これは俺に“気づかせるため”の映像。
「俺を試しているのか……?」
父が本当に知りたかったのは、
『弟を盾にされたとき、俺がどこまで逆らわずに動くか』
そして『真実を知っても、罪のない者を差し出せるか』。
それだけだ。
父にとって俺の忠誠心など価値はない。
必要なのは──“使いやすい駒”。
だから今回の任務は、裏切り者を捕まえる仕事ではなく、
俺の反応を測るための試金石だった。
・偽の逃走情報
・雑に作られた合成
・取ってつけた罪
・わざわざ俺に捕まえさせる段取り
すべてが、「俺がどう動くか」を観察するための仕掛けだった。
二人は裏切っていない。
警察ともつながっていない。
ただ、子供を授かっただけだ。
それなのに父は彼らに“裏切り者”という嘘の罪を着せた。
雑な合成映像も、あまりに不自然な状況も、すべてが示している。
──父は、俺が“真実を知ったうえで”どう動くのか試していた。
・本当は無実
・差し出せば、その後に待つのは地獄
・だが命令に逆らえば、弟が犠牲になる
つまりこれは、
“命令に従うか、良心に従うか”という
最悪の二択を俺に突きつけるための茶番。
俺がどちらを選ぶのか──父はそれを見たかった。
「……そういうことか。親父、あんたは最初から全部見てたんだな」
父は知っている。
俺がどれだけ弟を愛しているか。
弟の存在が、俺を人間として繋ぎとめる唯一の理由であることも。
だからこそ、父の狙いは残酷だった。
“弟の命と、他人の命。
お前はどちらを選ぶ?”
そう問いかけていたのだ。
弟が傷つく可能性があるなら、迷いはない。
敵が誰であろうと関係ない。
地獄に堕ちるのは、俺だけでいい。
「……分かったよ。三人を連れていけばいいんだろ」
罪のない人間だと知りながら差し出すという“選択”を、俺はした。
それが最善ではない。
ただ──弟の命を守るためには最も確実な方法だった。
弟だけは守らなければならない。
俺を人間としてつなぎとめる、最後の存在なのだから。
「……これで満足ですか?」
約束の七時、三人を連れ、父の部屋を訪れた。
三人は状況を理解できていないようで、女は泣き、男は青ざめていた。
「三人は家にいましたよ。普通に」
「ああ、よくやった」
父が言葉を発した瞬間、銃声が鳴り響いた。
弾丸は男の足に命中し、男は呻き声を漏らして崩れ落ちる。
「お前は下がっていい」
父は血の匂いすら意に介さず、猟奇的な目で命令する。
俺は黙って部屋を後にした。
俺は望みどおり三人を届けたが、彼らが無事に戻ることはないだろう。
それでも後悔はない。
弟が無事でいてくれるなら、それでいい。
何を失っても、どんな罪を背負っても。
「……やはり、あいつは弟を選んだな」
「ではご命令通り」
「あぁ、殺せ」
裏で何が画策されているのかも知らぬままに。




