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私はカレンさん ―預言者シリーズ外伝―

作者: 香樹 詩
掲載日:2025/10/15

※本作は『私が預言者?いいえ、ただのインチキ占い師です!』の世界をもとにした短編です。

本編未読でもお楽しみいただけます。

秋を飛び越して冬が顔を見せたような寒空。

何も考えられずに、ただ、ぼぉっと歩いていた。


正面から刺さる冷たい風に、とりあえず羽織っている薄手のコートの前を合わせる。


今日はお店は休みにしよう。

とても笑顔を振りまける気分じゃない。


そう決めたのに、無意識の体は、当たり前に路地裏へと差し掛かる。


気がつけば、通い慣れたいつもの道。

どの店もまだシャッターがかかっていて、夜の賑わいの気配すら感じない。


この物悲しさが、今の心情を表しているようで、ため息が溢れた。


気がつけば、店はもう目の前。


ここでようやく、日常を繰り返していることに気がついた。


やけに虚しくて、またため息が漏れた。


冷たい空気に混ざるように、微かに響く音。


それは小さくて、弱くて、今にも消えそうで。


足を進めるたびに近づくその音が、鳴き声だと気がつくまでに、少しの間があった。


こんなに弱々しい鳴き声を聞いたことがなかったから。


足が前に進むたび、近づく鳴き声。


勝手口のすぐ傍の、空き瓶ケースの隣。


見慣れぬ小さな籠。


胸騒ぎは確信に変わる。


籠の中の小さな命に、手が震える。


呼吸さえも、ままならない。


あぁ……なんてこと。


この寒空の中、産着と掛け物一枚なんて。


感覚をなくした指で、スマホを動かす。


警察と救急車。そう思って番号を押すけれども、

誰もが知るその番号が、出てこない。


必死の思いで繋いだ電話。


焦りすぎて、要点のまとまらないSOS。


それからすぐに、警察と救急車が到着した。


籠の中の子は、女の子だった。

生まれて数日の、臍の緒もまだ乾かぬうちに捨てられた新生児。


搬送先の病院でいろいろと検査して、何も問題がなかったことに安堵して涙が溢れた。


あの日から毎日、時間を見つけては、ガラスの内側で力強く泣いている女の子に会いに行く。

いつも飽きるまで眺めて、聞こえないのに声をかける。

「またね」って。


今日は珍しく起きていて、自分の右手を必死に口元に運んでいる。

その仕草が愛らしくて、ガラス越しに言葉をかけた。

「ねぇ、お腹が減ってるの?」


「抱っこしてみますか?」

周りが気にするくらい、かじりついて見ていたのだろう。

背後から、顔見知りの看護師さんが尋ねた。


戸惑って、最初は断ろうかと思った。

でも無性にその温もりに触れてみたくなって、気づけば頷いていた。


初めて抱っこした、小さな命。

柔らかで、壊れそうで、ミルクの匂いがして。

左腕に抱いたその子の手の近くに、そっと自分の右の人差し指先を近づける。


キュッと小さな手が、大きな指を握りしめた。


まるで、離れないよって言われたみたいな感覚がして、無性に愛おしく感じた。


後で知った『把握反射』。


赤ちゃんなら、どの子だって同じことをするだろうと。

でも、あの時はただ、その温もりが嬉しかった。


信じた人に裏切られ、さよならと言った日。

それが、この子と出会った日だった。


誰も引き取り手のいない、女の子。

何も知らない顔をして、今日もガラスの内側でスヤスヤ眠っている。

誰かの話し声が聞こえた。


「このまま引き取り手がいなければ、施設に入るそうよ」


あぁ、もう会えないのか……。


想像して、胸の中が冷えた気がした。


一晩、また一晩と、あの子のことを考えると眠れない日が重なる。


あぁ、離れたくない。


心が決まれば、後は動くのみ。

朝日が昇り、通勤時間の終わりを待って、向かうは児童相談所。

その日のうちに、女の子の保護者になりたいと申し出た。


それからまた、同じ日々。

時間を見つければ、あの子の元へ。


新しい年が始まって数日、ようやく降りた短期委託。


言葉にならない安堵と高揚感。

寒空さえも心地よく感じて、跳ねるように歩いた。


迎えに行った日、この腕に抱いた重みに約束した。

何があっても守るから。

「これからよろしくね、真希ちゃん」


心から、真に希んだ女の子。

これからに思いを馳せて、楽しいことばかりが頭をよぎった。


過ぎゆく日々は駆け足で、今日が何日の何曜日かさえ曖昧で。

それほどに現実は、想像を絶する過酷さ。

シンクの中の重ねた食器、干すだけ干した洗濯物。

飲みかけのコーヒーは、すっかり熱を失っていて、もう飲む気力さえ湧いてこない。


それでもこの子だけは、しっかり育てないと。

誰にも後ろ指を刺されないように。


その思いだけで突き進んできたけれど――


どうして、今日は泣き止まないの?

オムツ? ミルク?

どちらも試した。

眠いの?

もう三時間も抱っこであやしている。


蓄積された疲労と睡眠不足は、思考を奪い始めた。


真希ちゃんを抱いたまま、とぼとぼ歩く朝の商店街の裏通り。


「あら、カレンさん。まぁ、真希ちゃんも」

優しい笑顔で歩いてくるのは、この商店街を取り仕切っている佳子さん。

大学卒業後に勤めた会社を辞めて、いきなり飛び込んだこの業界。

一番お世話になった人。

店を出すって言ったら自分のことのように喜んでくれた人。

真希ちゃんを引き取りたいと話した時、周りで唯一反対した人。


「考え直した方がいいよ。あなた一人で抱え込むには荷が重すぎるから。かわいい、可哀想だけじゃ、子どもは育てられないの」

そんな言葉に、私は自ら距離を置いた。


「あらあら、どうしたのかな? おねむさんかな」

真希ちゃんに話しかけながら、両手を出してきた佳子さん。

「ほら、ばあばにおいで」って。

さっと抱っこして、真希ちゃんの背中をポンポンとあやす手慣れた動き。


「うちの子たちの小さな頃を思い出すわ。あら、真希ちゃん、可愛いお洋服ね。髪の毛も綺麗に整えてもらって、いいね」

軽く揺らしながら、真希ちゃんに話しかけている佳子さんの腕の中で、ようやく泣き止んだ。


「カレンさん、愛情いっぱいに育ててるのね。頑張ってるね」


その言葉に、限界だった心と体が反応する。


堰を切ったように溢れ出す涙。

孤独と闘ったこの二ヶ月。


親になることを望んだはずなのに、この子の幸せを望んだはずなのに……

徐々に上手く回らなくなった日常に、焦燥感だけが膨れ上がっていった。


……こんなはずじゃ、なかったのに。

……毎日ニコニコ笑って過ごすはずだったのに。


ショーウィンドウに映る、表情の抜け落ちた顔に、ギョッとした。


「カレンさん、私、今日暇なのよ。1日、真希ちゃんと遊んでるから、ちょっと休んでおいで」

優しく言って、真希ちゃんに「ばあばと遊ぼうね」って話しかけている。


真希ちゃんが来てから、初めての一人。

ただ何をするでもなく、自宅の散らかった部屋をぼーっと眺めてた。

ソファの洗濯物を一旦床に下ろして、横になる。


気がつけば、二時間が過ぎていた。


ぐっすり眠った頭は、いつになく気分が冴えている。

窓を開けると、また冷たい風が吹き抜ける。

徐に始めた部屋の片付けは、昼前には終わった。


軽くお腹が鳴った。

ふと過ぎる……真希ちゃん、お腹空いてないかな。


とりあえず顔を洗って、身だしなみを整える。

いつぶりだろうか、メイクなんて。


お店に出る時のような派手な服は選ばず、簡素なワンピースにコート。


昼は久しぶりにカフェでも行こうと、家を出た。

すれ違う母と小さな男の子。

公園の遊具で一緒に遊んでいる父と娘。


目に入ってくるのは、親子ばかり。


行きつけだったカフェでランチを注文する。

ほとんど見ていなかったスマホのSNS。

あんなに日常的に見てたはずなのに、面白さを感じなかった。

気がつけば読んでいるのは育児コラム。

そんな自分に、くすっと笑みが溢れた。


出てきたランチを食べながら、このかぼちゃのポタージュ、離乳食にアレンジできそう。

そんなことばかりが、頭をよぎる。


夕方まではまだ時間があるのに、もう落ち着かない。

早くあの子に会いたい。

気がつけば、佳子さんの家の目の前にいた。

チャイムを鳴らすと、真希ちゃんを抱いた佳子さんが笑った。


「あらあら、すっかり親の顔してるわね」


真希ちゃんがこっちを見た。

あぁ、化粧してるからわからないかぁ。

そう思って、真希ちゃんって呼ぼうとした時、


真希ちゃんの口が徐々に“への字”になっていく。

大きな目には涙が溜まってきて、短い手を必死に伸ばして「うぁー」と声をあげて泣き出した。


さっと腕に抱くと、小さな手が胸元を掴む。

離さないよって言われているようで。


「ちゃんと、誰が親なのかわかってるのね。あなたの愛情が確かな証拠よ。

子育ては、完璧じゃなくていいの。

ありのままで」


小さな背中を、ポンポンっと刻むそのリズムに。

薄れゆく鳴き声。

気がつけば、微かな寝息と穏やかな顔。


その顔を見たら、何かが剥がれ落ちた気がした。

あぁ、ありのままの自分でいいんだと。

そう、私でいいんだと。


軽くなった心で、寝てる真希ちゃんに話しかける。

「真希ちゃん、私があなたの親になるの」


月日は流れて、真希ちゃんは小学生になった。

一緒に帰ってきた友達が、私を見て首を傾げる。


「真希ちゃんのお母さん? それともお父さん?」


あぁ、なんて答えよう。

ちらっと真希ちゃんに視線を送ると、いつものようにニコニコと笑ってる。


そしてはっきりと、当たり前のように言った。

「カレンさんだよ!」って。


あぁ、この子にとって私は私。


そう、私はカレンさん。


お読みいただきありがとうございます。

この作品は、『私が預言者?いいえ、ただのインチキ占い師です!』の前日譚にあたります。


コメディ調の本編とは少し違い、

カレンが自分を取り戻していく“静かな時間”を描いてみました。


本編をご存じなくても楽しめますが、

よければシリーズ本編も覗いてみてくださいね。

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