第2話「ムチと王子」
学園2日目。
昨日はああいう事があっていたたまれなくなってすぐ寮に帰った。
売り言葉に買い言葉とはいえ入学早々騒動を起こして、しかも相手が王位継承者第一位の王子である。不安は朝になっても溶けなかった。
いくら私の家が貴族とはいえ、平均的な格の私の家じゃその威光や庇護はないに等しい。
王族の権力を持ってして私への嫌がらせとかあるんだろうか。
私だけならともかく、弟のニコルを巻き添えにしたくはない。
弟のニコルは「大丈夫ですよ姉様」と言っていた。
なんでも公衆の面前で行った決闘なので噂が広まるのは仕方がないにせよ、女性に負けたという理由で嫌がらせでもしようものなら、それこそ王子の格を疑う声が出かねない。それに…。という。
それに…ってなんだろう。物凄く気になる。ニコルのニヤリとした顔だけが忘れられない。
本格的な学園生活は始まった。
一般的な教養がほとんどである。歴史、数学、それに自由選択式の隣国の言語学。まあ、色々あるけどあとは武術の訓練があるからだろうか。
ダーニエッタ王国は隣国に囲まれる様に位置しているので、隣国との友好や連携は非常に大事である。
だが、違和感を感じ始めたのは授業が始まった頃からだった。
私の隣の席に座る人がいない。
授業後に分からない事を質問しようとしても、忙しいからと避けられる。
そして1日の授業が終わったのであった。
やってしまった…。これが私の感想である。いくら私の家を侮辱されたからと言って、よりにもよってあの王子に喧嘩を打った挙句に運良く勝ってしまったのだ。
「あの女だぜ、あのクリス様を一撃で屠ったとかいうやつは」「なんでも見た事もない技を使うらしい」「妖術か?」「魔術か?」など根も葉もない噂を言いたい放題だし、女子からも避けられてる気がする。
噂は噂を呼び、私を腫れ物扱いする人が多い。
教室内、学食、中庭、色んな所で積極的に主に同級生に話しかけてみるが、忙しいのでと明らかに避けられている。
中庭で休憩してるのに忙しいも何もないだろう。
不自然さはあった。
私の縄なんて大した威力があるわけでもないのに、奥義とはいえたったの一撃を与えただけでクリス王子はその後縄がとけても私への反撃を試みなかった。
「もしかして手加減してやるって言ってたのは本当の事だったのかも…」
私は深くため息をついて机に突っ伏した。
それからさらに2日後、おかげで入学から三日間、友達が一人も出来ない状態である。弟のニコルは喜んでるけど、これから私の学園生活どうなっちゃうの…?
私は机に突っ伏したまま、泣きそうになっていた。
妖術とか魔術とかこの世界にあるわけないし、たまたま私の技がたまたま王子に決まって、たまたま勝っただけよ…。しかも、最後に王子が何か言ってたけど記憶がないし…。ホント、どうしよう…。
うん!でも、人の噂も七十五日!耐えれていればそのうちきっとお友達もできて普通の学園生活を送れる様になるわ!
私はそう思い直し、机から立って帰宅の途についた。
が、それからしばらく立っても私への好奇の目は向けられたままだった。
しかも、好奇の目の中に他の視線を感じずにはいられなかった。
授業中以外の全ての時間、廊下を歩く時、学食でご飯を食べる時、中庭で休憩している時、とにかく至る所で好奇の目とは違う強烈な視線を感じずには居られなかった。どうも視界の端に金髪と碧眼が写っている気がするけど、完全に気取られる所まではいかない。
強烈な視線を感じる時に、瞬間的に振り向いてもすでにそこにはいないのである。相当な手だれである。怖いよう。ストーカーじゃなきゃいいけど…。でも、私なんかをストーキングする物好きなんかいるのかな?やっぱり私の勘違い?
その物好きのストーカーはひたすら草葉の陰で苦悶していた。金髪碧眼のその男は
「くっ、あれからあの女の事が忘れられない…いや、ひと時もあの女の事を忘れる事が出来ないッ!」
唇から血を流しながら金髪碧眼の男は震えていた。
「ダーニエッタ王国、王位第一継承者である第一王子の私がこんなストーカーまがいの事をしてしまうなんてッ。違う、これはストーキングじゃない!これは…そう、学友を馬鹿にしたあの女がまた悪さをしないかどうかを気にしているだけだ!」
ふっと張り詰めた気がとけて、俯いた瞬間、
「ああ、またあの技をくらいた……」
「な、何を言ってるんだ私は!また負けたいと思っているのか!?あの公衆の面前でまた恥をかきたいとでも!?あああああああああ自分が分からないィィィィィ」
クリスはひたすら頭を掻きむしった。
2日後、お互い目の下にクマを作った状態のまま、キャンドルとクリス王子は校舎の曲がり角で出会した。
「「わっ!」」
お互いに驚き、後退る。
「なんだかお疲れみたいですね、王子様」
「ぐぐぐ偶然だな、君もな」
「何かお悩み事でも?」
「ギクっ!いいいいいや、ななななナワいやなんでもない。なんてこともないだ。君が気にすることじゃない。そちらこそ悩み事でもあるのでは?」
「私は…えっと…お友達とストーカーが…いやなんでもありませんわ。クリス様にはご関係のない事。この前の」
「この前の!?」
「え…?どうかいたしました?」
「い、いやなんでもない。ハァハァ」
クリス王子、また疲労による息切れとは違う息切れをしてる。体調でも悪いのかな?
「こ、この前の事も結果が出たら遺恨なしという事でお約束もしたはずですし、私が王子様に勝ったとも思ってません。あれは本当にたまたまの偶然なんです。王子様が気になさることではありませんわ」
「そそそそうだろうな、私はけして負けてはいない。そう、勝ちとか負けとかそんなものを遥かに超越した大切な縄と俺のなにかが…」
「クリス様が何をおっしゃっているのかよくわかりませんけど、風紀委員のお仕事でお疲れになっているのでは?聞きましたわよ。初日で風紀委員からスカウトされたって…。流石クリス様ですわ」
「そそそそそそう、風紀委員の仕事が思いの外忙しくてね」
「でしょうね、なんだか私がどこに行ってもクリス様をお見かけしているような気がするのもそのお仕事のせいでしょうし、私の周りを徘徊してるなんて、そんナワけないでしょうし」
「縄!?!?!?!?」
「ク、クリス様!?」
「いいいいいや、なんでもない。気にしないでくれたまえ。とにかく!私はこの前の決闘に関しては気にしているが気にしていないので君も安心するといい。約束通り遺恨も残してない。未練は残っているが」
…やはりクリス王子が何を言ってるのかさっぱり分からない。
急いで去ろうとしたクリスを私は引き留めた。
「あ、クリス様、最後にお尋ねしたい事が」
驚いた顔で振り向くクリス王子。
「な、なんだ?縄か?ムチか?」
「…は?…あのえっと…クリス様はこの間の件で最後に何をおっしゃってたのか記憶にありませんの…。申し訳ないのですが、もう一度お伝えいただけませんか?」
(何ィ!)
王子の心臓がドキンとなった。
正直あのセリフを吐いた時は自分がどうかしていると思ったからだ。
この世界の貴族には階級という物はないものの、暗黙的に格付けみたいなものは存在している。
キャンドルのいるクイットネス家はけして下位の格付けではなく、全く中の中なのだが、資産背景を探っても不明瞭な収入があり、家の格の割には裕福な家なのだが、それでも王族が求愛する程の格付けの家ではない。
(そう、俺の気の迷いだったのだ…)
クリスはそう思って「なんでもない」と言って立ち去るつもりだったが、去り際に見えてしまったのだ。キャンドルの腰に据えた長尺のムチが。
「はぅあっ!」
「はぅあ?」
クリスは思わずキャンドルの身体を壁に持っていき、キャンドルの顔の近くを手のひらで壁をドンと叩いた。
「キ、キャンドル・クイットネス、俺の女になれ!」
「エッ…!!!」
私は思わず頭が真っ白になった。
今クリス王子の彼女になれって聞こえた気がしたけど…。
嘘、第一王子よ? 四天王と呼ばれる超美形な方よ!
「あ、あの…私をからかうのも…」
「やっぱり虫が湧きましたね」
突然背後から弟のニコルが顔面暗黒顔で現れた。
「こ、この子供またしても虫などと…」
「だっておかしいじゃあないですか、クイットネス家は王族とはとても不釣り合いな格付け、なのにどうして姉様に近づくのです?」
「そ、それは…あの…」
「率直に申し上げましょう、王子。本当はあなたは姉様の本当の魅力に気がつき始めているのでは?」
「ぐっ」
「それに私が何も知らないとでも?」
ニコルはクリスの耳元に近づき、キャンドルに聴こえないように、
「あなたがここ数日間、姉様をストーキングしているのはわかってるんですよ。尾行する者は尾行を気にしないってね」
「ま、、まさか二重尾行…!?」
「フッ、まだまだ修行が足りないようですね、王子殿。この件を世間にバラされたくなければ、ここは取り敢えず身を引いてください。姉様の真の魅力に気がつく前に、ね」
ニコルは勝ち誇った顔でクリスを見上げた。
「わ、私は諦めないぞ、そうだ君」
クリスはキャンドルの方に向き直った。
「もう一度君に聞きたい事があるのだ」
「な、なんでしょう?」
「きみの名は(ナワ)?」
「は?……前にも申し上げた通りキャンドル・クイットネスですが…それにさっき私の名前を呼んで」
クリスは颯爽と真紅のマントを翻して去っていった。
物凄くうまい事を言ってやったかの様なドヤ顔をして。