第1話「ムチと私」
結果から言おう、私はトラックに轢かれて死んだ。
ベタベタな死に方である。こういう展開は主人公を轢いてしまったトラック運転手が不憫であるが、轢かれる瞬間のスローモーションで運転手が片手に酒の一升瓶を持っていたので、同情に値しない。せいぜい交通刑務所で罪を償ってほしい。
で、その後の私はどうなったかというと、地球の中世ヨーロッパに近い世界観の異世界に転生した。この展開もなかなかのベタベタな展開だ。
途中で神とか天使とかそういう存在には出会わなかった。
私の居る国は世界でも有数の勢力を誇るダーニエッタ王国であり、言語は地球上のどの言語にも似てないが、あえて言えばドイツ語に似てる気がする。
私はその国のそこそこ裕福な貴族の家に生まれ、父と母と兄と弟が1人づつ。女は私1人だけ。名前はキャンドルと名付けられた。キャンドル・クイットネス。現在15歳。器量は前世と同じでなんとかギリギリ平均に届くかどうかで、前世の時と変わらない。神様もどうせ転生させるんならもっと美人にしてくれれば良かったのにって思う。前世の記憶はそのままである。
父も母も特に良くも悪くもなく、どちらかというと良い方かなとは思うので、境遇はけして不遇ではなかった。
父がどちらかと部屋に籠り気味という点を除いては特に不満はなく、教育も外部から先生を呼んで勉強させてくれた。武術の方はなぜか父は「女に剣や槍を持たせるわけにはいかない」とよくわからない理由でムチの修行をひたすらさせられた。この世界に魔物はいないけど、こんな殺傷能力の低い武器をひたすら鍛えられて何になるのだろうと疑問に思ったことは多々あるが、父の命令に逆らうわけにもいかずとりあえずムチの能力は自分で言うのもなんだけど結構それなりの腕だと思う。
そして15歳になった私は、ダーニエッタ王国の首都にある、王族や貴族が通うローズエッタ学園に通うようになった。
ここの学園は特に変わった所はないのだけど、一つだけ他の学園と違うところは寮に1人だけ従者を付ける事ができる点だ。従者専用の部屋も隣に用意されている。
私は家のメイドの1人を希望したのだけど、13歳の弟のニコルがついていくとがんとして聞かず、渋々認めることになった。まあこの子やけに賢しいし、問題はないだろう。昔からやたら私にベタベタしてきていたし。
私は前世でアニメがそれなりに好きだったので異世界転生モノもそれなりに観てきたので、実際に私が異世界転生することになっても、割と冷静でいられたのはラッキーだった。ただ、前世でゲームは一切しなかったので、ここがゲームの世界なのかどうかはわからない。悪役の貴族令嬢でなければいいんだけど…。
ちなみにステータスオープンと言ってみたけど、別段何も起きなかった。
人の噂とは早いもので、すぐに入学式を終えたばかりの私の耳にもとある噂が入ってきた。
この学園の今年入学の1年生には早くも四天王と呼ばれる男子がいるようだ。
1人目はこの国の第1王子であるクリス・ダーニエッタである。金髪碧眼の超美形で、首席ではないにしろ勉強が出来るようで、武術の腕は相当なものらしい。
2人目はエドワード・ファング。王子のクリスと双璧をなすとも言われるほど武術に優れているがやたらと喧嘩っぱやいらしく、入学式でも問題を起こしていたらしい。そういえばなんか途中で騒がしかった気がする。でも勉強の方もかなりデキるらしい。人は見かけによらないものだなと思った。まだエドワードの姿を見た事ないけど。とりあえずクリス王子に負けず劣らずの美形だって聞いてる。
3人目はダリル・ベンジャミン。名前にベンの文字が入ってるだけあって勉強が相当デキるらしく、首席入学はこの人だったらしい。
そういえば入学式の時に壇上で挨拶してたっけ。遠目から見ただけだけど、遠目からでもわかるくらい美形のメガネ男子だったと思う。この人は武術はからきしみたい。細めの見た目通りの人だ。
最後の1人の4人目は名前すらわからない。余程四天王の中で最弱なんだろうか。
入学式が終わってとりあえず校内を見て回る。中庭に大きな噴水や花壇があり、その中庭を囲うように正四角形の校舎が建てられている、入学するのも難しい王国一の学園のくせになんの変哲もない建物である。
「姉上様」
中庭で突然弟のニコルが私に話しかけてきた。
「なに? ニコル」
ニコルはすっと視線を落としてこう言った。
「ご安心ください。姉様に付こうとするハエどもは全てボクが排除してみせます」
「な、何言ってるのよニコル!」
「姉様の純潔は必ず守ってみせますよ」
(だって姉様はボクだけのものだから…)
「じゅ、純潔って、ちょっと、ニコル!」
私は慌てふためいた。私のようななんとか平均値に届くかどうかの顔で男が寄ってくるわけがない。特に超絶美形と呼ばれる四天王に至っては関わる事すらないだろう。彼らの前では私など空気でしかないに決まってる。
だが、この弟の一言が仇となった。
「ハエ…だと」
声の主の方を見る。
金髪碧眼超絶美形……間違いない、この国の第1王子であるクリス王子である。早くも何人もの女性たちがクリスを取り巻いている。
クリス王子は続けて言った。
「これから3年間互いに切磋琢磨して勉学や武術を学ぼうとする学友達をハエ呼ばわりとは品格を疑う。その男の子は君の従者だろう?一体どういう教育をしているのか、甚だ君の家柄の気品を疑ってしまうな。訂正したまえ。それともその従者だけがたまたま品性がないだけか」
ぐうの音も出ないほどの正論である。がここまで言われては貴族の名がすたる。
「お言葉ですが、クリス王子。確かにハエ呼ばわりは申し訳ございませんでした。この点についてはお詫び申し上げます。ただ、王子もお言葉が過ぎないでしょうか?この従者は私の弟ですし、私の家を侮辱されては貴族の家の人間として引くに引けません」
「ではどうしろと? 私に頭を下げろと?」
「いいえ?その剣を抜いてください。1対1の決闘を申し込みます」
周囲にいた人間たちがドッと声を上げる。
あの王子に喧嘩をうったやつがいるぞ、しかも女だ、など色んな声が聞こえてくる。正直私はすでに膝が震えている。
私と王子を中心にひとだかりが円形に出来上がる。私はニコルに下がる様に言った。
「これで今後遺恨のないようにしましょう」
「ふむ…いいだろう。正直女相手に剣を振るうのは気が進まないが…手加減はしてやる。それに真剣は使えないからこれを使ってやろう」
クリス王子は腰から木製の剣を抜いた。
え!?この人木製の剣なんて持ってた?さっきまで普通の剣しか腰に刺してなかったよね?しかも鞘すらなかったよね?どうなってるの?異次元?
クリスはキャンドルの腰を見る。異常に長いムチを腰に据えている。通常の2倍以上はあるだろう。こんなもの戦闘に向いているとは到底思えないし、とてもムチの軌道を制御できるとは思えない。大振りの一撃をかわして一度接近してしまえばそれで終わりだろう。
クリスは木製の剣を構えた。
「私もこのムチは使いません。模擬戦で使っていた縄を使います」
私の腰からも、今日は持ってきていなかったはずの縄が突然現れ、あらかじめて持ってきていたかの様になっていた
。やはりこの世界、ゲームの世界なのでは?
「ステータスオープン!」
……やはり何も起きない。
「ス、ステータス…?」
クリス王子は戸惑っている。
「い、いいだろう、こちらから行くぞ」
私の心臓は爆発するかと思うほどドキドキしていた。剣術の腕も1流と言われるクリス王子にまともに戦って勝てるわけがない。少し決闘を挑んだことを後悔した。こうなったら、最初から血の滲む訓練で得た最終奥義を最初から使うしかない。これが通じなかったら私の負けは確定だ。
私は縄を体操のリボンの様にクルクルと回す。
うおぉぉぉぉ!
クリス王子の雄叫びが響き渡る。手加減をするとは言ったものの、手を抜いてくれるわけではなさそうだ。
凄まじいスピードで私に向かってくるクリス王子。
私はかろうじて目はついていってる。なんとかこの縄の間合いに入り、タイミングさえ合えば…!
祈る様な気持ちでクリス王子の動きを見る私。
王子の動きは直線的だ。
ここ!だ!
私は縄をクリス王子に放った!
瞬間!
クリス王子の身体全体に菱形が連なる様に縄が巻かれ、そして両腕両足が後方に縛られた!
王子の持っていた剣がカランと音を立てて地面に落ちる。そして、王子の体は宙に吊るされる様な形になった。
王子を縄で吊るせる様な物はなかったはずだが、きっと亜空間があるのだろう。
「な、なんだこの技は…!見たことも聞いたこともない!だが、縛られているのにも関わらず痛くないどころか身体全体を包み込むこの不思議な模様が肉体にではなく、精神に届く!不快どころかむしろ心地よ……いや、何言ってるんだ俺は!!!」
私は吊られた王子を背にして片膝を地面につけたまま、しゃがんだ姿勢のままピンと張り詰められた縄を握りしめ、
「クイットネス家奥義……
Diamond Dust!!!」
そう言い放った瞬間、私は張り詰められた縄を空いた左手の人差し指でピンと弾く。
「はぅあ!!!!!!!♡♡♡」
クリス王子は今まで15年間生きていて出した事のない声をだした。
屈辱の様な甘美の様なよくわからない感情が電撃の様に全身と頭を駆け巡る!
「こ、この技はやはり精神を侵す技なの…か…」
クリス王子に仕掛けられた縄が解けた状態でどさりと地面に落ちる。
私は王子に背を向けたまますくっと立ち上がり、顔だけをクリス王子へと向けて奥義をキメた後の決め台詞を吐いた。
「You wanna be Nawa!」
ハァハァという声を出したまま、クリス王子はその場から動こうとしない。
周囲の人間がどっと湧く。
「すげぇ、あの女やりやがったぞ」
「あ、あのクリス王子を一撃で!?」
「しかもなんだあの技は!見たこともないぞ!」
王子はまだ動けない様だ。
(なんだか息切れのそれとは違うハァハァという声をたててるような気がするけど…)
しまった、やり過ぎたか。
私は思わず王子の元へ駆け寄った。最終奥義は流石に武術に長けた人物とはいえ厳し過ぎたのかもしれない。
「お、王子、だ、大丈夫ですか?」
私は王子の上半身を持ち上げる。流石に鍛え上げられた良い肉体をしているのは、服越しにでも分かった。
……トゥン♡
クリスの胸の中で何かが鳴った。
王子は虚ろでいてそれでいて潤んだ目と頬を赤らめたまま、私にこう言った。
「私の女になれ」