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まよいがの住人  作者: ねむのき新月
第二章
8/18

憑き物

 喜助は風呂焚きの仕事を終え、帰宅した。


 八栄は最後に湯をもらったあと、富の女中部屋で縫い物を教わっていた。

 今日の仕事はすべて終わり、住み込みの使用人も就寝までは自由時間である。

 富は近頃はじめだした編み物に集中しながら、口を動かす。


「まったく、奥さまにも困ったものよ」


 狐憑き云々の一件は、さすがに富も腹に据えかねたようだった。

 襦袢に半襟を縫いつけながら、八栄はそれを聞いていた。


「狐だって落とせばいいんだし、嫁入り先は佐藤さんがいるじゃないの、ねぇ? そりゃ、いまはまだ学生さんだけど、将来有望。お嬢さまは見る目があるよね」


 八栄は必死に笑い返した。


「お似合いですよね、佐藤さんとお嬢さま」

「あたしもそう思うよ。佐藤さんが、もうちょっとがんばればいいのに。お嬢さまだって、佐藤さんを好いてるんでしょ?」

「……あんまりはっきりとおっしゃったのは、聞いてことがないんです。でも佐藤さんがお見えのときは嬉しそうで、先生だけのときはちょっとがっかりした様子でした」


 ほんの些細な変化とはいえ、そう思って見ていれば目に入る。真希は間違いなく遼太郎に好意を抱いている。遼太郎のほうとて一目瞭然だ。

 けれど真希は、確証が欲しかったに違いない。




 あのとき、真希は少しだけ後ろめたそうだった。


 ――コックリさんよ。知らない? なんでも教えてくれるの。本当は三人必要なのだけど、ふたりでもできるかもしれないでしょう。お願い、八栄。手伝って。ね?


 拝むように合わせた、滑らかな白い両手。八栄はがさがさに荒れた自分の手を、そっと袖に隠してしまった。


 ――聞きたいことがあるの。本当のことを知りたいのよ。とても大切なことなの。学校ではなかなかこんなこと聞けないし……。


 そう言って準備したにもかかわらず、真希は何も尋ねはしなかった。


 ――教えておくれ、本当のことを。


 しかしそれから先の言葉が続かず、結局、支度した道具はそのまま片づけてしまったのである。


 真希の身に入る何かを見たのは、その寸前だ。




 驚いたものの、真希本人は何も気付かずけろりとしていたから、見間違いだと思った。口にすることもないと思った。


 けれど翌日には、真希は床から起きあがることができなかった。


 真希が聞きたかったのは、遼太郎とのことなのだろう。女学生のあいだでは近頃恋愛小説が流行っているというから、それに少し感化されているのかもしれない。


 遼太郎と真希のことを思うと心が痛かったが、恋というほどのものではないと八栄は考えていた。

 そもそも八栄には、いまひとつその感情は難しかった。好意を持ったひとはいた。親切にされれば、そのひとを好きになる。けれど恋愛ではないのだろう。

 だからたぶん、遼太郎のことも恋ではないのだ。八栄はそう、心を押し隠した。よしんば恋だったとしても、叶うはずもない。

 母の恋と同じ。


 母はひとりで八栄を育てた。それはつまり父に捨てられたのだと、成長し周囲から漏れ聞く話で理解していた。直接母に聞くにはまだ幼くて、でも母は父を恨んではいなかった。素敵なひとだった、と幸せそうに語った母の顔を覚えている。

 それでも、親族の目も近所の目も、突き刺さるようなものだったろう。それを跳ね返すために人一倍働いて、体を壊し亡くなってしまった。


 母の言葉を信じるならば、母は幸せだったのだ。

 八栄には、わからなかった。

 八栄が父に関して知っているのは、その名前だけだ。父の顔さえじかに見たことはない。結婚直後に父は亡くなったことになっていたが、それは世間体を考えての方便であり、そうではないことぐらいみな知っていた。


 八栄の母――(よう)は、とある屋敷に二年ばかり奉公に出て、戻ってきたときには赤子――八栄を連れていた。

 父に会おうとは思わなかった。涙の対面や謝罪など、期待するほど八栄はおめでたくなかった。蔑むような眼差しを向けられるくらいなら、いっそ会わないほうがいい。

 そうやって何もかもを避けてきた。

 

八栄は逃げることでしか、自分を守ることができなかった。

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