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まよいがの住人  作者: ねむのき新月
第二章
7/18

夢の外

 見えたのは天井だ。

 飛び起きることこそしなかったものの、しばらく身動きができないほど動揺していた。


「ゆ、夢。夢よ、そうよ。やっぱり、夢だったんだわ」


 だからこそ、不可思議な存在、見慣れぬ部屋、乱暴な口調の美少女。唯一面識のあった童女は八栄にしか見えない存在だ。そしてその童女のことを、あの少女はわかっていた。


「あたし、寝てたんだもの」


 それにしても、このところ案じていた件が見事に出そろった夢ではあった。

 だが世間には夢のお告げという言葉もあるというのに、真希の病状改善のための劇的な収穫はなかったように思う。

 八栄にとって、自身の人生が思うに任せないように、夢さえもままならないらしい。

 それでも気分がすっきりとしているのは、誰にも言えなかった不満を吐き出したからだろうか。


 八栄は自分の体温で温かくなっている布団の中で、寝返りを打った。

 そして脳裏をよぎるのは、いまの真希は寝返りさえ打たない、ということだった。


 真希に対して、八栄は出来る限りのことはしているつもりだった。

 遼太郎からあずかったお札――神社の名前と二匹の犬が向かい合っている姿が描かれていた――は、ちゃんと真希の枕の下に置いておいた。これで少しでも快方に向かってくれればいいと、願っていた。

 真希は静かに胸を上下させ、ただ横たわっている。

 あんな状態の真希に、いったい何がしてやれるのだろう。


(何もできない……)


 情けなく思ったものの、自分に嘘をついていることを知っていた。八栄は自分にしかできないことを、教えられないことを、知っているのだから。

 真希は助けてあげたい。でもいまの生活を失いたくはない。

 天秤にかけるべきでないのはわかっている。真希の命がかかっていることなのだ。

 それでも、八栄は悩まずにはいられなかった。


 周囲の明るさと居間のほうで鳴ったぼんぼん時計の音の数に、八栄は重い心に蓋をして、一日を過ごすべく身支度をはじめた。



 ◇ ◇ ◇



 不思議な夢を見た翌々日のことだった。


 真希の様子は変わりなく、三度の食事は重湯だけだ。食事の世話は、必ず智津がする。身を清めるのは智津ひとりでは無理なので、八栄が手伝うのだが、それもともすれば富に頼みがちになる。

 日に日にやつれていく真希の目が、八栄を見るときだけ獣のような光を宿す。

 それに気づいた智津は、冷ややかな態度を隠さなくなっていた。智津はひどい主人ではない。家事について富には意見を仰ぐこともあるし、それなりに尊重している。


 しかしこの三年、何度思い返しても、八栄のことをまっすぐに見たことがなかった。


 もともと多くはなかったが、智津は八栄に最小限の言葉しかかけなくなっていた。

 他と比べればどれほど幸せな奉公先だろう。けれど、誰と比べて、どこと比べて、どれほど満足を得ればよいのだろう。

 求める心は貪欲だ。

 八栄はそんな醜い思いを、必死に胸の奥底に沈めた。


 智津は針仕事が得意で、縫い物をよくする針女中を置かない理由もそこにあった。

 手が空くと富も裁縫に勤しみ、心得のなかった八栄はふたりに師事しながら着物を縫い上げる術を覚えた。

 三人で縫い物をしている最中に、富がおずおずと智津をうかがった。


「あの。お嬢さまは、狐に憑かれているのではないでしょうか」


 智津は手を休めることなく、静かに応じる。


「馬鹿も休み休みおっしゃい。真希は病ですよ。医者に診せれば治ります」

「でも、お医者さまには診ていただいたじゃありませんか。原因がわからないだなんて」

「もっと腕の良いお医者さまを探しています。狐憑きだなんて馬鹿馬鹿しいこと、口にしたら許しませんよ」


 智津はいつにない鋭い口調で、使用人の富は引き下がるしかない。


(……あのとき見えたモノが、そういうモノだとしたら)


 真希に何かが憑いているのは間違いない。

 俯いて針を進めながら、八栄は思う。

 狐かどうかはわからないが、何かよくないモノが真希の身に入ったのだ。それは、医者ではたぶん治せない。

 そう伝えるべきだろう。

 しかし八栄が迷うのは、やはり過去の経験からだった。田舎に暮らしていたときも、そういうことが――狐憑きではなかったが――あった。




 その男性は、村に古くから住んでいるひとではなかった。

 村人の遠縁に当たるひとで、先祖の墓参りにと二、三日前にやって来たひとだった。

 八栄が気になったのは、その男性がいつも女性を背負っていたことだ。幼い子供を背負うひとは大勢いるが、成人女性をおぶっているひとを見るのははじめてだった。

 男性は道端で日向ぼっこでもしているかのようにのんびりとしていて、その女性は幸せそうに微笑んでいたから、お使い帰りの八栄は、つい笑い返していた。


『何がおかしいんだい、お嬢ちゃん』


 背筋を真っ直ぐに伸ばしていたその男性に怪訝そうに尋ねられ、八栄は悪いことではないだろうと思い、正直に答えた。


『その女のひとが、笑ってたから』


 たちまち男性の顔色が変わった。


『女? どこに女?』


 そのときになって、八栄ははじめて気がついたのだ。背負っている女性は、八栄にしか見えないモノだった。


 男性はその女のひとのことを事細かく聞こうとしたが、八栄は怖くなって逃げ出した。叔父の家にまで訪ねてきたが、八栄は口をつぐんだまま何も言いはしなかった。

 仕舞いには男性は八栄を化け物でも見るかのような目で見やり、叔父にそのことを告げ苛立たしげに帰っていった。


 そしてその男性は数日後に橋から落ち、あの世の住人になってしまったのだ。


 後に聞きかじった話によれば、その男性は、女性を騙してお金を巻き上げ暮らしていたようだった。その中に、騙されたことを恥じ、それでも男性を好いていたことを非常に思い詰め、体を壊したあげく亡くなった女性がいた。それを親族に責められ、いままでの場所に住んでいられなくなったのだそうだ。逃げるようにしてこの村へ来ていたのだが、逃げ切れなかったらしい。


 自分でも恐ろしかったが、周囲の人々の反応はもっと恐ろしいものだった。

 男性の死はある意味自業自得で、八栄にはなんの落ち度もないものではあったが、まるで八栄のせいだと言わんばかりの陰口は、心に深い傷を残した。




 だから言えなかった、今回は。

 せっかく、新しい人生を築きかけているところなのだ。


 夢の中の少女は、辻で放れと言っていた。

 万一、それが正しい方法だとしても、そんなことができるはずもない。

 それには狐憑きが前提になるし、主人夫妻はそれを認めはしないだろう。真希は嫁入り前の娘なのだ。噂は瞬く間に広がり、縁談はこなくなる。憑き物とは、そういうものだった。


(でも、放っておいたらお嬢さまは……)


 遠巻きにされる覚悟があるだろうか。

 この家はきっと暇を出されるだろう。そうしたらどうすればいいのだろう。田舎には帰れない。次の勤め先はすぐに見つかるだろうか。それまではどうすればいいのだろう。


 保身を考える自分が嫌になったものの、八栄は言い出す勇気を持つことが出来なかった。


 唇を噛むその表情が不服に見えたのか、智津は八栄へ刺々しい声を投げる。


「おまえもわたくしに意見するつもり?」

「いえ、決してそんな……」

「お富、お茶を持ってきてちょうだい」

「あ、はい。ただいま」


 富はちらと気の毒そうに八栄を見て、出ていった。

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