第六話 現実
7年前、神世720年
「ユルト、笑顔で迎えてあげないと仲良くできないよ」
濡れた布で机を拭くリリー。
「…わかってるよ」
むすっとした顔で頬杖をつくユルト。
「ふふふ、不安なのね。
大丈夫よ、きっといい子たちだから」
今日からこの第三肥育場で働く人が二人来るらしい。
俺と同じ年の男の子と女の子。
これまで母さんと二人だけで十分仕事はこなせていた。
しかし先日、第五肥育場が強盗に襲われて4匹の宝玉が行方不明になる事件があった。
女王は第五肥育場の関係者総入れ替えを指示したのち、警備の強化と宝玉の肥育期間延長を決定。
それに伴い、第一から第六までの肥育担当員が増員されることになった。
「おーい、リリー、いるか?」
入り口の扉がコンコンとノックされる。
「来たわよ」
母は笑顔で呟いて、手を洗うと、
布で手を拭きながら扉に向かう。
「はーい、いらっしゃい。
あら、あなたたちね、初めまして」
ついに来た。
レオナルドが連れてきたみたいだ。
「ユルト、こっちへおいで。
みんなで挨拶しましょ」
椅子を降りて母の元へ歩く。
少しだけ胸の鼓動が早くなる。
聞いていた通り、男の子と女の子が一人ずつ。
薄くて明るい茶色の癖毛と切長が特徴の男の子。
長い黒髪と真紅の瞳を持つ女の子。
二人を見た時、初対面のはずなのだが、言葉では言い表せない不思議な親近感を感じた。
「えっと、初めまして。
俺の名前は――」
――
「ユールト!」
目が覚めると、そこには見知らぬ天井があった。
体がダルくて起きる気力が湧いてこない。
光が差し込む窓の外には高い建物がいくつも見える。
ここは王都だろうか。
なぜ俺は王都にいるのか。
昨日は確か宝玉を運んで、
「あ、起きた」
揺れる長い黒髪に真紅の瞳を持つ少女。
「やっとか、もうお昼だよ」
明るい茶色の癖毛と切長が特徴の少年。
懐かしい夢を見た。
二人と初めて会った時の記憶。
あれから何年も生活を共にして本当の兄弟みたいになった。
こうやって二人の顔を見ると心の底から安心できる。
きっとあれも夢だったんだ。
思い出されるのは白いキメラに潰される母の姿。
胸の辺りがギュッと締め付けられる。
悪い夢だ。
そうに違いない。
「こっちに来て、パンがあるんだ。
みんなで食べよう」
ハーレンがパンをちぎりながら微笑む。
これが現実だ。
家に帰れば、母さんが迎えてくれる。
いつもの日常に戻ることができる。
ユルトはぎこちない笑顔を浮かべた。
――
—天空の大地ヲハニア 北領域 農業地区—
「何バカなこと言ってんだ!
もう元の生活に戻れると思うな!」
ガタガタと揺れる馬車の中で怒号が飛ぶ。
声の主は無精髭を生やした中年の男。
「現実を見ろってんだ。
馬の数にも限りがある。
俺たちは運が良かっただけだ」
—天空の大地ヲハニア 南領域 農業地区—
「駐留の近衛兵がやられてしまった以上、私たちにはどうすることもできない。
どうして200年も安全だったヲハニアが今になって…!」
頭を抱える壮年の女。
「しかし王都の近衛兵が投入されてキメラを駆除できれば問題は解決するのではないか?」
—天空の大地ヲハニア 西領域 農業地区—
「そんな単純な話ではない。
空を飛ぶキメラが現れたということは、この大地の全てがキメラの活動領域になってしまったということ」
腕を組んで考えを巡らせる高年の男。
「つまり、縄張り争いなのだろう?
今こそ人類反撃の時、積年の恨みを晴らしてやろうぞ!」
—天空の大地ヲハニア 東領域 農業地区—
「すべての人間がキメラに対抗する力を持っているわけではないんだ。
何か対策を講じなければ徐々に侵略されて間違いなく人類は絶滅の一途を辿るだろう」
凛々しい顔つきの若い女。
「とにかく、今すべきことは王都に向かい現状を報告すること、それから政府の指示を仰ごう」
ヲハニアではじめに被害を受けたのは最も外周に位置する農業地区であった。
各領域の食糧生産管理者は各々考えを持ちながらも、最終的な判断を政府に委ねるため、全力で馬車を走らせる。
その間、キメラの標的となったのは逃げ遅れた食糧生産者であり、ヲハニア全体で10万を超える人が犠牲となっていた。
――
パンを持ちながら口を開けて固まるユルト。
「何言ってんだよ、ハーレン」
ハーレンは水を飲むと続けて、
「僕らを助けてくれた近衛兵精鋭部隊のゲオルグさんから聞いた話だ。
今、避難民と共に情報も集まって来ている。
作戦が決まり次第、キメラへの攻撃が開始されるだろう」
違う、そんな話はどうでもいい。
それなら、あれが現実なら、
「……母さんは…」
「「…………」」
母さんは死んだ。
もうどこにもいない。
ハーレンとフラマは食べる手を止めた。
しばらくの沈黙の後に、
「ユルト、僕は近衛兵になる」
「………」
俺のせいなのか?
俺がバカだったから?
力が無かったから?
「僕はあの時、何もできなかった。
リリーおばさんが戦ってくれなければ助けが来る前に死んでいた」
「………」
俺が弱かったから?
キメラを殺せなかったから?
だから母さんは死んだのか?
「だから僕は強くなる。
家族を失わないために。
もうあんな惨めな思いはしたくない」
そうだ、力があればいい。
自分の思い通りにする力が。
「……俺もやる」
ハーレンの目を見て言った。
「じゃあ私も。
いいよね?
私がこの中で一番強いんだから」
フラマが乗ってくるのは少し意外だった。
こういう面倒事はいつも、いや、違うか。
皆んな同じ気持ちだ。
キメラをこの世から一匹残らず駆除してやる。
――
―王都ゼントルム 王城 司令部―
ゼントルムの中央に高くそびえる石造りの城。
近衛兵の精鋭部隊が周囲に並び立ち、堅牢な守りをさらに強化している。
城の中は豪華な装飾が施され、常に幻想的な光で照らされている。
家具や服は全て一級品で統一されており、食事もヲハニアで最高品質のものが揃えられる。
そんな城に似つかわしくない男が一人。
だらしのないよれた服に軍服を羽織った洒落た口髭の男。
彼は椅子に腰掛け不満そうな顔で老人たちの会話を聞いていた。
「決まりだ。
王都近衛兵7000と訓練兵5000、そして素質のある避難民を投入して、明日の夜明け前に作戦を開始する。
最重要事項は変異個体の情報収集、翼の生えた新種は発見次第、討伐するものとする」
今回、ヲハニアに襲来したキメラは推定1000頭。
従来の特徴であるヤギの角、ワニの鱗、サソリの尾に加えてワシの翼を持った新種の個体である。
しかし人類もただ手をこまねいていたわけではない。
近衛兵という枠を設けてキメラに対する戦力を増強してきた。
多大な犠牲を出しながらも、知恵を蓄え、研鑽を重ね、結果、優秀な兵も多く生まれた。
もしも襲来したキメラの全てが翼が生えただけの従来の個体であったのなら、勝利するための作戦を実行していただろう。
問題は、東西南北4箇所の肥育場に出現した4頭の変異個体である。
それぞれがこれまで発見されたキメラの特徴に合致しない外見と不可解な能力を持っていた。
『白変』
トカゲのような体とコウモリのような翼。
全高10メートルを超える巨体。
全身が白く滑らかかつ極めて頑丈な皮膚を持つ個体である。
元近衛兵精鋭部隊隊員リリー・ヴァイセが単身で戦闘を行った結果、死亡。
続けて戦闘を行った近衛兵精鋭部隊第2班班長セシルザ・タバサが重症。
セシルザの報告によれば、皮膚の頑丈な部位は自由に変化させることが可能であり、それにより機動力と防御力を兼ね備えている。
極めて高い戦闘力を持つ変異個体である。
『彩色』
ヤギのような体だが首と尻尾が長い。
全高10メートルを超える巨体。
薄い桃色と暗い赤色の体毛で覆われており、青と緑の瞳を持つ個体である。
近衛兵部隊28名が戦闘を行った結果、27名が死亡。
生存者の報告によれば、対象は近衛兵の錬成物を操作して攻撃を仕掛けてくるため討伐は困難を極める。
極めて高い戦闘力を持つ変異個体である。
『六脚』
6本の脚を持ち外見はクモのようだが体の構造は昆虫に酷似している。
全高10メートルを超える巨体。
全身が黄金に輝く殻で覆われた個体である。
近衛兵精鋭部隊第3班が戦闘を行った結果、班長レーナン・ヴェックを除く33名が死亡。
レーナンの報告によれば、黄金の殻は鉄と同等かそれ以上の硬度があり破壊しても瞬時に再生されてしまう。また、クモ型の複製体や自身の脚を増やす能力を持つことから、飛び抜けた生命力を持ち一対多の戦闘に強いことが予想される。
極めて高い戦闘力を持つ変異個体である。
『刺青』
背筋が丸まったサルのような体とクマのような手足。
全高10メートルを超える巨体。
黒い体毛で覆われており、毛の無い顔や腹の皮膚に青い模様が刻まれた個体である。
近衛兵約100名が戦闘を行った結果、生存者なし。
極めて高い戦闘力を持つ変異個体である。
いずれの個体も単体で人類を滅亡させる程度の強さがあると考えた政府は、当作戦の目標をキメラ殲滅から変異個体の情報収集と食糧消費量の調整へと変更した。
端的に言えば、口減しである。
「レオナルド、お前と精鋭部隊第1班は女王と城の護衛だ。
いいな?」
「………ああ」
レオナルドは理解していた。
これが、人類が生き残るための合理的な作戦であることを。
「よし、それでは次。
キメラ殲滅計画の予定繰り上げ、部隊の候補生についてだ」
そして自身がすべきことを。