第五話 選択
昼に食べた野菜スープの残りを温めて4つの器に分ける。
そして、パンを分厚く切り分けてテーブルに並べた。
「フラマ、晩御飯よ。
下りてらっしゃい」
大きめの声で、二階で寝ていても聞こえるように呼んだ。
「ヒヒィーーン!!」
馬の鳴き声が響く。
コップを手に持ち溜め水に近寄ると、水面に小さな波が立つ。
夕日が雲に隠れたせいか、辺りが薄暗くなる。
カタカタと食器が揺れ、椅子が動き、テーブルが跳ねた。
「ギュイイイイッ!!」
響いたのは過去幾度も屠ってきた獣の咆哮。
本能故か、全身に力が入り、右手で掴んでいた木のコップの持ち手を砕いた。
雲が晴れたのか辺りに光が戻る。
静寂が訪れたが体を固めたまま目だけを動かして周囲を警戒する。
そのまま1秒、2秒と時間が経過し、
次の瞬間、彼女の本能は最大限の警告を発した。
「フラマ!!」
―
「伏せろ!!」
二階建ての建物より大きい、10メートルを超える巨大な白い獣。
キメラは、人の子供と同じくらい大きな爪の手を振り下ろし、目の前にある木造の建物を叩き潰した。
バキバキと音を立てながら薄氷のように砕け散り、木片が宙を舞う。
「ぐぅッ……!」
勢いよく押し倒されて頭の中が揺れた。
砂埃で視界が悪い。
上体を起こして足元を見るとうつ伏せでハーレンが倒れており、
脇腹と太もも辺りに木片がある。
嫌な予感が頭をよぎる。
「ハーレン!」
すぐに立ち上がって近寄る。
よく観察すれば木片はハーレンの身体をギリギリで避けて大地に突き刺さっていた。
「起きろよハーレン!
早く逃げねぇと!」
ぱっと見では外傷はない。
すぐに起こして、ここから離れなければ命はない。
そうだ、キメラはどこに、
ぐるりと見回して、見つけた。
しかし、こちらを探している様子はなく、
全く別の方向に向かって歩いている。
今だ、今しかない。
ハーレンのおかげで俺は動ける。
これは奇跡だ。
まだ二人とも助かる。
「うぅ……」
ハーレンの身体を無理やり起こして立たせる。
「しっかりしろ、歩かないと死ぬだけだ!」
ハーレンは意識を取り戻して自分の足で歩き始めた。
まだ足元がおぼつかないが、しっかりと前に進んでいる。
絶対に助ける。
必ず逃げ切ってやる。
そしたら、またみんなで……。
思い浮かぶのは母とフラマの姿。
「……母さんとフラマはどこだ」
目の前には崩れた建物。
もう家と呼べるような原型はなく廃材が積み重なったようなゴミの山。
鼓動が早くなって瞬きを忘れる。
さっき母に報告した時は晩御飯の用意を始めていた。
フラマの姿はなかったため、まだ二階の自分の部屋にいたはず。
「はぁ…はぁ…!」
「……落ち着け…ユルト」
つまり、この粉々になった家のどこかに二人が、二人の残骸が――
「はぁ…はぁ…はぁ…!!」
「……ユルト…!」
ドンッ。
背後で、さっきキメラが進んでいた方向から強い衝撃が届く。
身体がビクッと痙攣して、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱する。
脳は過剰なストレスにより思考を止めた。
そして振り向けば、目に映るのは肥育小屋を破壊するキメラ。
鋭い爪の生えた手で大地を殴るたびに白い粘液が飛び散っている。
「……やめろ」
「…おい、ユルト何するつもりだ」
ハーレンは不穏な考えを察知する。
キメラは逃げ回る宝玉を残さず潰し、次の肥育小屋へと歩みを進める。
『一度でも盗まれたり献上が遅れたりすれば使命の遂行が困難と判断されて――』
真っ白な頭によみがえるのはレオナルドの言葉。
「………やめろよ」
「…よせ、敵う相手じゃない…!」
ユルトはキメラへ体を向ける。
ドンッ。
キメラは次の肥育小屋を鋭い爪を振り下ろした。
そして、ユルトはハーレンの制止を無視して、
『関係者全員が処罰の対象になる』
「やめろって言ってんだろうがッ!」
ユルトは走り出す。
考えを持たず、
力を持たず、
怒りで恐怖を抑え込み、キメラへ迫った。
「…クソッ、バカ野郎……!」
何度も転びそうになりながら走り続けて、
十分に近づくと、
今持てるエネルギーを全て使い、一本の槍を錬成する。
「これでくたばれ、化け物がッ!」
渾身の槍投げ。
身体からあらゆる力が抜けてその場に倒れ込む。
しかし槍は進み続ける。
風を切り、
高速で回転し、
キメラに迫る、
少年が放った、
命を奪うための一撃。
カンッ。
それは獣の後ろ脚にぶつかる。
白く滑らかな皮膚を抉り、その場に落ちた。
「ギィィィイイ……!」
キメラは少年に気づき、徐に振り向くと光る牙を剥いて、鋭い爪を振り上げた。
―
身体にのしかかる木材の山。
一階にいたため潰されそうなほど重く動けない。
いっそのこと吹き飛ばしたいがフラマに危害が加わる可能性があるため、容易にその選択をすることができない。
「フラマ!
リリーおばさん!」
かすかに聞こえるのはハーレンの声。
返事をしたいが胸が圧迫されて声が出ない。
「はぁ…はぁ…ぐぅッ……!」
背中を少しだけ押し上げて隙間を作る。
「はぁ…はぁ…ハーレン!
そこにいるの?!」
「リリーおばさん!」
「ハーレン、無事なのね。
ユルトはどこにいるの?」
一瞬の沈黙が流れる。
「ハーレン?!」
「……ユルトは今、キメラと――」
ハーレンの言葉を全て聞くことなく、リリーは確信する。
まだ生きてる。
まだ生きてる。
まだ、助けられる。
息子が生きているという事実。
歯を食いしばり、リリーは決断する。
「フラマ、ハーレン、ごめんね」
ハーレンはその小さな声を理解する。
それは本能から発せられる、抗えない感情であることを。
―
地面に突っ伏して鼻を撫でるのは芝と土の香り。
頭を上げることもできず、目玉をギョロギョロと動かすだけ。
夕暮れの赤い光に照らされ輝く、大きな身体と翼を持つ白いキメラ。
鋭く光る牙と振り上げられた爪がこちらへ迫る。
そうか、人類はこの化け物に敗北した。
成す術もなく蹂躙されて地上を捨てて空へ逃げたんだ。
しかし、ここでの平和も束の間の休息でしかなかった。
もう逃げることは叶わない。
他に安全な場所なんてどこにも存在しないのだから。
ガシャン。
後方で何かが爆ぜるような音が響く。
ユルトは思い至る。
そして自身の運命を悟る。
目から光が消える、その直前。
ガァン。
視界に映るのは、巨大な戦鎚の一撃を以て白いキメラの腕を弾き飛ばす母の姿だった。
―
頭からポタポタと血を垂らしながら立つ女性。
リリーは戦鎚を解除して、痺れる手を握り直す。
キメラに打ち込んだ攻撃。
その想像を遥かに超える固い感触は彼女に命懸けの戦いを決意させた。
「ギュイイイイッ!!」
「はぁああああッ!!」
キメラは鋭く大きな爪をさらに伸ばし、
標的の位置、そして逃げるであろう座標を予測して振り下ろす。
リリーは飛び跳ねて、空中で身を捩り爪を回避する。
そしてキメラの振り下ろされたのが右腕だということを確認すると、
右回りで走り出し、キメラの死角に入る。
キメラはリリーを追いかけるように、
右腕で薙ぎ払うように腕を振るう。
リリーは飛び上がり再び戦鎚を錬成。
その腕を上から大地に向けて叩きつける。
キメラの腕が地面にぶつかった瞬間、巨大な鎖を巻き付け固定する。
キメラは拘束を解くために腕を振り上げて――
リリーは続けざまにキメラの右肩を殴る。
そしてキメラの頭が地面に落ちる。
それを確認すると両足を巨大な鎖で固定し腰を戦鎚で殴った。
キメラの腹が地面に落ちる。
リリーは走り続けて加速する。
「ギュイイイイッ!!」
キメラは残った左腕を振るい、大地を抉りながらリリー目掛けて爪を伸ばす。
リリーは戦鎚を振り被り、キメラの左腕へ思い切り叩きつけると、
その反動を利用し空へ飛びあがった。
「はぁ…はぁ…!」
キメラの直上。
戦鎚を解除し、錬成するのは巨大な戦斧。
両手で構えて回転加える。
狙うはキメラの首。
この戦斧の一撃で両断して絶命させる。
「がぁあああッ!!!」
リリーは落下しながら加速して、打ち込むはキメラの首――
「ギィィイイッ!!!」
キメラが巨大な両翼を広げて、
身を捻りながら地面に叩きつけると、
キメラの白い巨体が宙に浮いた。
ガキンッ!!
「ぐあぁッ!!」
リリーの戦斧は、狙い通りキメラの首を捉えたが、
キメラが一瞬跳ねたことにより、
本来の最速、最高威力に達成するタイミングから、
10分の1秒にも満たない時間の誤差が発生した。
結果、リリーの戦斧が弾かれ、
その衝撃はリリーの両肩を砕いた。
―
光る欠片を散らしながら地面に落ちる母の姿。
「…あぁ…あぁ」
白いキメラは器用に鎖を破壊し、母に迫る。
「あぁ…あぁ…!」
胸の内にあるのは絶望。
そして無力感。
何もできない自分への怒り。
「…ユルト……生きて――」
バァン。
大地に亀裂が入り、鮮血が散る。
最後の言葉が届くはずもなく、
目の前が真っ暗になった。
近づいてくる足音には何の関心も起きず、
ただある運命を受け入れるだけ。
目から光は失われていた。
何度か見たこの光景。
白いキメラは再び右腕を振り上げた。
「うらぁあああッ!!」
薄暗い視界の中。
深い緑の軍服を着た人の姿。
翼を生やして、巨大な戦鎚を持ち、母と同じ体勢でキメラの右腕を弾き飛ばす誰か。
これは夢なのか。
「母さん…?」
「ゲオルグ!
その子たちを回収して離脱しろ!」
キメラの右方を滑空するガタイのいい男。
同じく深い緑の軍服を着ている。
「わかってますセシルザさん」
男は翼を解除すると小屋に停められた馬を捕まえ、
荷台をつなぐと粉々になった木屑の上に倒れる少年と少女を拾いあげて、
荷台に乗せると、馬を走らせた。
「ギュギィイイイッ!!」
「こいつ――」
いきなり、白いキメラが咆哮すると
空気がビリビリ揺れる。
その叫びが止まると、
遠くに巨大な影がちらほらと確認できる。
「仲間を呼んだのか」
白いキメラの攻撃を弾いた女性は軍服を脱ぎ捨てて、
「換装」
呟くと錬成の鎧が女性の体を覆う。
胸元と背中は大胆に開き白い肌が見える。
「少年、絶望するのはまだ早い。
何故なら私たちは――」
女性は遠くにある血だまりに目をやった。
そして決意する。
「人類は、まだ負けていないのだから」
この白いキメラを必ず仕留めると。
話のストックがなくなってしまったので投稿を止めます。
続きが書けたらまた投稿を再開します。
それまでに感想を頂けると嬉しいです。