第三話 魅惑の果実
―天空の大地ヲハニア 王都ゼントルム南区 大門付近―
王都ゼントルムへの入り口は4か所。
東西南北に位置する大門から入ることができる。
荷馬車が3台並んで通れるほどのトンネルをくぐればそこはまるで別世界。
上前後左右どこを見ても火が灯り町を煌びやかに彩っている。
「ハーレンが慎重なせいでかなり時間かかっちゃったよ」
「宝玉に傷が付いたらどうする。
仕事を完璧にこなす方が優先だ。
さっさとレオナルドのところに届けに行くぞ」
第三肥育場から王都まで、馬を走らせれば2時間もかからず到着する。
少し遠回りにはなるが、ある程度整備されている道もあるため加速も可能になっている。
実際にそうやって運搬している肥育場がほとんどだが、早く移動すればその分の危険が増える。
急な飛び跳ねや荷馬車の転倒、揺れによる強い衝撃等々。
運搬に関する事故の実例報告は無いが推奨されているのは低速での運搬である。
「……いや、先に例の店に行こう」
「馬鹿なことを言わないでくれ。
間違ったことをしたとは思ってないがユルトの言う通り少し遅れている。
宝玉を届けるのが優先だ」
宝玉が優先なのは分かってる。
時間が無いのもその通りだ。
それでも、
「これ以上遅くなったらレオナルドが付いて来るかもしれないだろ」
前に、母とフラマも一緒に4人で運搬をしたとき、少し遅くなってしまったことがある。
王都には危ない輩も少なくない。
暗くなるとそれだけ危険が付きまとうことになる。
その日は運搬の5日目で次の日は監査があるため前乗りというていでレオナルドが護衛を買って出てくれた。
今日は運搬の5日目。
それに運搬役は俺とハーレンだけ。
間違いなく、レオナルドは護衛として家まで付いて来ることになるだろう。
よくよく考えてみたら母が二人で行くことを許可してくれたのも、これが理由なのかもしれない。
「頼むハーレン、今しか、今しかないんだ。
二人だけの今ならあのお店に入れる。
誰にも邪魔されない」
「………」
ハーレンは押し黙っている。
畳みかけるなら今だ。
言い訳を絞り出すんだ。
「いいだろ?
ハーレンが言ったんじゃないか、今日こそあのお店に行こうって」
「…………」
「長居するわけじゃないんだ、ちょっとした社会勉強だよ」
「……………」
「大人になったときに子供のままじゃダメなんだ。
子供の時から大人の勉強をしておくのが大切なんだよ」
「………………」
「なぁ、ハーレン。
早く返事してくれよ」
「…………………」
「……………………」
「………分かったよ、少しだけだからな」
「よぉーっし!!
さっすがハーレン!
お前は理解力があるなぁー」
やっぱり持つべきものは親友だ。
最後には分かってくれる。
今回は少し強引だったかもしれないが。
「ふん、本当に少しだけだからな。
あとそのレオナルドみたいな言い方やめろ」
ハーレンは手綱を引いて荷馬車の方向を変えた。
――
広い通りから少し逸れて、光が届きにくい少し薄暗い道。
似た雰囲気の店が並んでいるが目的はこの酒場。
看板には”魅惑の果実”と書かれている。
出入りしているのはほとんどが大人の男性。
未成年が入ろうとすれば止められるかもしれないが、俺もハーレンも身長は伸びてきている。
それっぽい格好をすればバレずに行けるだろう。
「銅貨4枚だ」
店番か。
坊主頭のおっさんに呼び止められる。
いかにも想像通りの対応だ。
雑で荒っぽくて気遣いも愛想もない。
「それって二人分?」
ハーレンが確認する。
正直、確認の必要はないと思う。
さっき入って行った男は銅貨2枚を支払っていた。
黙って払って、さっさと店に入ればいい。
「一人分だ」
「おいおい、さっきの男は銅貨2枚だったろ?」
「あのなぁ、ガキが入れると思ったのか?
これは俺なりの心遣いよ」
思わず反応してしまった。
しかし、やはり分かってしまうらしい。
考えが甘かった。
ハーレンの方をちらりと見る。
俺が持ってるのは銅貨5枚。
店に入る前にいくらかかるのかしっかり確認して、二人分払えると考えていたのに。
どうしよう。
「ほら、これでいいだろ」
ハーレンは上着から銀貨2枚を取り出して、店番の男の手に放った。
「……!」
驚いた、なんでそんなお金を持っているのか。
小遣いでもらうのは銅貨だ。
地道に貯めていたのか。
それとも何か別の、いやそんなことどうでもいいか。
とにかく、これで店に入れるはず。
「それと、あそこに停めてある荷馬車を見ててくれ。
それ含めて銀貨2枚だ」
「ひゃひゃひゃッ!
いいぜ、楽しんで来いよ」
ハーレンに続いて暗い通路を歩いて進んでいく。
また助けられた。
やっぱりハーレンはすごい。
突然の事態にも即座に対応して、気がかりだった荷馬車に見張り役をつけることもできた。
「ありがとう、ハーレン」
「別に、見張り役は必要だったし」
それにしても暗い。
壁の蝋燭が無ければほとんど何も見えなくなりそうだ。
天井から垂らされた薄い布をよけて中に入ると、甘い香りととろけるような空気が顔を舐めた。
しっとりとした音楽が流れ、紫と青の光で幻想的な空間になっている。
左右にはカウンターとテーブルが置かれ、中央には舞台がある。
まだ遅い時間ではないが、それなりに人もいる。
念願のお店に入れた。
中はこんな風になってたんだ。
少し歩いて舞台の前で立ち止まる。
(ここからどうしたらいいんだろう)
店に入れたのは良かったが何をしたらいいのか分からない。
舞台には誰もいない。
店員も男ばかり。
誰かに聞いてみるか。
いや、ダメだ。
近づいたらこれだけ暗い店内でも顔が見える。
未成年だとバレたらすぐに店から追い出される可能性がある。
そもそも話しかける勇気すらない。
せいぜい店の壁際で突っ立っているか、
舞台の周りをウロチョロするだけで精いっぱいだ。
ハーレンも同じく困っているように見える。
「帰ろう、場違いだ」
「ちょっ、待てよ!
まだ…」
まだあの女の子に会えていないんだ。
目的を果たせていない。
本当にこの店であっているのか。
見間違えはなかったか。
いやこの店だったとしても、
今日あの子がいるという保証はどこにもない。
しかも店にいるいないというのも、
あの子がこのお店で働いているという前提の話であって。
可能性は低いが客側であったのなら、
今日、偶然たまたまお店に来ている状況は無きに等しい。
実際、今回の目的はあの子に会うことだが、
それが叶わないかもしれないと理解している。
会えたら幸運。
そうじゃなくても仕方がないと分かってはいるのに。
いざ現実になれば簡単には諦められない。
でも、宝玉はまだ届けていない。
時間に余裕はない。
どの選択になるとしても、
早く判断しなければならない。
無駄足だったのか。
もう帰るべきなのか。
諦めるべきなのか。
ダメだ、頭が混乱してきた。
ハーレンは出口の方に振り返り歩き始める。
「皆さま、ようこそおいでくださいました!」
突然響いた声に驚き体が硬直する。
声の主は舞台の中央。
店中の注目が集まると、男の背後の炎が大きくなり周囲を明るく照らしていく。
「今宵も妖艶な美女とともに素敵な時を過ごしましょう」
やーやーと野太い男の声。
そして多少の拍手と指笛が一つ。
ハーレンは足を止めて舞台の方へ振り返る。
「大変長らくお待たせいたしました本日一発目のダンスショー」
しっとりとした音楽は、躍動的で疾走感のある曲調へ顔を変える。
店の中が少しずつ熱を帯び、紫と青の光が動き出して射す先は舞台袖。
「踊り子はゼントルムの碧き乙女」
現れたのは一人の女性。
長い中央分けの黒髪と青い瞳に赤い唇。
白い衣装は面積が少なく、そよ風で吹き飛びそうなくらい柔らかな質感。
上品に装飾されたその女体は男の視線を釘付けにする。
「レイナ・ブラーウェン!!」
踊り子レイナは舞台真ん中で足を止めると、リズミカルな曲に合わせ艶めかしく体をうねらせる。
体を追いかけて舞う衣装は蝶の羽のように鮮やかに輝く。
音、光、歓声の全てを身に纏い、見ている者の心を次々と吸い込んでいった。
さらに踊り子の少女が二人登場し、レイナの両斜め後方の位置につく。
レイナと同じ服装をした二人の少女も見事な舞いを披露してショーはさらに盛り上がりを見せる。
「あ」
ハーレンを含めた店中の男たちがレイナに見惚れている中、ユルトは一人の少女を見つけて目と口が開いた。
あの子だ。
レイナの右斜め後方の位置にいる少女。
派手に着飾っているが、やる気のなさそうなジト目と左右でまとめた金色の髪。
間違いない。
目は、舞台で動き回る少女を捉え続ける。
右手で足をなぞり、腰を振って、くるりと一回転。
そして、ふと視線が結ばれる。
少女は踊り続け、視線がぶつかること二度、三度。
脳は思考力を失い、完全に彼女の虜になった。
その後、しばらく視線が絡み合うと、
「わーお」
少女は口をすぼめてウインクした。
胸の内に溢れるのはピンク色の幸福感。
心臓の鼓動は限界を超えて顔中が赤くなる。
この幸せを全身で享受すると、時間は驚くほど加速した。
「ユルト」
肩を叩かれて我に返る。
「そろそろ出よう」
気が付けば、店内の光は赤色に変化し、踊り子たちは舞台を降りて左右にあるテーブルに向かって歩いている。
これは赤い光のせいかもしれないが、ハーレンの顔はひどく紅潮しているように見えた。
―
再び真っ暗な道を歩いて店の外に出る。
「お、早かったじゃねぇか、お楽しみはこれからだってのに」
店番のおっさんと目が合った。
別に話すことは何もないので、すぐに目を逸らした。
しかし、このおっさんが融通利かせてくれたおかげで楽しめたのは事実。
無視をしたが感謝はしている。
さっさと荷馬車に乗ってレオナルドの元へ行かなければ。
次の瞬間、その光景を見たとき、頭から血の気が引いて変な汗をかいた。
そこに停めてあった荷馬車が消えている。
辺りをぐるりと見回すが、どこにも見つからない。
「おい、おっさん! 荷馬車が無いぞ!
見張りを頼んだはずだ!!」
ハーレンも血相変えて辺りを見回している。
店番のおっさんはニヤリと笑って答えた。
「ああ、ちゃんと見てたぜ。
ほんの少し前に誰かが乗って行ったところもな」
「クソッ! ハーレン!」
いない。
勢いよく振り返るがそこにハーレンの姿はなかった。
そして、体の正面から強烈な風が吹きつける。
「ぐッ……!」
ハーレンは錬成の翼を生やして大通りの方へ飛んで行った。
早く走って追いかけないと見失ってしまう。
「何なんだよもう…!」
「ひゃひゃひゃッ!
またなガキども!」
前言撤回。
やっぱりこのおっさんは嫌いだ。
全力で走って、人や物をすり抜けながら大通りに出た。