婚約破棄をされた理由、婚約を望んだ過程
「フォーネ、君との婚約を破棄させて欲しいんだ」
私の婚約者たる第一王子ヒルリア・イージンライト殿下の立太子を行う前日のことです。
これまで国王陛下の言いつけで屋敷から出ることもあまり許されなかったといいますのに、急に呼び出しを受けました。
何事かと思い、用意を済ませて王城にて案内を受けた先。
呼び出したヒルリア殿下本人が、部屋の中で既に待っていました。
そしてどうやら私は、彼から婚約を破棄するよう命令されたみたいです。
「殿下、理由をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか?」
ヒルリア殿下とは、基本的に手紙を交わし、互いの記念日にちょっとしたものを贈り合う程度の仲でした。
確かにそれは、婚約者としては少々冷たすぎる関係にあたるのかもしれません。
けれど私は、国王陛下から出来るだけ外には出ないようにと厳命されていた身。
外に出れないのですから、婚約者に会いに行くことも出来ません。
もちろん、彼は時々顔を見せてくれましたので、全く会うことがなかった訳ではないのですが。
果たして私の問いかけに、殿下は目を伏せ言いました。
「博識な君なら、外の――国民の様子が今どのようなものなのか、知っているだろう?」
国民の……。
「最低限は知っております。
国民について調べることを両親からは止められているのですが、それでも私には将来の国母としての責任がありますので。
……もしや殿下も、私が国民について調べることをやめるべきだと仰られるのでしょうか?」
だとすれば、一応婚約破棄への理由にはなります。
私の行動が気に入らなかったから、婚約を破棄する。
けれども私の中で、ヒルリア殿下は気に入る気に入らないで国の未来すらを左右する婚約についてどうこうする人ではないように認識しております。
疑念を抱く私の正面で、再びヒルリア殿下は口を開きます。
「いや、そんなことは言わないよ。むしろ僕は君の意見に賛成する」
やはり私の認識は間違ってはいないようでした。
今の貴族としては珍しく、殿下は気に入らないからと婚約破棄をなさる方ではない。
むしろ私の行動に賛成なさっていたのですか。
「それでね、話を婚約破棄のことに戻すんだけどさ。
端的に理由を述べると、君を逃すために僕は君との婚約を破棄したいんだ」
「逃すため、ですか?」
「うん。
君だけだったら、まだ国民には顔が露見していないから」
……そういう、ことですか。
なんとなく、殿下の意図しているところが読めてきました。
「しかし殿下は」
「僕はもう知られちゃってるから。
ほら、僕ってこの国で唯一の王子様でしょ? 逃げたなんて判明した日には、この国の民たちは地獄の果てまで追ってくる。
僕を、殺すために」
「それは」
「言い過ぎたかな?
でも現実になる日が近いことくらい、さすがの僕にも分かる」
ヒルリア殿下の仰っていることは、悲しいですが正しいことでもありました。
今、この国、イージンライト王国の上層部は、どうしようもないほどに腐りきっております。
王族も貴族も、ありやしない贅沢を毟り取ろうと皆必死で。
結果、国民たちは重税に喘ぎ、同時に上層部に対する反感の意は高まるばかり。
私の両親もそのことを知ってはいるはずです。
けれど私が国民について調べることに対して苦言を述べると言うことは、知らぬふりをしておけという意味なのでしょう。
そちらの方が、楽に生きることが出来るから。
私の両親も、贅沢に群がっている一貴族であることに違いはないのです。
「……おかしいですよ。殿下はずっと、国民のことを思って動いてらしているのというのに」
「それでも僕は王族だから。王族として、最後まで責任を取る義務がある」
「…………」
ならば私は貴族として、だなんて。
たかだか調べるくらいしかしていない私には、言うことなどできなくて。
だから私は、決意を固めたのです。
「承知しました。殿下からの婚約破棄、お受けします」
私は知っております。
殿下が死にものぐるいの想いで、国民が少しでも楽な暮らしができるようにと国王陛下や宰相などの国営を担っている方々に働きかけていることを。
そのために、睡眠の時間すら削っていることを。
そんな中でも、私への気遣いを忘れずにいるとこを。
贅を貪るだけの両親は、私が第一王子の婚約者であるから、両親にとっては苦言を呈するような行動をしても見逃してくれているだけ。
もし婚約破棄をされたということが知られたら、きっと間も無く金になる貴族に嫁がされるだけ。
両親にとって大事なのは、両親の考えに賛同して操り人形になっている兄と、それからお金だけなのですから。
異を唱えてばかりの私を早々に厄介払いしたいという両親の、そして兄の考えは、ずっと昔から透けて見えておりました。
けれど殿下は、殿下だけは、私のことを見ていてくれたから。
「ですから待っていてください、第一王子殿下」
「待っていて?」
「ええ」
私は一呼吸置いて、そっと口を開きました。
「必ずや、また、貴方のお名前をお呼びすることのできる立場に戻ってまいりますので」
目を見開いて、それは、と言葉を続けようとしたヒルリア殿下――第一王子殿下に、キュッと口角を上げ、しっかりと見据えて。
「それでは失礼します、殿下。またお会いしましょう」
最大級のお辞儀を、我が愛する人に捧げました。
さぁ、これからやらねばならないことが沢山あります。
気を引き締めていかなければなりません。
☆☆☆
フォーネに婚約破棄を言い渡してから。
そして、フォーネが行方知らずとなってから。
ざっと半年ほどの時が流れた。
フォーネがいなくなったという連絡が届いたのは、僕が立太子をしてから六日後のこと。
忽然として姿を消したフォーネに、僕の心は確かに荒れた。
僕が婚約を破棄した以外に、彼女が姿をくらます理由など思い当たらなかったから。
けれど、僕以外の誰一人として、彼女を心の底から心配する素振りなど――彼女の家族でさえ――見せておらず。
そして今の貴族の主流に異を唱えてばかりの僕がこれ以上力を持たないようにするためか、新たな婚約者が与えられることすらなく、日々は流れていった。
彼女がいなくなったために婚約は自然と解消された。
フォーネの家にいくらばかりのお金を払って、それっきりだ。
たとえフォーネの家族が彼女に何かをやっていたとして、立太子をしたばかりの僕では調査のしようがなかった。
だからといって、王族として、そして王太子となった身として塞ぎ込んでいるわけにはいかない僕は、これまで以上に身を粉にして行動した。
それでも増税を防ぎきれなかったりした場面はあったも、僕がいないよりかはマシだったのではないかと信じる他なかった。
だってフォーネは言っていた。
また会いましょうと、言っていた。
きっと今の僕が生きているのは、会えるとも知れぬ彼女のため。
彼女は国民のことを調べていると言っていた。
僕が本当の意味で国民の現状を知ったのは彼女からの言葉のおかげだし、その上で彼女が調べる以上のことをこっそりと身バレせぬように行っていたことも、数度きりしか行けていない現地での調査で知った。
むしろ数度きりで何度も名前が出てくるくらいには、彼女は国民の中で親しまれていた。
いつか会えるかもしれない未来で、誰よりも国母に相応しかったフォーネに見捨てられないために。
僕は、国政に出来得る限りで働きかけてきた。
……それも、もう、終わりなのだろう。
カーテンの隙間から窓の外を見やる。
庭師によってきれいに整えられた庭は、今ではもう見る影もないほどに踏み荒らされている。
クーデターという言葉がこの世には存在する。
二年ほど前、イージンライト王国と親しくしていた国の長が国民によってすげ替えられた。
それを世ではクーデターと呼ばれた。
その国も、国の上層部による悪政が敷かれていたという。
イージンライト王国の国王――僕の父も、その事例を知っていながら我が国は大丈夫だと高を括っていた。
大丈夫なわけ、ないのに、
――ガンっ、と扉が叩かれる。
「おい開けろ。そこに人がいるのはわかってんだ!」
きっと僕は殺される。
けれどそれは王族として、仕方のないことだと、呑み込んでいた事実。
最後に彼女に、フォーネに会えなかったことだけは、心残りだけれども。
どうせこのまま動かなかったとして、最終的にはこじ開けられて終わる話。
だったら大人しく開けるべきかと、僕は鍵を開けると扉のノブをひねった。
そこにいたのは、数人の男女。
廊下の灯がほぼ点っていない状況だからか、一番手前の男以外、顔がまともに見えなかった。
「あなた方は?」
「おいおまえ、第一王子で王太子のヒルリア・イージンライトであってるか?」
僕の問いかけに、しかし男は答えることなく質問を投げかけてきた。
「……えっと」
「あっているかと、聞いているんだ」
「…………合っている。僕が、イージンライト王国の王太子、ヒルリア・イージンライトだ」
手が震えている。
これは、緊張からじゃない。
恐怖からだ。
「僕に何用で? 見せつけのために殺したいというのなら、せめて一突きで、苦しまないようにしてくれると助かるのだが」
「殺す? あー、いや、王族貴族のことはそりゃもうものすんごく憎んでるけどよ。
あんたは違う。
俺はそれを知っている」
「……は?」
この男は、いったい何を言っているのだろうか。
そう呆然する僕を尻目に、男は後方に視線を向けて、一つ頷いた。
「嬢ちゃん、あんたの言う通りここにいたな」
そうね、と響いた声は、たしかに僕の知っているものだった。
嬢ちゃんと呼ばれた少女が、前に歩を進める。
その立ち振る舞いは、一庶民では身につける必要のないであろう優美さを持っていた。
そして彼女の顔が明るみに出る。
「お久しぶりです、第一王子殿下」
フォーネが、そこにいた。
「フォー、ネ……?」
「ふふ、さすがの殿下も驚きになさっているのね。かつての社交界のみならず、最近ほんの極稀に国民の前に出て来になさったときでさえ表情筋の一つとして動かしにならなかったのに」
「驚くに決まっている!
だいたいフォーネ、君は半年前に行方をくらましたと」
そうですね、とフォーネは目を伏せる。
「あのときは本当にごめんなさい。心配をおかけしてしまって」
「心配とかそういうのはいい! いったい、君は何をしていたんだ?」
僕が投げかけた質問に、手短にはなりますがと前置きをした上でフォーネは答えてくれた。
いわく、あのあとすぐに国民の下へ向かったと。
クーデターを企てている組織があることは知っていたから、そこでどうにか味方に加えてもらったと。
自分が味方する代わりに、第一王子――僕のことは救ってほしいと願ったと。
「貴方だけは本当の王族として在り続けておりましたから。その成果のことも皆様にお伝えしたら、最終的には全面的に同意してくださいましたの。
あのときは、ああ殿下のことを認めてくださる方がこんなにもいるのだと、とても嬉しかったです」
その間も、彼女らはクーデターに向けて着々と準備を進めていった。
それが今日、決行されたというわけだ。
「殿下から婚約破棄をされたあの日、私は決意を下しました。
これまで家族だからと、本来ならば起こさねばならなかった行動を起こすことを。
家族を見捨てることを」
「フォーネ……」
「その決断に後悔はしておりません。
たとえ私の家族の命が消されることになったとしても、私は受け入れる覚悟ができています」
「……僕だって、今さら父が殺されることも、僕が殺されることでさえも、構わないと思っているさ。
それが王族としてこの時代に生まれた責務ならば、果たす義務が僕にはあるから」
「ええ。だからこそ、殿下には生きていてほしいのです」
「だが僕は、君のように認められるほどのことをしてきていない」
そう言うと、フォーネは何を仰られて? と苦笑をもらした。
「殿下のお陰で、どれほどの民が救われたのかをご存知ではなくって?」
「救、われた?」
「ええ。それこそ、貴方にこそ次の指導者として上に立ってもらいたいと願う人もいるくらいには、貴方も慕われておりますのよ」
「……っ」
殴られたような気分だった。
ああ。
僕は、きちんと救えていたのか。
苦しむ人の灯火に、なれていたのか。
「ですから殿下。どうか、私たちの仲間になってくださいませんか?」
「仲間、というのは、クーデターのか?」
「そうです。……もちろん、嫌だと仰られても命を奪ったりは致しません」
「大丈夫だ。君たちが受け入れてくれるのなら、僕は国のために働きたい。この国を、良くしたいから」
「本当によろしくって? その決断は、貴方のお父上とお母上を裏切るものにもなりますのよ?」
「今さらだ。僕を王太子にしたのも、僕以外に子どもがいなかったからと、慣例として十八になるまでには立太子をしなければいけなかったから。
どうせ父は、国民からすべてを絞り尽くすまでは僕に王位を譲る気なんてない。けれどそこまで待っていたら、この国は、イージンライト王国は壊れてしまう。
だから、もし僕にイージンライト王国を救うためにできることがまだあるというのなら、やらせてほしいんだ」
「わかりました。
では最後に、私事なお願いを一つ、よろしいですか?」
「お願いかい?」
「はい。
私、今も昔も、殿下のことをお慕いしておりました」
「………、というのは」
「俺等の言葉じゃ、もっと直接的に『好きだ』ってことだぜ、第一王子」
「こら、二人の会話に口挟まないの」
「いやわりぃわりぃ」
思わぬところから刺さってきた横槍に、けれどフォーネは優しく微笑んでいて。
「だから殿下。全て事が片付いたら、改めて。
私と婚約を結んでいただけませんか?」
――貴方のお名前をお呼びすることのできる立場に戻ってまいりますので。
彼女が去り際に残した言葉が、ふと蘇って。
彼女と二人で進んでいけば、きっとこの先も、よりよい未来を作っていけるのだろうか。
いや。
作っていけるに、決まっている。
僕にとってのフォーネとは、優しいながらも心に己の芯を宿す強い人で。
かつて僕と同じく有事以外では家から出るなと厳命されていたにも関わらず、行動力のない僕より先に国の現状を知らせてくれた。
その時に感じた不安に対する行動も、彼女は一緒に考えてくれた。
フォーネがいたからこそ、僕は前を向いて歩いてこれた。
具体的な目的を持って、生きてこれた。
そんな彼女を、愛していないわけ、なくて。
「今の僕でも、君が受け入れてくれるのなら」
僕はフォーネと生きていきたい。
僕の返答に、彼女は目を見開いて。
すぐにくしゃりと笑顔を浮かべた。
「はい!
一緒に、生きていかせてくださいっ」
半年前。
彼女を救うためにした、婚約破棄。
そして、今。
本当の僕が望む、婚約を胸に。
僕はフォーネの手を取った。
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