就活に軸は必要か? 大人になるとは軸を選び取ることなのか?
物語は、人と話さないと始まらない。
ということで、国家公務員障害者枠の面接で落ち、来年も非常勤で働くこととなった井上ですが、結果報告と今後どうやって生活したらいいか、相談したくて、高校大学で一緒だった友人に電話しました。
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今回は、タイトルを考えていないで打っています。後からタイトルが付くけれども、読者の方にはまったく意味のない情報となってしまいました。
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とにかく電話したのですね。『なぜか上手くいかない。どうしてだか教えてくれ』とききました。友人は優しく、「そんなものだよ」と言いましたし「本当に井上君は○○とか△△とかしたいの? その組織にこだわっているの? それとも公務員だったらどこでもいいの?」と言われました。
それから私がまだ井上和音で、また書き物を書き始めていることを言うと、「多分ね、井上君ね、軸が全く定まっていないのだと思うよ」と言われました。
「組織にこだわっているかと言えばそうでもない。近場の公務員試験を受けているけど本当に入りたいかは分からない。障害年金があるから、障害年金と給料、両方もらって生きていきたい。それって欲張りだと思うよ。それに、井上……だったっけ、で、作家ごっこみたいなこともまだやっている。公務員が本当にどこでもいいなら、税務署だったり、法務局だったり、裁判官の事務員だったり、探せばいくらでも見つかると思うよ。でも出していないということは、公務員ならどこでもいいというわけでもないんじゃないかな」みたいなことを言われました。
軸が定まっていない。
のんびり、のたくら生きている。確かにその通りで、自分の夢も、何も持っていない。この『統合失調症(本物)になると、起こること。』も無計画に始まり、無計画のまま進み、いつか無計画に終わる日が来るだろう……。終わる日、来るよね? 一生駄文を打った生活というのは、想像したくない。でもまあ、楽しいのは事実ではあるが。後は読まれるだけだ。でも残念、仕事に発展するほど読まれることもない。
上手く、バランスが取れている。統合失調症には本当に何かしらのweb上での制限が加えられ、拡散がされないようにツイッターのフォロワーが増えないように、または閲覧数が伸びないように、制限が加えられているとしたら、ただ手のひらの上でくるくると回る孫悟空のように、本当に時間をかけて踊っているに過ぎないのかもしれない。
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最近の更新は間隔が短く、助長とも言えるような長ったるい文章が続いているように感じられているが、これは作者の戦略にあります。100話目達成と10万字達成を同時にお祝いしたくて、ながったるく、助長のような文章が続き続けているのだ。お祝いは、お祝いノートに記しておきたい。なにせ『統合失調症(本物)になると、起こること。』の最初の話は文字数が短すぎる。しかし、打算的、計画的になると、読む人は減っていくようにも思われる。次回のお祝いノートは、『♡(いいね)が1000達成』『☆(評価)が100達成』『話数100話&文字数10万字達成』のいずれかになるだろうと予想される。本当に、いいことは書いているような気がする。特に後半はいいことは書いているような気がする。pvが伸びないのは制限を受けているからか、そもそもカクヨムというプラットフォームに書いていることが間違いなのか。普通ならnoteにでも書けよ、と思う。noteの方が、アカウントを創ることなく文章を評価することができるので、そちらの方が圧倒的にいいと思う。しかし、カクヨムに書き続けている理由は……特になし。カクヨムは小説を書く場所であって、統合失調症(本物)の体験記を書く場所ではないのだ。根本から間違っているが、今さら引き返すこともできない。申し訳なさすぎる。
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というわけで、今回何が言いたかったかというと、私には二十代も後半なのに軸が何もできていない、ということでした。友人から客観的な視点で見てもらって、初めて気が付きました。なんやかんやしすぎで、本当は何がしたいのか、全く定まっていないのが、現段階の井上和音でございました。
このエッセイを書くのは楽しい。それは軸のぶれのない真実です。




