認知機能障害は何故起こるのか(僕の場合:昨晩のもののけ姫を観ての感想の感想)
昨晩、もののけ姫がテレビでありました。
統合失調症になる前、もののけ姫を観た際には、アシタカが物語が止まってしまわないように上手く回されている、などという感想を持っていたのを覚えています。
本気で作家になろうとしていたので、物語を観ると全て、構成はどうだとか、セリフはどうだとか、伏線はどうだとか、注意深く色々と記憶しながら観ていました。
それが昨晩、もののけ姫を観た感想は「すげえ」しかありませんでした。何も考えることなく、物語についていくのがやっとで、時代背景やセリフ回しなど考えている余裕などありませんでした。
職場でもそうなんです。認知機能の中でも特に記憶の分野で、著しい落ち込みを感じます。
封筒の枚数を数えていたら、10くらい数えて「あれ? 今僕は何枚まで数えていたっけ?」という状態になります。
本を読んでいてもそうなんです。数学の本などを査読していると、数ページ前に定義された内容をまるまる忘れ、何回も同じページを見返す、なんてことが多々あります。
原因として、統合失調症には認知機能の低下がある、とされますが、それ以上に、統合失調症になって、何をしても無駄なら楽しいことをやろう、と思い、ソシャゲなどに時間を費やした結果、勉強をする習慣がことごとく減ったというのもあげられます。
脳の訓練をしなくなったわけです。脳の訓練はストレスそのもので、何か報酬がないとやれないものです(やれる人もいるかもしれませんが)。
統合失調症になって、一番の落ち込みは、努力をしなくなったことです。ぼーっと過ごす時間がとても増えてしまいました。ぼーっと指先だけを動かしてソシャゲ(ポケモンGOとかパズドラ)を動かし、指先だけを動かすだけで、前へ進むその快適さに、ふあーっとしながら飲み込まれているわけです。
自分で自分をコントロールしようとしない。
統合失調症になって、実家に帰って、環境も変わりました。
一人暮らしの時みたいに、何かに必死になって取り組まないと、人生終わる、と焦っていた時期はもう終わりました。
周りに、勉強を頑張っている人がいません。ツイッター上にはいますが、「それで、その資格を取って何か報われるの?」と自分に言い訳ばかりしています。
簿記3級のテキストもあるし、MOSのテキストもある。毎月、大学への数学を買っているし公務員試験の本だって大量に持っています。やろうと思えばいくらでも時間を割くことはできるのです。
でもやらない。実家に帰ってきて、資格試験会場までの道のりが非常に遠くなり、朝起きるのが苦痛である僕は、資格を取ることも諦めました。ただ資格の知識だけあればいい、そんな風に考えました。
そして、実際は、勉強に手も付けないで、一日が終わっていきます。
ソーシャルワーカーにも言われました「無理に資格を取るよりも今の職を続けることに重点を置いてください」と。
なので、休みの日にはただただ、ぼーっと遊んでいるだけになります。そのことがまた、認知機能の低下に拍車をかけるのです。
勉強をすることは正義だと思っていました。なんなら、学生時代は労働よりも、勉強することの方が偉いことだと思っていました。
しかし、現実。現実は勉強など趣味にすぎないと、父親から言われました。ましてや哲学など何の意味もない。
よく「哲学科の知識を生かして頑張れよ」と父親から揶揄されます。勉強してきたことそのものを否定され、さらに言えば、僕はその言葉に対する反論を持ち合わせていません。
ああ、ただ、僕は遊んできただけなんだ、と思っています。仕事以外全て遊びなんです。勤労感謝の日はあっても勉強感謝の日は無いのです。
学問をするよりも、アルバイトをしている学生の方が、社会に交じり、社会を回している、という点で偉いのだと思います。そのことに、学生時代は気付くことができませんでした。「いずれ誰であれ労働するのだから、若いうちは学問に没頭している方が良い」と考えていたのは甘かったのかもしれません。
これもまた’罪の意識’です。統合失調症患者にはよく起きますね。罪の意識からは逃れることができない、それだけは結論として書けることなのかもしれません。




