よくしゃべって仕事をしない先輩との、有意義な会話。
三月が終わる。
三月になって、急にブログにやる気を出した、三月が終わる。
三月で、ツイッターに意見を貼り付けるのはやめようと思う。何か新しく、広めなければいけない、という特筆した記事以外は、貼り付けるのをやめよう。
貼り付けられた側からしたら非常に不愉快だ。私でもそれくらい分かっている。
昨晩の天気予報が外れ、雨はやむことなく降り続き、雨のなかを自転車で走り退勤した。
私の将来予想図では、東京に住みながら、自動車で通い、夜八時ごろ帰って、テレビを観てビールを飲みながら、投資などの勉強をしていたはずだった。
なんだこの高校生感は。
課内異動後、仕事ができないことがばれてしまった。隣の席の人がよくしゃべる人で、ついついしゃべり続けた。仕事は全く終わらずに。でもそれでいいような気がする。クビにならなければそれでいい。本気で思っているが、クビになったらどうしようかと思う。
私と職員さん以外の全ての人が帰った後、その職員さんが、別の職員さんとこそこそと話をしているのが聞こえた。「○○さんは、そういう心持で仕事に向かっていたんだね」と聞こえ、その後、二人は出ていった。恐らく私の話だろうと思われる。恐らく課内で二番目に喋っていたのが私だったからだ。「井上さんは全然仕事ができない」といった話もされたのだろうと思う。クビになりたくない。しかし、今の職場は少し過酷だ。終わることのない仕事を延々と打ち込んでいく。AIが読み取って文字化すればそれで終わるような作業を延々とやっている。よくしゃべっていたその人は、帰りのセレモニーの中で「私も辞める側に立ちたいとずっと思っていた」と明言した。職員さんはそのセレモニーを受けて、その人を評価したのだった。
今日行われた席替えも、その人を孤立させた。「やることが変わり、ブーブー文句を言っていた」と職員さんが言っていたのが聞こえてきた。「同じ人間なのにどうして《《上と下があるのだろう》》」と胃が痛くなってきた。私も下の人間の対象だ。障害を持っているという特権など関係ないように思われた。よくしゃべるその人とは席が離れたが、私のやることは変わらないと思う。「頑張らずに、とにかく続けることを優先する」。その程度だからどの面接でも受かることが無かったのだろうと思われる。
そのよくしゃべる非正規の職員さんからは「コンタクトに変えたら、あなたは面接も通る」と言われた。そうかもしれない。「眼鏡の見た目ではひ弱な印象しか受けない」と言われた。そうかもしれない。しかし、正職員になることが本当に幸せなことなのだろうか、と本気で心配した。「正職員になることが幸せになるんですかね」と聞いたら「幸せなんてないよ。後から振り返って『あああの時は幸せだったな』と思うだけだよ」と答えてくれた。この世に幸せなどないらしい。それが先輩からのアドバイスだった。




