引用がなんなのか分からなくなって全く眠れなくなった。
記事の大部分を、盗用に使えばそれは転載になるだろう。しかし、魅力を伝えるために記事の中の少しの量が本文だったら、それは引用になるだろう。書評で引用してはいけない。そんな馬鹿な話は無いだろうと、布団の中で逡巡して眠れなくなった。誰か助けてほしいが、本を読めばいいのか。書くこと自体間違っているのか。
慎重に、慎重に書いていかなければならない。公表不可になることだけは避けたい。しかし、引用のない書評などあり得るのだろうか。哲学科では、反対に引用が無ければ論に値しない、「不可」となることが決まっていた。「現代哲学のキーコンセプト」を開いてみたら、注意書きなど何も書いていなかった。ショーペンハウアーの「読書について」にも何も書いていなかった。引用は、逆にされた方が宣伝になるのではないかと、私の頭の中でぐるぐると回り続ける。
寝よう。ダメだ。朝に起きれないのが一番ダメだ。今回はすまないが、1000文字いかないで終わる。法律の部分を考えてみても、転載禁止となっている場合に引用してはいけない文書は公文書だけだった。全く分からないが、この著作権の問題は議論すべき問題だと思う。
引用元ももちろん示している。引用と本文の区別も明確に行っている。本の良さを際立たせるために、飾りとして、記事の頭に載せることは、まさに記事本体の従の役割を与えているのではないか? 何も問題がないように思われる。すまない。健康のためにもう寝る。転載も盗用も一切していないことをここに宣言する。ただ多くの人に、歌や本の魅力を届けたい、ただそれだけなのだ。
600字程度だが、筆をおく。後日文字数を追加するかもしれない。
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後日、色々調べた。
『歌詞と著作権。』
(https://vimclip.jp/copyright-wordsofsong/)
『書評ブログの書き方と著作権について』
(https://genussmittel.biz/about-copyright-study#)
このブログの中で、根本となる引用の法律も載っていた。引用に関する法律を引用
するのもおかしいが、少し時間がないので手短に書く。
①
『(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。』出典:著作権法e-Gov法令検索(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048#267)
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時間を空けて、もう一度この記事の完成を目指そう。
②『たまに無断転載禁止と書かれた記事や画像などを見かけることがありますが、実は法的な効力は全くありません。
著作権者がパクられたくないために「脅し」として書かれているだけで、契約関係のない一般の引用者であれば自由に使えます。引用を禁止する権利は誰にもないのです。
ですから、もし自分の著作物を引用されたくないのであれば、世間に公表しないことです。それ以外に引用を防ぐ方法はありません。
またそのような脅し文句を書かなくても、どこかに申請しなくても、歌詞を書いた人に著作権は自動的に付与されますし、そもそも引用以外の無断転載は著作権法によって禁じられています。無断転載された場合は、ライセンス料として損害賠償請求をすることも可能です。』『歌詞と著作権。』
(https://vimclip.jp/copyright-wordsofsong/)より引用。
すなわち、①において、批評など目的があって、ルールを守って引用すれば、引用してもいいですよ、という意味になる。
そして②において、無断転載禁止と書かれた文章でも、紹介したければ引用していいということになる。法的な効力は全く無いのだ。
むしろ引用して、正確に批評などを行えば、好きな本を紹介することだって、法令上は可能なのだ。
「好きだ。紹介したい」という気持ちがあれば、引用はOKだ。出自もちゃんと書くのは当たり前として。
というか、調べ終わった私の感想としては、こうだ。
ワンピースのルフィが、ナミを助けようとした時に発した言葉、
『当たり前だ!!!』
という気持ちである。
だから、はてなさん、またはカドカワさん、このブログを突然公開停止にしたりしないでね。せめてメールで何かを知らせてから、問題が発生していることを伝えてほしい。
以上で終わりだ。哲学科で学んだレポートの創り方と同じように、記事をこれからも作っていければいいと思う。




