真逆のスライドSHOW(ショウ)
物事には、必ず真逆の対が存在します。
それをわたしは『龍と人間のハッピーセット』と呼んでいます。
絶望と同じだけ希望が存在し、悲しみと喜びはセットであるコト。
『遠ければ遠いほど、勝ち取る喜びはきっと大きいだろう』
※KAN『愛は勝つ』1990年作詞・作曲KAN
という歌詞のように、片割れの龍は、『真逆の対の世界』の存在を教えてくれます。
真逆の対で仲良しが龍と人間。
どんな絶望も希望がセットで、失えば得て、得れば失う。
〜大切な人との別れ〜
誰もが恐れ、不安の対象となることかもしれない。
『失った事を嘆き、悪しきもの』と、悲しみとして味わうコトも
『あった事を尊び、永遠の価値』と、喜びとして味わうコトも、
すべては同じ事象から。
どっちが良いという事ではなく、
答えは『本当はそうしたかったから』選んでいるのです。
常に真逆が存在し、龍と人間のハッピーセットは、最終的には幸せにつながっているコト(琴)の所以である。
『嫌なことをやっている』は、
『嫌なことなのにやっている』にも変換できる。
例えば、もしかしたら
『そこまでしてやりたい事』なのかもしれないと疑ってみる。
『生活のため、お金のために』というなら、その先に何があるのか。
お金に求めるものが、『安心感、優越感』だというのなら、その根底にある『不安と劣等感』のもとは何か。
そこに根源がある。
根源は、『不安と劣等感を癒すコト』
悪の根源とは?悪の根源は愛である。
愛するが故にある増悪。
陰と陽、光と影、男と女、悪魔と神。
『常に真逆の対が鏡となって』
進む方向を教えてくれる。映しだしてくれるスライドSHOW。
戦争も、殺戮も映画であるとも言える。
自作自演とも言える。常に真逆がセットになっているのだから。
ここで、常に真逆が存在する『戦争』をテーマに、
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著者のトーマイタルさんのブログより引用いたします。
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※以下『戦争を終わらせた日』より抜粋
【愛と知恵の愛知】
愛知県半田市の「中島飛行機の工場」
ここでは、1400機もの世界最高水準を誇る戦闘機がつくられ、太平洋戦争初期、日本は快進撃をつづけていました。
特に、「疾風」と呼ばれていたゼロ戦は、当時、世界一の飛行機で、たくさんのアメリカの戦闘機を、撃ち落としていたので、アメリカ軍の脅威になっていたという事です。
※月光仮面の歌の『ハヤテのように〜』モデルのようです。
しかし後に、アメリカの物量作戦にあい、戦局が不利になると、国は戦闘機の2.5倍の増産に踏み切ったのです。
熟練工が出陣するなか、学徒が全国から集められ半田に送られ、戦闘機の製造にあたりました。
「お国のために…」という思いで、学徒動員の生徒たちは、劣悪な労働環境の中、味噌汁と御飯だけという食事で、毎日12時間以上の長時間労働に従事したそうです。
これだけ優秀な戦闘機を製造していた工場ですから、アメリカ軍による凄まじい空襲も受けています。
アメリカからすれば、なんとしても潰したい場所だったのです。
そんな中、1944年年12月7日の夜、午後1時36分に、 M7.9という関東大震災に匹敵する地震が東海地方を襲ったのです。
最大の被害に遭ったのは、半田市の中島飛行機の工場でした。
当時の現場にいた人の証言によると、避難しようとした人々の上に、壁が崩れ落ちてきたそうです。
「 くるしい、たすけて、おかあさん…」生き埋めになった生徒たちの声が、あちらこちらから、聞こえてきたそうです。
とても凄惨な光景だったようです。
学徒96人を含む、153人が死亡。
ただし、この時の死者の数は、記録されていないだけで、実際には、もっとすごい数の人々が、この地震で亡くなったと言われています。
数万人という説もあります。
この大地震については、当時のアメリカ軍からの攻撃で、『人工地震』であったようです。
2011年8月には、NHKでも、この出来事がテレビで放映されていました。
「封印された大震災~愛知・半田」という番組名でした。
これは、「終戦記念日特集」ということで、NHKスペシャル番組が全国ネットで放映されたのです。
※このNHKの番組担当職員はのちに死亡しています。
よほど、この出来事は知られたくないようで、当時も箝口令が敷かれて、国民に隠されたみたいですが、現代でもあれ以来、これを報道するメディアは、ほとんどありません。
戦後、当時の中島飛行場の工場の生き残った技術者たちは、「自動車」の生産を始めたそうです。
GHQは、「日本人には、もう二度と戦闘機や戦艦などは、作らせないぞ…」との想いから、これらの製造を法律で禁止したのです。
日本人の技術者が飛行機を製造していたら、絶対に墜落しない飛行機を作っていたかもしません。しかし、それができなかったので仕方なく、自動車の製造に取り掛かったそうです。
それが、現在の「富士重工」という会社だそうです。
「スバル」という自動車で有名ですね。
「昴」、つまり、「プレアデス」という名前の会社です。
この会社以外にも、当時の技術者たちは、
「トヨタ自動車」、「本田技研」、「ヤマハ発動機」などに、就職したそうです。
だから、日本の自動車産業は、東海地方のあたりで盛んだったんですね。
ここで特筆すべきは、家族や友人などを、アメリカに殺された、この技術者たちが仕返しをしなかったということです。
とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは思いますが、
「あれは、戦争だったから、仕方ないかもしれない…」
こういう冷静で、客観的な視点もあったのだと思います。
これは、愛知県半田市だけじゃなく、当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、終戦記念日を迎えたのです。
軍事的な仕返しを、やらなかったということです。
復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で知っていたのだと思います。
では、何をしたのかというと、それが前述したように、「自動車の生産」だったということです。
「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」
戦闘機が作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。
それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。
1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。
ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。
これが、どういう意味か、わかりますか?
「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」
こういう姿を、世界中に見せつけたということです。
世界史上最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたとうことです!
「負けて勝つ!」こういう高等な戦略を、世界史上初めて、地球上で体現して見せた国が、
「日本」なのです。
第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に一度負けて、1980年代に世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。
おそらく、そのために、わざと負けたのだと思います。
もしかしたら、
「プロジェクト フェニックス(不死鳥)」というような名前の計画だったのかもしれません。
「日本軍」は、「アメリカ軍」や「連合国軍」なんぞ、眼中になかったということです。
もっと壮大で、地球規模の高次元の戦いをやっていたのです。
日本は、「戦争」という名の本当の悪魔と、戦っていたのです。
そして、地球の歴史が始まって以来初めて、その戦いに勝ったのです!
数千年~数万年間の世界の歴史の中では、「戦争に勝った国が豊かになれる。
戦争に負けた国は、皆殺しにされるか奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」これが常識だったのです。
それを長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。
要するに、「戦争で勝つことには、意味がない」これを教訓として、世界中の人に教えたのです。
「戦争」を無力化したのです。
これが、「愛」です。
そして、「知恵」です。
そして、それが始まったのが、日本の「愛知」という土地だったということです。
「自分を傷つけた相手に、復讐するエネルギーがあったら、もっと別のことに、労力を注ごう! 日本中、そして、世界中の人を豊かにするために働こう!」
これが、戦後の日本人の精神だったのです。
何千年も、
『やられたらやり返す』宗教戦争をやっている国々とは違うのです。
これが、「本当の愛」だと思います。
「第二次世界大戦では、日本は負けていない」という解釈もあるそうです。
というのは、日本の第二次世界大戦において、そもそもの「戦争目的」は、「欧米列強から、アジアの国々を解放する」というのが、目的だったわけで、そのために、「大東亜共栄圏」という構想を、計画しています。
そして、戦後アジアは、欧米諸国の植民地から、解放された状態になったわけだから、日本の戦争目的は、達成されたということなのです。
だから、「負けた」というのは、あくまでも、「アメリカなどの国に負けた」というだけの話で、日本は、「自国が掲げた戦争目的は果たした。だから、あの戦争は成功だった」という解釈もできるのです。
繰り返します。「戦争というのは、戦争目的を達成すれば、戦争に勝ったことになる」ということです。
だから、日本は、戦争には勝っているのです。
ただ単に、アメリカに負けたというだけの話です。
だから、8月15日は、「敗戦記念日」と言わずに、「終戦記念日」という名前になっているのだそうです。
「戦いを終わらせた日」これが、1945年の8月15日なのです。
世界史の中で、初めて、「戦うことに、意味がない」という流れをつくった、歴史的にも、素晴らしい日なのです。




