9話 狂者の襲撃
「美味いな……、ゲヘナにはこの様な飲料はない。各地の品々でもこの様なものは飲んだことがない」
確かに美味しいが、お茶ぐらい、世に溢れている。そこまで食いつくことでもないと思うのだが。
「紅茶やコーヒーは飲まれないのですか?」
「コウチャ、コーヒー、その様なものは知らん」
流石にそれらを知らないのは無理があるのでは。この二人は私を騙し、何をしたいのだろうか。
「貴公、少しよいか」
「はい? なんでしょうか」
「フィオナ嬢に出会った時から、疑問に思ってはいたが、なぜその様にゲヘナとツァバートの言葉を流暢に喋れる」
「…………」
そういえば、頭のおかしい方達であった。
「この村はともかく、ゲヘナは知らなかったのではなかったか? 我らは貴公とフィオナ嬢に対して、ツァバート語で話した。ゲヘナ語は知らないと思ったからだ」
日本語で話していたと思うのだが。
「フィオナ嬢はツァバート語で返したが、貴公はゲヘナ語で返答した。違和感はまだある。それを聞いたフィオナ嬢が疑問なく会話に加わっていたことだ。試しにフィオナ嬢にゲヘナ語で話してみたが、全く伝わらなかった」
彼女の言い分からは聞く人によって、別々の言語に聞こえているというのか?
まさか、日本語で会話していたではないか。彼女の言うツァバート語やゲヘナ語で会話した覚えは全くない。これは、どういうことだ? 今までのがドッキリでないとわかった以上、この村やこの二人が私に何らかの悪意を抱いて、騙しているか、頭のおかしい方達としか思えない。
「私達は日本語で会話していたと思うのですが」
「貴公の言う、ニホン語とやらは、本当に存在しているのか?文字はあるか?」
「ありますよ」
「試しに書いてみるがいい」
リテーリアさんが持っていた袋から、紙と羽根ペンを取り出し、手渡してきた。
「あの……、インクがないのですが。書けるのですか?」
「無くても書ける」
いや、書けないと思うのだが。ほら書けない。
「やはり書けないのですが」
「紙に付けていなければ、書けるはずなかろう」
「わしには付けていたように見えたがね。ソトガミ君、すまないが、もう一度書いてみてくれないかね?」
「ちゃんとつけていますが、書けませんよ」
「……、貴公、少し返してくれ」
リテーリアさんにペンを返すと、彼女はインクもつけず、そのまま紙にペンを走らせた。しかし、今度ははっきりと白い紙に赤い文字が書かれている。
「書けるではないか」
どういうことだ?
書かれたのは見たことがない文字だったが『ブラクワッハ』、そんな意味も分からない言葉が思い浮かぶ。
本当にこれはなんだ。
「どこか押しながら書く必要があるのですか?」
「必要ない」
今度は羽根の部分を持って、書いて見せてくれた。先ほどよりはかなり崩れているが。
「本当にわかりません。フィオナさんが来た時にその件で試したいことがあるのですが、大丈夫でしょうか?」
「一先ずは貴公の言葉を信じよう。だが、これで書けることは分かったはずだ。もう一度書いてくれ」
再び、手渡されるがやはり書けない。
「……、何故書けない?」
そりゃ、インクもなしに書けるわけないだろう。
「わしも書いて見せよう」
アルセドさんも文字をすらすらと書いている。再びペンを手渡される。
「……手品をされているのですか」
「むしろ、何故書けないのかを……」
っ!? なんだ、今、二人が一瞬にして……、まるで逆再生されたみたいな。
「貴公、少し返してくれ。……どうしたのだ?」
「え……、いや、先程書きましたよね?」
「何を言っている? とりあえず、貸してみろ」
彼女は先ほどと同じようにインクもつけず、赤い文字を書いている。だが、さっき書いたのはいつ消したというのだ。
「書けるではないか」
文字の内容はまた『ブラクワッハ』が思い浮かぶ。
「これで書けることは分かったはずだ。もう一度書いてくれ」
再び、手渡されるがやはり書けない。
「……、何故書けない?」
「いや、先程も見せたと思うのですが……」
「貴公は何を……」
「きゃああああああああああっ!」
っ!? 今のは、フィオナさんか!?
「貴公、行くぞ!」
「……はい!」
叫び声の方向に向かうと、そこにはフィオナさんと血だまりに倒れたカールさん、刃物を持った白いローブを着た女性がいた。
……困惑している? それにしても、治安悪すぎないだろうか、ここ。
「お、おじいちゃんが……血を出して、倒れて……あ……」
気を失ったフィオナさんを、リテーリアさんが受け止める。
「貴様、何者だ」
女性は返答せず、そのままリテーリアさんに突撃してきた。
「っ! 貴公!」
咄嗟に突き飛ばされたフィオナさんを、何とか受け止める。リテーリアさんの方は突撃してきた女性の刃物を躱し、そのまま間髪入れず組み伏せた。ナイフを奪い取り、女性の首に突き付けている。
……いざという時、どう逃げようか。
「答えよ、貴様は何者だ」
「……ふっふふ! その様な黒いゴミを匿っている売女に答える義理はありませんわっ!?」
こちらを見ているということは私のことだろうか?初対面のはずだがえらい言われようである。
「……今から貴様のナイフで少しずつ喉を切っていく。死にたくないのであれば、疾く答えよ」
女性の白き首に、ナイフがつぷっと入り、ゆっくりと潜っていく。
「殺せばいいわ! あなたみたいな売女、天罰が下るものっ! わたくしは救済されるの! ふふっ……アハハハハハハハ……っ!ゴフッ……」
ナイフは一気に女性の首を掻き切った。
……映画ほどでないにせよ、結構飛び出るのだな。しかし、この人は殺したいのか尋問したいのか、わからない。それにこれは正当防衛と言おうにも無理がある。私は殺人自体には関連してないと、証明できる方法を考えねば。
「ああ、これはひどい。彼は中々話が分かる男だったのだがね」
遅れて様子を見に来たアルセドさんは手を額に当て、首を振っている。
「この売女が何のために村長を殺したのかは不明ですが、一先ず、他の村人に説明すべきでしょう」
「こういう時はまず先に警察に通報した方がいいと思うのですが」
「……通報? ツァバートの警備兵を呼べと?そちらの方が厄介だ」
リテーリアさんは女性を壁に投げ捨て、澄ました顔で返り血を拭った。
この状況、どうみてもリテーリアさんが二人を殺害したと思われるだろうな。
「この村の人だと、副村長のアルバンさんに説明するのがいいと思います。ですが、この状況では我々が言っても信じてもらえないでしょうし、酷なことですがフィオナさんに事情を説明して貰うのがいいと思うのですが、いかがでしょう?」
「フィオナ嬢のことを考えると心苦しいがそれが一番だろう。我々だけでは村全体を敵に回しかねない」
声をかけ、体を揺らしたが、中々起きないため、諦めて、フィオナさんを背負った。
背中と腕に柔らかい感触があるが気にしてはいけない。首にも何ともこそばゆい感触があるが気にしてはいけない。
家を出ると、辺りの民家は燃えていた。村人はあの女性と似たような人々に追いかけられ、捕まっては殺されている。
「恐らく彼女らだろうなぁ。実に面倒だなぁ……」
「ええっと、アルセドさん?」
「ああ、いかんいかん。ソトガミ君、逃げよう。この村は狂人に襲われている」
「主君、数次第では我らの加勢で追い返せるのでは」
「リテーリア君、いかんよ。戦わずにすむなら逃げるに越したことはない」
「ええっと……」
「いいかね、ソトガミ君、今この村を襲っているもの皆は君を殺そうとしている」
過激な人種差別団体か何かか。いやそれよりも、私が狙われていることの方が問題だ。
「とにかく、急いでこの村を離れよう」
「ソトガミ、我らを疑っているのはわかる。だが信じてくれ。今ここで貴公に死なれるわけにはいかないのだ」
「わかりました。しかし、フィオナさんはどうすべきでしょうか?」
「貴公はどうしたいのだ」
「可能なら安全な場所へ連れていくべきかと」
「構わないともお嬢さんには恩がある。わしとて、救える命は救いたい」
話していたが、白いローブの人々は私を見ると、一斉にこちらに向かってきた。
「見つけましたわ!」
よく見ると全員女性?
「多いな。ソトガミ! 村長の家まで引くぞ!」
「わかりました」
「よし、行こう。ソトガミ君」
「……んん」
それまで、背中から聞こえていた寝息が急に途切れる。
「……あれ、わ、たし……は?」
「ソトガミ! 止まるなっ! 早く家に入れ!」
そうだ、早くしなければ……!
力を振り絞り、扉に向かう。
……しっかし、重いな。
「ふぇっ!ソトガミさん!? 私っ、どうして、おんぶされているんですか!? それにあれっ何で血……」
「後で説明するので、今はちゃんと掴まってください!」
重心を後ろに持ってかれると、倒れそうなのだ。
「避難したな! よし、貴様らを殺す」
「一人で私たちを殺す? お笑いですわ……ね? ……ごふっ」
「知らん、死ね」
「……っひ……っ……っ……んくっ……ぐすっ……」
家に入ったはいいが、改めて、祖父の亡骸を見て、座り込み泣いてしまっている。
「ソトガミ君、私はリテーリア君の手助けをしてくるから、お嬢さんの傍にいてあげなさい」
アルセドさんも正直戦力になるのかとは思うが、まあ弓ならそれなりに支援になるだろう。しかし、矢が見当たらないが。いや、袋にでも入っているのだろう。もし二人が駄目だったときは……、今のうちに出口を確保しておくべきか。
「わかりました」
アルセドさんを見送ったが、泣いている声が止んだことに気が付く。フィオナさんの方に駆け寄るがどうも様子がおかしい。俯いたまま、ぴくりともしない。
また、失神したのだろうか。
「…………あはっ……私……また一人……あ……あはっ! 一人! 一人! 怖い怖い怖い怖い助けてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて……」
失神より酷いことになっていた。とりあえずは落ち着かせるべきか。
「あの、フィオナさん、だいじょ、 っうぶ!」
肩を叩き、声をかけている途中で強い力で腕を引かれたため、バランスを崩し、膝をついてしまった。
「あ……あ……ああ………」
虚ろな目をした彼女はそのまま抱き着いてくる。
「あぁ……これぇ……わたしひとりじゃない、ソトガミさんがたすけてくれた。ソトガミさんがすくってくれた……。あは! わたしこわくない! こわくない! あはっ! あはははははははは!!」
何だこれは。目の前の少女の豹変ぶりに困惑する。
「あの、フィオナさん? 一旦落ち着きましょう」
様子がおかしい彼女から離れようとするが、さらに強い力でそれを阻止される。
「……ふふ、ソトガミさん、わたしもうこわくありませんよ。わたし、わかったんです。ソトガミさんさえいればなにもこわくないんです。だから、はなれません……」
どうするべきか。今の彼女は明らかにおかしい。正直に言えば、彼女から一旦離れたい。いくら向こうが強く抱き着いているとはいえ力はこちらの方が強いのだ。引き剥がすことは出来る。しかし、このまま彼女を無理やり引き剥がして良いものだろうか。
「ソトガミさん……ソトガミさん……あぁ……」
すりすりしてくるのはやめてほしい、思考が狂う。まあ、時間が立てば落ち着くだろう。またあの状態に戻る方が厄介だ。
半ば諦めつつ、彼女にされるがままであったが、不意に物音がする。
正面から入ってこない辺り、恐らくは……。
「ふふ、見つけましたぁ。いくら強くても数で勝っているのはこちらですわぁ。二人が来ない間にぃ……私があなたを殺せばいいのよぉ?……うふふふふふふ」
これはまずい、こちらは何も持ってない。投げ捨てられた女性の持っていたナイフを取りに行かねばならないのだがフィオナさんは一向に離してくれそうにない。
「あはっ……ソトガミさん、駄目ですよぉ? 私離れません……。だって、そしたらまた一人……そんなのは嫌です……。いや……いや……いや……ふふ、いいじゃないですか。皆死んじゃいました。私……ソトガミさんと一緒なら怖くありません」
そうか、それは実に勇敢だ。だが、私は英雄気質何て、微塵も持ち合わせていないので人並みに怖い、そして、嫌だ。ここで仲良く死ぬよりは後で宥める方がましだろう。
覚悟を決め、フィオナさんを無理やり引き剥がしにかかる。
「フィオナさん、危険ですから一旦離れて後ろに!」
「嫌ですっ! 離れません、離れません! わたし一人は怖いんです! また一人は嫌なんです! 嫌! 嫌っ!」
離れまいと、何度も何度も必死に抱き着いてくる。そうこうしている間にも白いローブの女性との距離は近くなっていく。
多少手荒だが仕方がない。
「……きゃっ!」
彼女を突き飛ばし、ナイフを取りに行こうとする。
だが……。
「……っ」
脇腹にじんわりと熱さが広がっていく。
この感覚を私は知っている。
「痛いですかぁ? でもぉ、黒いあなたはぁ存在してはいけないの。ねぇわかる? わたくしはこの世界を救っているのよ」
刺さったまま、ぐりぐりと動かされ、激痛が私を襲う。
「あ……ソトガミさん……ソトガミさんっ!」
「っぐ……っ……」
「声はあげないのね? せっかく苦しませてあげているのにぃ。でも、駄目よぉわたくしぃ、このゴミを苦しませ続けたいけど、殺さなきゃ。わたくしは慈悲深いのですもの。衆生の救済が最も望まれていること。だから……」
「何をいっ……」
続きの言葉を発することは出来なかった。薄れゆく意識の中で理解したのは、首筋に何かが刺さっていること、狂気の笑みを浮かべる女の顔だった。