48話 女神の寵愛
……疲れた。
ベッドに横になりたいが、私は机に向かい、ペンを執っている。
エストリーとまた夢で会えるか試すため、早く夢に向かわねばならないという気持ちもあるが、それでも、私は新たなる問題を抱えているのだ。それはあの洞窟で起きた記憶が消失した現象についてだ。私の記憶喪失というものは何かが引き金となり、起こってしまうものらしい。現状、それが何かは特定できていない。だが、このままでは他者からの情報でしか、判別は出来ないのだ。次に私が記憶を失う際に、どの程度、記憶を失ってしまうかも、わからない以上、現時点で覚えている範囲で重要なことをメモしておかねばならない。忘れてしまっても、これを見て、私が書いたと分かるように。
しかし、どうしたものか、日本語で書けば、いいのかもしれないが、それだと、エストリーの魔術の様に翻訳が可能かもしれない。まあ、私みたいに無条件で読めるのなら、お手上げなのだが……。とりあえずは、そうだな。ベースはローマ字を用いて、日本語として、読む方式で書き連ねるのはどうだろうか。それであれば、記憶を失った私が読む際の解読難度は抑えつつ、他者の解読難度は僅かに上げられるだろう。
一先ず、ここに書くことは私が何者かで、その後にこの世界での日付、場所、朝、昼、夕方、夜かの、大まかな時間帯、私が抱えている日本に帰るといった問題から、女神やあの触手、そして、現時点での友好的と思われる人物、さらに、記憶の損失状況とその状況……あとは、ああ、そうだ。私に関しての重要な秘密を知っている者を別途、記載しよう。それも必要なことだ。
やはりというか、思っていたよりもというか、ローマ字で書くのは手間で、やっぱり、日本語で書くか考え直したが、情報漏洩の危険を考え、ローマ字を用い、私はそれらの状況を日記に書き連ねた。
やっぱり面倒くさいな。もっと、何か、いい方法はないだろうか?
……まあ、いい。今回は初回で書くことが多かっただけだ。次回からは多少書くことは減ると期待したい。とりあえずはもう寝てしまおう。あの世界の時間の流れはいい加減な感じはするが、だからこそ、もし、エストリーがすでに寝ていたのなら、私は下手したら、彼女を相当待たせているかもしれないのだ。
記録ですっかり億劫になった私はベッドに向かった。横になると、疲れというのはやはり感じる。今日という一日はあの洞窟から、歩いて帰り、ドーレスさんの屋敷に行き、夜中にアルセドさんと話し、部屋に戻った後はフィオナさんを宥め、そして、面倒な方法で日記を書いたのだ。要約すると疲れた。出来る事なら、あの夢になど行かずに普通に寝たい。起きたら、まだ、飲み込まれたままなのだろうか? それは正直、勘弁して欲しいのだが、まあ、……行かなければならないだろう。面倒くさいが。
私は諦めと共に勾玉を首にかけ、目を瞑った。
ああ、ゆっくりとだが、確実に意識が沈んでいくのを感じる……。この様子なら、すぐに……行ける……だろう。
「目覚めたのね」
聞いたことがある声がする。だが、エストリーじゃあない。それに妙だ。滑らかで、柔らかな感触がする。間違いなく肉ではない。
「……っ!?」
ここは……!? くそっ! 懸念はしていたのだが、女神がいる……! やはり、エストリーの言う通り、会合場所としては適さないのかもしれない。だが、まあ、飲み込まれたまま目覚めなかっただけましと解釈しよう。
「…………、おはようございます」
「思ったよりも落ち着いているのね?」
「まあ、一応、想定はしていましたから」
まずは女神を適当に宥めて、時間を稼ぎつつ、状況を整理しなければ。
……まず、私は女神のベッドの上にいる。すぐ近くに女神。部屋の構造や雰囲気は前来た時と変わっていないように思える。女神は前と同じ服を纏っている。
「あの、お聞きしたいことがあるのですが」
「何かしら?」
この空間に対しては様々な疑問と憶測がある。一つは私の存在について、ここでの私とあの世界での私と日本での私だ。それらはどうなっているのだろうかということだ。アルセドさん達との出会いを通して、私は何らかの原因で日本から、ゲヘナやヴァルスフィアがあるあの世界に来てしまったと考えた。当然、私の体と意識は白髪の人類の世界に存在し、日本では行方不明になっているだろう。そう考えた。だが、この夢、この空間のことを考えると、今の私はとても不可解だ。
「私がこの空間で目覚める場所って、そちらで指定できたりするんですか? もしくは、ここにいるのは抜け殻みたいになっていた私を運んできたとかですか?」
夢の中で、この空間でエストリーに起こされた私だが、それに関してはわからないことが多い。何故、エストリーはあの空間で私が目覚めるよりも先に私を見つけられたのだろうか? ほとんど同じタイミング、同じ場所で気絶して、ほんのわずかの差で、向こうで意識が覚醒した?
……わからない。あの世界で私が寝て、起きる場所は同じだ。それはこれまでの数回程度だが、確認し、ある程度の確信を得ている。だが、この空間に関しては違っている気がするのだ。私の意識がここで覚醒した時と、あの世界での目覚めで、意識が途切れた時の場所はほとんど一致しない。そして、その時の私は一体、どうなっているのだろうか? それを知るには目の前の女神やフィオナ擬き、エストリーのそれぞれから、聞くしかないのだ。
「どちらでも同じことよ。仮に貴方が違うところでどこか遠くへ行こうとしても、瞬きの間に私の元に連れ戻せるもの」
「っ!? いきなり、何を……!」
「……落ち着きなさい、髪を撫でているだけでしょう?」
何をされたのか、警戒をしたが、言葉の通りらしい。今、私は女神に髪を撫でられている。瞬きの間に、まるで、幼子をあやすように。
そういえば、前回、同じことをされたのだった。本当にどうすればいい? これに対して、対処法など存在するのか? というか、人という存在が叶う相手なのか?
……いや、駄目だな。これを考えるのは何回目だろう。無理なら無理で、それはそれでいいのだ。いや、良くはないが。その時は滅ぶだけなのだ。うん、やはり、良くはない。だが、そんなことを気にしても仕方ない。というか、どうしようもない。ただ、だが、それでも、やるだけやってみよう。まだ、投げ出す時じゃない、多分。我ながら大分適当だが。
「お聞きしたいのですが、その瞬間移動は、鍛錬とか積めば、私にもできたりしますか?」
「今の貴方には無理よ」
「そうですか。それは残念です」
「でも、貴方が貪り続ければ、それ以上のことが出来るようになるわ」
貪る……、多分、牛豚鳥は駄目なのだろう。まあ、聞くだけ、聞いてみるか。
「それはあの白髪の人類じゃなくて、他の動植物とかでもいけたりしますか?」
「貴方はいけると思うのかしら?」
怖い。
撫でる手がピタっと、止まり、慈しみの欠片もない声がする。
……怖い。
「ああ、はい。ですよね。……すみませんでした」
「あまりふざけたことを言わないでちょうだい。私が貴方を貪りそうになってしまうわ?」
「それはやめて欲しいですね」
「それはこの後の貴方次第よ」
展開次第では貪られるのか……。
「まあ、はい、気を付けますよ」
撫でられるのを再開される。
しかし、この状況は何なのだろうか? 何故、急に撫でられたのかも、正直、よくわからないだ、ここで抵抗しても、変に機嫌を損ねてしまうかもしれない。いつ、何をされるのか、わりと気が気ではないが、まあ、仕方がないな。最悪、前回以上のことも受け入れよう。
「…………」
「…………」
静寂の中、名状しがたい良い匂いに包まれ、背中の感触を忘れようとした結果、意識は自然に撫でられている頭に向いてしまう。若干の心地良さとそれなりの不快感が両立している。撫でられる手は多少、心地良いと言えなくはないのだが、それはそれとして、頭を撫でられるのは不快だ。だが、それを言うのは流石にやめておこう。絶対に碌なことにならない。というか、今回はやることがあるのだが。
……だが、まあ、せっかくだし、女神にもいくつか聞いておこう。地雷を踏みそうで怖いが。
「あの……、少しよろしいでしょうか?」
「何かしら?」
「せっかくですが、多少、真面目な話をしたいというか、質問したいと考えているのですが、よろしいでしょうか?」
「無粋なのね。まあ、許すわ」
「ありがとうございます」
私は女神から、離れようとしたが、離してもらえない。
「あの、女神様?」
「このままでも、話すことは出来るでしょう?」
……出来るには出来るが、喉元にナイフを突きつけられながらでも、会話は可能と言われている気分だ。
「嫌なのかしら?」
冷たく恐ろしい声がする。
「ああ、いや、そんなことは」
「賢明なことね」
……これ、わかっていて、聞いたのでは?
「それで? この時間を止めてまで、貴方は何を話したいのかしら?」
「……えと、女神様、私は今回、女神様とこれからについてのことを実際のところで相談をしたいのです」
「これからとは?」
「いくつかありますが、とりわけ話したいのが、女神様があの白髪の人類を滅ぼしたいと言っていることについてです。後は私自身についてです」
「…………」
反応は返ってこない。顔が見えないことが今こんなにも恐ろしいとは。とはいえ、ここで怖気づいても進まない。
「前回も少し話しましたが、私がエストリーを乗っ取っていた存在と対峙していた時のことです。改めて、申しますと、私にはその際の記憶がないのです」
「……貴方は本当に彼女を忘れるのが好きね? そういった呪いをかけたことはないのだけれど」
呪い? 待て、待って欲しい。いや、別にかけられていてもそういうことは出来そうではあったが、それならば、今現在、私の体はどうなっている?
「あの、そうじゃない呪いはかけられたんでしょうか?」
「貴方は知らなくても良い事よ。……そうでしょう?」
「……そうですか、はい。まあ、はい、わかりました」
後でエストリーに調べてもらおうか?
……いや、やめておこう。よくないことが起きそうだ。
「ちなみにその彼女についてなのですが、聞いた話では容姿は瓜二つだと申しておりましたが。それについては何か、ご説明いただけませんか?」
「もう貴方が知る必要はないわ」
「そうですか。ですが、それだと、色々、不都合があるのでは?」
「不都合?」
「いや、あの、例えば、血を飲ませてしまったこととかですかね」
「……それについては教えたところで、貴方は試したでしょう?」
確かに。いや、納得してしまったのは悔しいがそれは、そうだ。間違いない。試す。間違いなく、試す。そういう意味では教えないという選択肢も確かにありだ。うん、確かに。
「……まあ、それに関しては仰る通りかもしれないですが、何でもかんでも試すわけではないですし、ある程度は信頼してもらえると助かるのですが」
「なら、貪りなさい。それが何よりの証よ」
貪りたくはない。私は憂いなく日本に帰れれば、それでいいのだ。この女神のことをいっそ、気にしなければ、私はどうとでもなれるのかもしれない。だが、もう無理だ。エストリーがこの夢に現れた以上、今後も何らかの要因で私の血を飲んでしまった白髪の人類がここに来るのだろう。そして、女神が従わせようとしたのなら、前回みたいなことがない限り、恐らく、どこかで折れて、服従するようになってしまうだろう。そうなったら、厄介なことこの上ない。私自身、いつそうなってもおかしくはないのだ。鋼の精神など、フィクションの中だけだ。どんなに強い人間であろうと、時間さえあれば、精神というものは徐々に綻ぶ、つまり、誰であれ、確実に壊れるのだ。
「そうですか。しかし、はっきり言いますと、今の私の強さであの白髪の人類を滅ぼすとなるとはっきり言って、不可能か、とてつもない時間がかかると思われます。……また、一般に、殺人というのは人々に最大限の警戒と敵対を引き起こします。つまり、現時点で私があの白髪の人類を貪るというのは、比較的、初期の段階で、私の存在を認知させ、警戒させてしまうことになり、そうなっては、あの白髪の人類を滅ぼすことがより、難しくなります。つまり、現時点では事は慎重に、気づかれずに進めていく必要があると思うのですが、そこら辺についてはどうお考えですか?」
まあ、多少なりとも、女神に従順を装うなら、私は誰かしら貪る、もとい、殺さなければいけないのだろう。私自身の手で。
しかし、殺す気はないが、殺さなければならないとしたら、そうだな、死刑判決が下された犯罪者とかだろうか?もしくはもう助からないであろう人物が現れるのを待ち、死ぬ前に殺すとかだろうか?
……これはないな。犯罪者に関しては、死刑執行人にでもなれば、怪しまれないのかもしれないが、現在の立場から考えると難しい。誰かから恨まれるようなことは極力避けたいが、あまりに殺さないと、それはそれで面倒なことになる可能性がある。
というか、そもそも、殺すとは何だ? 何かすごい哲学めいた疑問だが、殺すにしても、剣やナイフで殺したり、毒で殺したり、色々あるだろう。それとも、死ぬ直前の老人の死を間近で看取るとかでも、カウントされたりするのだろうか? それだったら、そこそこ、ありなのかもしれないが、まるで死神みたいだ。
それに老若男女で差は生まれたりするだろうか? 若者と老人が等価ではないかもしれない。もし、若者の方が価値があると言われたら? 赤子は?
……まあ、聞くのはやめておこう。これに関しては知らなくていい。
しかし、秘密裏に事情を話したら、協力して貰えたりするだろうか? 例えばだ、定期的に殺す用の赤子を一定の男女に交代交代で産んでもらい、そして、殺す。そして、そのために一定の金額で赤子の所有権を放棄するための契約を結ぶのだ。それなら、……いや、どこの悪魔だ。それこそ、昔話に出てきそうな鬼だな。
うーん、難しい。実際、社会的影響が少ない人物を殺すといっても、倫理的な問題には確実にぶち当たる。いっそ、気にしなくてもいいのかもしれないが、それは違う。私はどちらかといえば、社会をより良くしたいし、人は救いたいのだ。だから、正直な話、こんな真逆のことをするつもりはないのだ。だが、まあ、何かしら考えなければならないだろう。
「…………」
というより、無言はやめていただけないだろうか。またしても。何か、地雷を踏んでしまっただろうか?
「……あの」
「些末なことを気にしているのね。貴方がそんなことを考える必要はないわ」
「それは何故です」
「貴方が捕まっても、殺されても、貴方の貪りを止める術をあの白髪の人類は持ち得ていないわ」
「それは、あの肉塊が妨害や殺害を行うということですか? あと、流石に殺されたら、どうしようもないと思うのですが?」
「ふふ、まだ、意地を張るのね?」
「意地とは?」
「ねえ、貴方? 今の貴方はとても脆いわ」
女神の右手が服越しに私の体を、味わうかのような、舐めとるかのような手つきで這っている。
「体も、記憶も、貴方はここまで何一つ、保てていないでしょう?」
……確かにそうだ。認めるのであれば、私は何度も死んでいるのだろう。そして、記憶も何回も失っている。この世界に来たばかりの感覚だが、すでにそうなっているのだ。そして、それは今後もそうなるという運命を暗示している。
「でも、それが貴方でもあるわ。だから、昔の私は貴方のその脆さに、私という存在を刻み込もうと考えたわ。あの肉どもに、私の邪魔をするすべてに破滅が届くように」
「あの破滅とは一体?」
「貪り、混沌、狂気、それら全てが厄災となって、あの肉どもに広がるのよ。だから、貴方はただ、貪ろうとすれば、いいのよ。そうすれば、厄災はあの肉どもを残らず、滅ぼすわ」
……どうするんだ、これ? アルセドさん達と協力とか言っていたが、もうすでにそんなものじゃどうしようもないんじゃないか? うーん、どうしたものか。このまま、諦めて、何か、よくはわからないが、滅んでくださいとでも言うしかないのか?いや、ないな。それだけはない。
正直な話、こいつを滅ぼせるなら、滅ぼしたい。だが、そんな手段は持ち合わせていないし、激情したところで、解決するようなことではない。だが、こいつを滅ぼす方法を何としてでも見つけなければならない。白髪の人類が滅びる前に、私達の人類にまで、被害が及ぶ前に。
あと、指を何度も何度もループして、這わせるのをやめてほしい。思考が狂う。
「……その厄災は私が死んだり、記憶を失うたびに発現するということですか?」
「ええ、今の貴方には必要なものよ。脆さや矛盾を含んでこその貴方だもの。それに勘違いしているようね? これは貴方も望んでいることよ」
望む? 私が? まあ、人類が滅ぶぐらいなら、白髪の人類のことは正直諦めるが、可能な限り、助けたいとは思っているし、人類に危害が及びそうなこいつの存在を認めてまで、滅ぼそうとは、今の私は考えていない。こいつの言うことをいちいち信頼するのもあれだが、まあ、そういう考えに至った私がいたということは一応、考慮しておこう。
「……そんなに滅ぼしたいのであれば、正直、私が死んだ時に限定するなんて、回りくどいことをせず、常時、破滅を振りまけば……っ!」
激痛と共に、視線を向けると、女神の右手が私の脇腹を抉り、内部に潜り込んでいた。指はさらに深く入り込み、私をかき混ぜている。当然、苦痛は増す。
「……ぐっ!」
女神を止めようと潜り込んでいる手を掴み、抜き出させようとするが、最初から、そこに固定されていたかの様にまるで動かない。
「貴方の言うとおりだわ。でも、貴方が邪魔をしていることなのよ? 白痴の貴方、きっと、こう考えているのでしょう? 本当はあの肉など、どうでもいい。私のことも滅ぼしたいと。ふふ、嬉しくなってしまうわ。私は貴方が愛しくて、愛しくて、滅ぼしたいと思っているのよ? 関係がない。ええ、そうね。そうじゃないわ。でも、貴方は白痴なのだから、滅びないの。でも、それで私の憎しみが消えると考えているのかしら? ねえ、白痴の貴方? 私と貴方、似た者同士ね? どんなに愛し合っても、私と貴方は邪魔をしあうの。どんなに憎んでも、お互いを滅ぼせないの。でも、傷つけあうことは出来るわ? 何度でも、何度でも、何度でも、私は貴方を、貴方は私を滅ぼせないとわかっていても、憎み合うの、傷つけあうの、……そして、愛し合うのよ」
……この女神のことを私はまるで理解できていなかったらしい。そして、それは今もそうだ。
体はこれでもかというほど、苦痛を訴え続けている。
「ふふ、本当は貴方に合わせて、愛し合うつもりでいたのだけれど、これも甘美な時間だわ。ねえ、貴方?」
「……生、憎と、私に、そういう趣味は、……っ。そういう趣味はない!ですね!」
そう言うと、女神の手が止まる。
「……っ!」
体から、指がするっと、抜かれる。当然、痛い。
私の首を軸に女神は私の正面に回り込んだと思うと、血の付いた手と綺麗な手の両方で頬を優しく撫でられる。異なる得も言われぬ感触とともに、視線は美しいそれから、目を離せずにいる。
「これは私の趣味、貴方が私に芽生えさせた感情……、でも、貴方は忘れてしまったのだったわね?それなら、今度は私が貴方に教えてあげる」
それは妖艶さの中にどこか、熱を持った表情をこちらに向けている。
「貴方の反抗的な態度が、私を惹きつけるわ。貴方も、私も、憎んでも、心の奥底に刻まれた互いの魅力に耐えることはできない。そうでしょう? 貴方のその眼差し、貴方に触れる指が、私の愛をこんなにも震わせているのだもの。ねえ、一つになりましょう? 私達の愛に身をゆだねるの」
甘い痺れを感じる。それは気を強く持たないと、たちまち、女神の言う通りになるだろう。だが、私にはやらなければならないことがあるのだ。ここで正気を失う訳にはいかない。
「先ほども言いましたが、貴方と愛し合う気はありません。離してください」
「ふふふっ! 可笑しなことを言うのね? 記憶を失う前の貴方は何度も何度も、私の体に溺れていたというのに?」
まあ、前回も物理的に溺れはした。窒息もしたが。というより、やはりというか、記憶を失う前の私はどうやら、そこまでいってしまっていたらしい。何ということをしたんだと、文句の一つでも言いたいが、まあ、自身の置かれている状況を考えると、あまり、非難はできない。碌な抵抗も出来ず、正常な思考を保つために、くだらないことを考えているのが精一杯なのだから。
「白痴になっても、貴方は変わらず、可笑しいのね? でも、貴方の意思は関係ないわ。私がしたいからする。私が欲しいから、手に入れる。ただそれだけのことよ。……それに貴方も欲しているはずよ。これまでだって、抗えなかったのだから。ふふふっ! あはははっ! 心地良いわね。貴方が私に執着を教えてくれたのよ? 嫌悪や憎しみだけじゃない、私に執着という愛を理解させてくれたの。だから、私も貴方に教えてあげる。貴方が忘れても、忘れても、忘れても、忘れても、何度も、何度も、何度も、貴方に、憎しみを、執着を、……そして、私達の愛を」
「お前は正気じゃない」
「いいえ、狂ってなどいないわ。狂ったのは貴方……。でも、今はそんなこと、どうでもいいわ。さあ、また、溺れましょう……?」
唇を奪われ、押し倒される。激しい抵抗も、意味を為さず、私はそれの為すがままであった。




