4話 醜悪な場所
「フィオナさん……? それに何故こんなところに?」
私は寝たはずではなかったか。もし、夢を見ずに目覚めたとしても、何故この様な場所にいる。
「はい、フィオナです。あなたが望んだフィオナですよ」
「一体何を……?」
望んだフィオナ? 何を言っているんだ。
「ふふふ、ところでお腹空きませんか?」
言われて、気づいたがお腹がとても減っている。
「ちょうど準備出来ていますよ。食べに行きましょう?」
彼女に手を引かれ、扉の前まで来る。
何かが思い出せない。それでもこの扉の先に何があるのかはわかる。醜悪な血と肉の空間なはずだ。
「……どうしました? 早く行きましょう?」
そういうと、彼女は私の手の甲をそっと握り、ドアノブに導いた。心地よくもどこか不気味な力加減でゆっくりとドアノブが回る。
「これは……」
操られるままに扉を開けた。だが、見えたのはあの醜悪な空間ではなく、過剰なまでに清潔で感嘆を覚えるほど上品な空間だった。テーブルにイス、それに暖炉が見える。アンティークともモダンとも思えるそれらに少しの間、言葉を失っていたが、思考はすぐにテーブルの上に置かれていたものに移る。……お皿が乗っている。
しかし、肝心のものが乗っていない。
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。もう準備は出来ていますから」
……促されるまま席に着く。目の前には空のお皿とフォーク、ナイフが置かれている。
「フィオナさん、食事とは一体……」
言葉とは反対に何の用意もされていない現状に疑問を抱き、彼女の方に視線を向ける。視線の先に見える彼女は金属のトレーを持ち、どこか不安を感じさせるような、それでいて不気味なほど穏やかな表情で静かに微笑んでいた。
しかし、金属のトレーなどこの部屋にあっただろうか? 一緒に入ったときに持ち込んだという事もないはずだ。
続いて、私はトレーの上に乗っているものに疑問を抱く。
これは医療用のメスだろうか?それにハサミ、ドリルもある、……これは電動だろうか?何故こんなものを?いや待て、まさか……。
「これから、調理するんですよ。見ていてくださいね? 私の中身、きっと綺麗だと思います」
そういうと、彼女はトレーからメスを取り出し、思い切り、自身の頭に突き刺した。
「何をしているんだ! 今すぐ止血を!」
止めようと立ち上がろうとするが立ち上がれない。
何故だ、何故動かない? いや、それよりも何故、彼女はこんなことを。理解が出来ないがとりあえず、止めなければならない。
「ふふふ、痛いですね? でも心配なさらなくても大丈夫ですよ。私は抉られ、貴方は満たされる。こんなにも幸せなことはないでしょう? さあ、続きを……」
右耳の上に刺したそれを回転するように、ゆっくりと動かしていく。小さくも不快な抉れる音がする。
「今すぐやめるんだ! 何があったかは知らないがメスを抜いて、止血を!」
必死に叫ぶが彼女は微笑みながらメスを動かしていく。
……メスがちょうど一周した後、彼女はメスを抜き取り、付着した血を恍惚な表情で舐めとる。
しかし、私の方も気が付いたことがある。
「……これは夢だ」
彼女はその言葉に動きを止める。
「どうしてそう思うんです?」
夢の中にしてはえらく白々しい反応ではあるが、まあいい。
「普通に考えて、私は寝た後だし、夢の中で見た部屋にいたら、つまりそういうことだろう。それにフィオナさんがそんな自殺まがいのことをするとも思えない」
まあ、違和感はあったが最初から明晰夢というわけでもない。異質なものを異質だと認識するのには時間はかかってしまったが。
これが現実でないことに一先ず安堵する。
「ふふ……、出会ったばかりの私の正気をそんなに信じて下さるんですね。そういうところ好きですよ?」
「からかうのはやめてほしい。それに女の子が頭から血を流しながら言う台詞でもない」
正直、絵面としては大変よろしくないが、夢だとわかった以上割とどうでもよくなった。
「そうでしたそうでした。私、お料理の最中でしたね?」
「メスで頭を引き裂くのを料理とは言わない」
「目覚めるまでまだまだ時間はあるみたいですし、続きを致しますね」
誰も望んではいないが、目覚めるまでに私が苦痛を受けるよりは、この悪趣味な料理を眺めることにした。というよりも、視線を逸らそうとしたが動かないから見るしかないのだが。気付けても夢は夢、こういう不自由な状態が解除されていない時もある。
「あぁ……、見られてます……。私の中身……ふふ……ふふふ……」
顔を物理的に赤らめ、トリップしていらっしゃる。
私の脳内はフィオナさんをこんな人物だと認識したというだろうか?起きたら、それとなくフィオナさんに謝罪しよう。
「ふふふ……一つに……」
待て、今不穏な言葉が聞こえたが。そういえば、フィオナは元々食事のために私をこの部屋に連れてきた。つまり、この後予測される展開は……。
「……はい、切り分けました。今お皿に載せますね」
えぇ……、いやまあ、そうだろうなって思ったが。
フィオナがにっこりと、お皿に自身のそれを載せている。私はどう反応していいか悩みながら、プルプルと揺れているそれを見ている。
「……食べないんですか?」
「いや、当たり前だろう」
夢なんだから、いい加減覚めてほしい。お腹は空いているが、どうせ現実で空腹なのが夢に影響しているだけだろう。目を覚ましてから、何かを腹に入れればいい。夢でこんなおぞましいものを食べる必要など全くないのだ。
「そういうことですか、仕方ないですね」
そういうとフィオナはやれやれといった感じで、私のお皿に載ったそれをナイフで一口サイズに切り分けると、あ~んと言いながら口に持ってきた。
別に食べさせてほしいわけではない。食べたくないのだ。
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ。二人っきりなんですから……ね?」
女の子に自身のそれを口元に近づけられているのだ。上目遣いで言われたとしても全く響かない。顔をそむけ、食べるのを拒もうとするが動かない、忘れていたがそうであった。
「ふふ、はい、あーん」
「…………」
まずい、いや生だし当たり前だろう、それに夢とはいえだ。多少の嫌悪感もある。
「美味しいですか?」
「まずい」
「……美味しいですよね?」
「まず……」
「美味しいですよね?」
「……多分」
……これが圧力か。
その後もにこにこしながら、圧してくる彼女に押し負け、完食したのだった。まず……、フィオナに微笑まれた。
……顔に出ていただろうか。しかしだ、いい加減覚めないものだろうか。
「私はいつになったら、目覚める?」
「そうですね、あと10分と言ったところですかね」
唇に人差し指を軽く当てながら、フィオナが答える。
「その10分というのは夢の中の体感時間10分ということだろうか、それとも現実の10分で夢では数日みたいなことだろうか」
「どちらでしょうー? ふふふ」
嫌な笑顔だな、もうめんどくさいのだが。
「フィオナ、どうしたら答えてくれるんだ? いや夢の存在に尋ねるのもあれだが」
「教えてあげてもいいですけど、貴方は私に何を下さるんですか? さっきから私あげてばかりです」
押し付けるの間違いではないだろうか。
「逆に何が欲しいんだ」
「そう来ましたか。そうですね……、うーん、うーん……」
どうやら、とても悩んでいるみたいだ。
……待ち続けること数分間、漸く決まったらしい。
「あ、そうですそうです! なら、貴方の世界を貸して下さい!」
意味が分からない、つまりどういうことだ。
「意味が分からないのだが、もっと分かりやすく言ってくれないだろうか」
「また貴方の夢に登場させてくださいということです」
夢にもう一度出たい? まあ、夢なんだから何でもいいか。
「わかった」
「いいんですか!? やりました! やりました!」
やったやったとぴょんぴょん跳ねながら喜んでいる。
「さて、これでいいのなら教えて貰えるだろうか」
「ええ、私にとっては十分いただけましたもの。そうですね、夢での体感時間10分ですよ。でも会話している間に後2分ぐらいです」
「それならよかった。こんな、猟奇的なフィオナとは早くおさらばしたい」
「それは少し心外ですね。確かに貴方はこれが夢だと気づいたかも知れませんが、貴方が望んだフィオナというのは最初から、何一つ偽りありませんよ?」
何を言っているのだろうか?私が彼女に自身のそれを捧げるような献身を望んでいると?
「目の前に見えるものは夢であっても、偽りではありません。私はフィオナ、貴方が望んだからこそのフィオナですから」
流石にそこまで好みが破綻しているわけではない。私の脳内の出来事とは言え、少しムッとはする。
「何も心配することはありませんよ。私がきっと戻して上げます。さあ、そろそろ時間ですね。また、会いましょうね?」
言いたいことはあるが、口に出せない。視界が消えかけ、世界は急速にぼやけていく。
ああ、そろそろ起きるのか。願わくば、目覚めた場所が日本であることを祈る。