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白痴の黒  作者: 忌神外
39/53

39話 女神と血を受け入れし者

「女神……様でいいんですよね?」


 今、目の前にいるのは恐らく女神だ。黒幕でも、フードの男でもなく、あの女性だ。彼女の声は私の肌に嫌なほど、纏わりつくのだ。私の頭の奥深くに、心地良く、おぞましく、そして、どこか、空虚に。この空間が如何に醜悪であろうと、ここの臭いが如何に不愉快であろうと、目に映る美しいそれはかつて、私の理性を溶かしかけたのだ。……だが、今は違う。それに私は目の前の存在が何故、現れたのかを考えなければならない。私やエストリーの状況がまずくならないように。


「彼女のことは覚えていないようね。貴方、また忘れたのね?」


「……エストリーによると、戦ったみたいなのですが、記憶にありません」


 しかし、どうしたものか。正直、エストリーにはここまで露呈させるつもりはなかったのだ。もし、彼女がこのことを他の誰かに話せば、非常に面倒なことになるのは間違いない。ただでさえ、黒くて面倒なのだ。本格的にまずそうな人達と敵対などされてはたまったものではない。つまり、そうなる前に彼女をどうにかする必要がある。


 ……もし、私が彼女より先に目覚めることができれば、どうにかして、彼女が動けない間に動けることができたのならば、その時は……


「最初から通じていたというの?……ソトガミ、貴方は一体何なの?本当の目的は何?私に何をしたというの?……答えなさい」


 ……思考を読まれたのでなければ、盛大に誤解されていそうだ。いや、私も少し短絡的だったか。


「エストリー、誤解しています。これには色々訳があってですね……」


「……また、肉を連れてきたのね。命令を下すわ。扉を出て、コクヨミウエの元へ向かって、その肉と同化しなさい」


 女神はエストリーを見据えて、そう言ったが特に何もない。


「…………」


「…………」


「…………」


 命じた内容もまるで意味がわからない。エストリーも同じな様で、困惑しているし、女神は彼女を見つめたまま黙っている。


 ……なんだ、この空気。


「……ねえ、貴方」


 ……っ!?


 思わず、びくついてしまった。我ながら情けないが、仕方ない。何故なら、前に居たはずの女神が、いつの間に私の肩に手を回し、美しくも恐ろしい声で囁いてきたのだから。情けないが仕方ない。というか、瞬間移動できるのなら、この空間で女神に補足されたら、私もエストリーも逃げられないことが確定した。やっぱり、話してどうにかするしかないようだ。


 しかし、何だろうか?とても嫌な予感がするが。だが、エストリーをおいて、逃げ出すわけにも行かないし、そもそも、ここから、逃げることは不可能だ。現時点で捕まっているわけだしな。というか、色々とまずい感触があって、思考が狂うから、やめて欲しい。


「……貴方とはどなたのことですか?」


「今、抱きしめている愛しの憎き貴方よ。血を飲ませたわね?私以外の存在に。ねえ、これはどういうこと?」


 血?まるで記憶にないが、飲ませたのだろうか?


「エストリー、全く記憶にないので、聞きたいのですが、私の血を何らかの形で飲みました?」


「……貴方の方から、飲ませてきたでしょう。倒れていた私の口の中に手を突っ込んで、舌に絡ませるようにぐりぐりと」


 ……え、なんて?何故、そのような状況に?え、何故に?……うーん、……うーん、……わからん。全くわからん。そもそも何が原因でエストリーは倒れたのだろうか?私は何故、そんな彼女の口に血を飲ませたのだろうか。というか、口に手を入れて?……彼女に対して、そんな恐れ多いことを?絶対にぶちぎれられるのに?


「……貴方から、飲ませたのね?」


 怖い。絶対零度の声があるのだとしたら、これのことを言うのだろう。


「記憶にないというと、無責任な言い訳になってしまうので、推測の範囲で話しますが、よっぽどのことがない限り、少なくとも理由もなしに、他人に血を飲ませるなんてことはしません。原因は……そう、黒幕にあると思うのですよ。確か、彼女も私の血液を欲していました」


「そうでしょうね。だって、一番初めに貴方の血を欲したのは彼女だもの」


 ……どういうことだ?女神と黒幕は本当にどういう関係なのだろう?それに何故、血を欲したのかが、わからない。しかしまあ、実を言うと、そう、私は何回か献血の経験がある。つまり、すでに何人かには十分な量の血を提供しているのだ。指からささげたのとは比にならない量を、……これは黙っていよう。あと、私の血液型はAB型のRh+だ。少し珍しいぐらいで、別段、特別な血を持っているわけではないはずだ。……あの人類で考えるとさらに珍しいのかもしれないが、輸血目的ではないことはわかっている。ならば、利用価値などないはずだ。オカルト染みた頭のおかしい連中が黒魔術とかいうお遊びに使おうとしない限りは。というか、血を飲ませたらだめなら、もう少し、早く教えてほしかった。これに関しては正直こちらの落ち度はないと思う。


「……今回の件で私から何か言うとしたら、圧倒的にそちらの説明不足です。私が忘れたことも、結果的に血を提供してしまったことも、そちらが説明をしてくださったら、状況が変わっていたとは思いませんか?」


 謝ることも考えたが流石にこういったことまで謝るのはな。正直、女神と私の立場というか関係性がわからないのでとりあえずは対等に張り合ってみよう。向こうが圧倒的上位ならば、最初から、私なぞ用いなければよいのだから。


「ただ、言い争いをしたいわけでもありません。今回の件については、とりあえず、貴方に因縁がある相手は倒しましたし、多めに見て、約束通り、ここにいるエストリーを助けては貰えませんか?」


 本当に倒せているのだろうか?これ、実は倒せていませんとかだったら、このまま、エストリーの死亡が確定したりしないだろうか?夢の中とはいえ、そんな不安がある。


「ああ、この肉がエストリーなのね?でも、彼女は本当に血を飲んで、ここに来られたのかしら?」


「といいますと?」


「この肉が貴方の貪った証であるのなら、血を飲めなかった彼女はもう助からないもの。確かめてみましょう、貴方?」


 女神がそういうと、突然の轟音とともにエストリーがいた辺り一面に肉が飛び出した。そして、肉はそのまま、彼女の頭を何事もないように吹き飛ばした。びちゃびちゃと血肉が飛び散り、それはもちろん、私や女神にもかかる。


 何故、殺した?殺すことが確かめることになるのか?しかし、不思議と落ち着いているものだ。この空間のせいだろうか?夢の中だと、死も血肉を食すことも大して抵抗感がなくなってくる。……うん、我ながら精神衛生が非常によろしくない。いや、それよりも、だ。なんだ、あれは。


 切り取られたエストリーの体の断面から、ぶくぶくと肉の泡立ちが見える。それは次第に大きさを増し、ある段階を超えたところで、はじけた。


 またしても、私や女神にかかる。


 おおっ!?口や目にも少し液体や粒みたいなのが入ってしまった。もう少し早く目をつぶっておくのだった。口からは慣れてしまった味がする。


 急いで右手で目元を拭い、口に入ったものを吐き出す。改めて、視線を向けた先にはエストリーがいた。先ほどと何ら変わらない。


「……エストリー?」


「……っ!はぁ、はぁ……、ごほっ、ごほっ」


 胸に手を当て、俯いたまま、息苦しそうに咽ているエストリー。


 本来ならば、目の前で行われた残虐な行為に対し、義憤に駆られるか、恐怖するべきなのだろうが、これまでの常識では到底、有り得ない光景に疑念やら興味が勝ってしまった。所詮は夢という感覚をまだ捨てきれていないらしい。


 しかし、何があった?何故、フィオナ擬きと同じ様に元に戻っている?……いや、とりあえず、状態を確かめねば。


 駆けつけようとしたが、抱きしめられた腕が一向に緩まず、向こうに行くことができない。


「どこへ行くというのかしら?次は貴方の番なのだから、駄目でしょう?」


「その前に私の方の予定は確認してますか?」


「でも、どうしようかしら。ああ、そうね、これに決めたわ」


 何かを思いついたかのように言うや否や、女神は再び、エストリーに向け、触手を飛ばし、今度は彼女の四肢を躊躇なく切断した。


「っああああ!」


 バランスなど保てるわけもなく、そのまま崩れ落ちるエストリー。切断面からは再び、肉の泡が出始めた。


「これは貴方が私以外に血を飲ませたことの報い。そして、あのエストリー・ヴァルスフィアへの罰。肉風情が貴方の血を飲んだのだもの。彼女が私に真に屈し、許しを請うまでこれは続くの」


「くだらない罰を与えている暇があるなら、最初から、こちらに必要な情報を開示していれば、良かったと考えるべきではないのですか?」


「……記憶を失っても、毎回こうなのは何故なのかしらね?」


 痛った!触手が右耳を掠った。手で確認してみたら、血がそれなりについていた。ついてはいるが、触った感じ、多分結構切れている。というか、今、さらっととんでもないことを言わなかったか?毎回?それは少なくとも、女神に関して、2回は記憶喪失になっているということなのだが。非常に気になるが、今はそんなことより、目の前の彼女のことだ。


 触手が彼女の目を、耳を、口を、体の全てを余すことなく、穿っている。不快な音が空間に響き渡る。だが、彼女は朽ちることなく、終わることなく、再生を続け、そのたびに穿たれていく、捻じられていく、潰されていく。


 彼女を助けなければ、ならない。ならないのだが、……だが、どうする?力では勝てない。説得は難しいというか、相手が何を求めているかがよくわからない。助けを求めようにもフィオナ擬きは逃げ出したし、他にはもう誰も…………ああ。


「お気づきになりましたか?」


 いつもながら、こいつは思考を読んでいるのだろうか?だとしたら、非常に厄介だが、今回は手間が省けた。


「貴様」


 女神は露骨に殺意やら、敵意やらを向けるが、私の背中越しなのを忘れてはいないだろうか?まあ、今は私自身も女神にそれ以上の殺意があるが。どんな理由であれ、人以外が人を害するのを私は好まない。殺す力があれば、殺すし、滅ぼせる可能性がある方法が存在するのなら、実行する。


「女神様は私が第三者であることをお忘れのようですね?いけませんね、それは実によくない。私は貴方方を対等にするために中立的な立場にいることを理解できていないようだ」


 フードの男がパチンっと、指を鳴らすと、触手は別の触手に絡めとられ、動きを止めた。


 解放されたエストリーは肉の泡とともに次第に元の形に戻っていき、ついには泡が消え、完全に元の姿になった。


 彼女は数度、吐血を繰り返した後、息切れしながら、こちらを見てくる。


「エストリー・ヴァルスフィアさん、ご気分はいかがですか?」


「貴方は、……そう。貴方がソトガミの言っていたフードの男?」


「ええ、その通りです。初めまして」


「……名乗らないのかしら」


「あまり呼び名に意味はないのですよ。それに主流なものは全て、貴方には発音できない呼び名でして。それにしても、貴方は実に運がいい。私は外神様に命じられたのです。貴方を助けろと、条件付きで、ですがね。ですが、貴方方は見事、それを果たされた。約束は守らねば、そうでしょう?女神様」


「…………」


 雰囲気は非常によろしくない。なんなら、新たに生えた触手と触手がばちんばちんとやりあっている。


 そんな中、フードの男は涼し気な様子でエストリーの元に近づいていく。右手にはあの時の小瓶を持って。


「さあ、これをどうぞ」


 男がエストリーに小瓶を手渡す。


「これは……?」


「これは言うなれば、万能薬。貴方の体の毒などを取り除き、本来の健康な状態に戻すもの。これを飲めば、貴方の体の毒は消え、元に戻れますよ」


「…………」


 エストリーは小瓶の栓を取り、ぼんやりと中身を見つめている。


 ……何かが引っかかる。人間の体は本来、あのような速度で再生などしない。これまで出会った白髪の人類を見た感じ、エストリーも恐らくはそんな能力など持っていないはずだ。血を飲んだからか?私の?肉による毒。体を蝕む。ここでは血を飲まないと助からない。体の毒は消え、元に戻る。……ああ、これ、飲ませたら


 パリンッ。


 唐突にそんな音がした。


「……おや?」


 エストリーによって、握られていた小瓶はすっかり割れており、中の液体は彼女の手を伝い、地面に零れ落ちている。


「よいのですか?貴方の体が人のものから、遠く離れようとしているのは感じるでしょう?今なら、まだ、間に合います。これを飲めば、貴方は人間に戻れるのですよ」


「体が人の物でなくなっているのはわかっているわ。頭や四肢、臓器をあのようにされて、生きているなど、あり得ないもの。人であったのなら、死んでいた。なら、飲むようなことはしないわ。化け物で居続けるつもりは微塵もないのだれけど、まだ、死ぬわけにはいかないもの」


 エストリーは思った以上に冷静だった。というか、死なないのか。私の血を飲んだから。……はい?まるで意味が分からない。摂取したことで死ななくなるなら、私は今までに少なくとも、数人は不死者を作ったことになるのだが。というか、なら、私は一体何だ?エストリーは私の血を飲んで、人じゃなくなった。なら、私は?何が原因で記憶を失ってしまうようになった?私もエストリーと同じ様に死なないのか?まあ、考えてみれば、これまでにあった違和感というか、思い当たる節はいくつかある。確証は持てないが、改めて、試す気は起きない。失敗=死だからな。これで死んだら、笑い話にもならない。だが、どうやら、私の体にも何かよくないものが混ざっているらしい。それなら、日本に帰るよりも先に、正常な状態に戻る必要がある。ふとした時に、あの肉が露見するのを恐れながら生活するのはごめんだ。


「エストリー、とりあえず、今回の件については貴方を助けたかったということには嘘偽りはありません。血に関しては知らなかったんです。だから、まあ、こうなってしまったのは私の責任です。本当にすみませんでした」


 巻き込んでしまったことへの申し訳なさもある。ああ、今この状況だけでなく、夢から覚めた後もどうすべきだろうか?エストリーとはここで決別だろうか?私一人で対処できるものだろうか?……不安はあるが、まあ、それでもやっていくしかない。日本に帰る前に解決すべき課題が一つ見つかったのだ。今回のことはむしろ喜ぶべきだろう。決して、嬉しくはないが。


「……本当に嘘偽りないのね?」


「え?ああ、それはもちろん」


「誓って?」


「ええ、誓って本当です」


「……なら、貴方を信じることにするわ。まったく、貴方とは変な信頼関係を築いてしまったものね」


「それは、まあ、私もそう思いますよ」


「……貴方、目の前の肉には随分とお優しいのね?」


 忘れていた。いや、正確にはエストリーの誤解をいち早く解こうとしていたので、正直、後ろの女神の機嫌を伺うどころじゃなかった。というか、……んん?今なんて言った?優しい?エストリーに?いや、そっちは別にどうでもいいのだが、まるで嫉妬したかのような物言いだ。嫉妬……、女神が、一体誰に?エストリーに?何故?どういうことだ?フィオナ擬きもそうだが、時折、つくづく人間じみた言動をする。女神と私の関係性は本当にわからない。


「あの、何度も同じことを聞いて申し訳ないのですが、本当にどういう関係だったのでしょうか?」


「……ああ、気持ちが悪いわ。とても!とても!とても!」


 突然、叫びだした女神が突き飛ばしてきた。腕で辛うじて、着地したため、肉に顔ダイブは避けれた。


「あの、女神?」


「あの、女神?ああ、そう、私は女神、女神、女神、そう、女神、私には関係ない、違う」


 女神の全身から、何か、もやのようなものと共にどろどろと肉が出てきた。


「ああ、これは仕方がありませんね。外神様、今回は逃げましょう」


「え、逃げるって、どこに逃げろと?」


「夢から覚めるまで逃げ続けてください。彼女は私が助けましょう。思っていた方法とは違いますが、そういう約束でしたからね。……さて、エストリーさん、吐き出さないようにお気を付けください。それと、道中、目は決して、開けないように。ああ、耳から聞こえる音は諦めてください。魔術を用いても、無駄です」


「貴方、いきなり何」


 フードの男はエストリーと共に何処かに消え去ってしまった。この場にいるのは私と女神だけだ。


 ……置いて行かれたのだが。


「残念ながら、外神様を連れていくことはできません。諦めて、逃げ回るか、耐えてください」


 どこからか、壊れた拡張器のような声が聞こえる。声の主はフードの男だろう。


 いや、何が残念ながらだ。ふざけるな。声は明らかに少し笑っていた。次会ったときに一発は殴りたい。


 女神はというと、明らかに肥大した触手が辺り構わずびちゃんびちゃんやっている。


 ……うん、とりあえず、離れよう!


 全力で女神と距離を取る。我ながら、体力は全くと言っていいほど、向上していない。夢だから、疲れないなんてことは1mmもなく、非常にきつい。不意に後ろを見ると、触手は大きさを増し、最早、津波のように範囲を広げ、迫ってきている……!ここで足を止めるわけにはいかない。疲れていても、動かし続けるしかない。そして、早く、この夢から覚めることを願うしかない。可能であれば、誰か、私を起こしてほしい。……無理か。状況的には確か、ドーレスさんとエストリーだ。ドーレスさんには恐らく無理だろう。というか、何気に現実で、あの出血をしていたあの人が一番危ない気がする。つまり、自然に目覚めることを祈るか、エストリーが一刻も早く目覚めて、私を起こすかのどちらかになる。……ああ、さっき、一瞬でも思ってたことと真逆の願望になるとは思ってもみなかったが、仕方ない。今は全力で走り続けるしかないようだ。


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