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白痴の黒  作者: 忌神外
37/53

37話 帰れるとしても

 どのくらい経っただろう?肉体的疲労はそれなりに溜まってきている。だが、それも漸く終わるらしい。遠くに何やら人工物のような場所が見える。


 近づいてくるにつれ、それが石で作られた何らかの場所であることがわかった。風化した柱や石畳、崩れたそれらが、かつて、何の目的で存在していたのかはわからない。人の気配や形跡が全く感じられないことを考えると、保全と言ったものはされておらず、ここは廃棄された場所なのかもしれない。


「……セミホーレが燃えたわ。後は自分でたどり着けって、ことかしら」


「燃えたって……、大丈夫ですか?やけどとかはしていませんか?」


「していたら、貴方に八つ当たりするところよ」


「そういうことであれば、してなくてよかったですよ、ほんと」


 殺気を向けられていた女性と今こんな冗談めいた会話をしているというのだから、世の中、本当に何が起きるかわからないものだ。何が起きているのかもわからないのだが。


「……それでここからは私達でといっても、正直、こんなところまで来たのですし、相手も多少出張ってくれた方がこちらとしては嬉しいのですが、外に出たくないんですかね」


「前回は貴方の部屋まで来たのだから、今度は会いに来て欲しいのではなくて。良かったわね?愛されていて」


「万が一、本当だったとしても、全くもって嬉しくはないというか、もう少し、人が喜びそうなアプローチをしてきて欲しいのですが」


「ニホンに帰してあげるとかかしら」


「ああ、それは確かに魅力的なアプローチですね」


 まあ、相手は初手で私への対応を間違えている。それに、今はもう日本に帰すなど、正直、そこまで魅力的な要求ではない。私の目的は確かに日本へ帰ることだ。それは何一つ変わっていない。だが、正確に言うのならば、それは可能な限り、私だけが日本へ帰り、かつ、私の世界に危害を及ぼす可能性があるすべてのものから、地球上すべての場所への渡航手段をなくすことなのだ。


「もし、仮に相手がそれを提示したら、貴方はどうするの?」


「いや、断りますよ。そもそも本当に日本に連れて帰れるかもわからないですし、帰してもらったところで平穏が約束されていなければ意味がありませんからね」


「少しは賢明なようで安心したわ」


 もし仮にエストリーの体を乗っ取った者がそんなことが可能だとするならば、私は何としてでも、あれを滅ぼさなければならなくなる。私にそれが可能かどうかの話ではない。最低条件の話なのだ。もし、あれがそういったことが可能なのであれば、私はそれの渡航手段を封じるか、存在そのものを滅ぼして、別の方法での帰還を考える。それが現時点で不可能であるのならば、私は日本へ帰ろうとは思わないし、何としてでも生き延びて、それが可能な手段を探すだけだ。


「まあ、でも、エストリーが乗っ取られていた時に至極友好的に提案してきたら、少し考えていたかもしれませんね。……いや、でも、他者の体を乗っ取ること自体に警戒するでしょうし、演じていても、エストリーが優しい時点で違和感を覚えて警戒したでしょうし、どのみち……ええっと、どうしました?」


 この笑顔には何だか見覚えがある。


「貴方が私のことをどう考えているのか、詳しく、お話をする必要があるわね?」


 こわ。


「……その話はまあ後でするとして、今はとりあえず、付近を散策してみま、……なんです?」


 歩きだそうとしたが、がっしりと肩を掴まれた。


「……そうね、帰ったらにしましょう」


 耳元で声がする。


「うやむやに出来ると思わないことね?」


 発言には本当に気を付けようと思う。


「はい」


 本当に。


 その後、入り口を見つけるのにはさほど、時間はかからなかった。地下へ続く石の穴を見つけた。


「やっぱり、ここに入らなきゃだめですかね……」


「仕方ないでしょう。他に見つけられなかったのだから」


 地下は暗く奥が見えない。光が届く範囲では、僅かに傾斜があり、降っていくらしい。


「それにしても、まさかこんなありきたりな場所だとは」


「ありきたり?」


「いや、よく物語とかでこういう場所を探索する冒険譚とか多いよなぁと」


 まさか自分がその立場になるとは思いもしなかったが、こういう時のために灯りはアンルさんからもらってきた。


「貴方はいきなり何を言っているの」


「いや、わざわざこんな場所を指定したのなら、相手もそういったのが好きなのかなと」


「……貴方といると、あと、数日の命とか考えるのが馬鹿らしくなってくるわね」


「ああ、すみません。そこまで茶化したつもりはなかったのですが」


「まあ、取り乱すよりはいいことだと思うわ」


「すみませんね。……とりあえず、灯りをどうぞ」


「私なら、魔術で灯すのだけれど、まあ、貴方には無理なのだから、それを使うのも仕方ないわね。でも、どうなのかしらね。食事の時に燃やしたのはあくまで魔術による発火を続けていただけだったのだけれど、魔術で灯した後の火でも貴方は消してしまうのかしら?」


「折角ですし、試してみます?もう一つはそれでやってみましょう」


「別に置いたままでいいわ。灯すだけだもの」


「そうですか」


 エストリーは特に何か詠唱する訳でもなく、指のちょっとしたしぐさで明かりを灯した。


 原理はまるで理解できないが、エストリー曰く、きちんと理論が存在するらしい。


 さて、結果だが、灯りは消えた。灯りに近づいても、エストリーに触れてもだ。予想の一つとして、魔術で燃えても、その後の高温状態が維持されているのならば、自然的に燃え続けるのではないかと思っていたのだが。まあ、この世界に来る前の常識で考えるならば、発火を維持する要因をなくしたとも考えられる。例えば、酸素をなくしたり、周辺の温度を下げたりということだ。この二つなら、恐らくは前者の方が可能性は高いが魔術を打ち消すのに際し、周辺の酸素が消えるものだろうか?もしかしたら、魔術が原因で起きた現象に対し、この打ち消す力は何らかの因果的な作用を及ぼしているのかもしれない。それにこれは必ずしも触れなくてもある程度の範囲内であれば、勝手に打ち消してしまうらしい。まあ、便利ではあるが、どういうことだ?私の体から、何かそういう物質が漏れ出ているのだろうか?


「貴方のそれ、最初はあまり好ましくなかったのだけれど、今はもう、面白いと感じているの。私もおかしくなってしまったのかしら」


「エストリー自身が変化に対して、柔軟なだけだと思いますよ。エストリーは案外、打ち消されること自体には寛容なのですね」


「打ち消されたことは根に持っているわ。次に私の許可なく、打ち消したら、指をへし折るから、覚えておくことね」


 そんなことはなかったらしい。


「あの、これがどういう理屈で打ち消しているのか、わからないので」


「冗談よ、へし折るまではしないわ」


 ……どこまではされるのだろうか?


「可能な範囲で気を付けますよ。とりあえず、こっちもこれを使いますね」


 二つ目の方にも道具を用い、明かりを灯した。


 うん、消えないようで安心した。


 魔術の火は消えてしまう。エストリー以外の魔術でもそうなのかはわからない。彼女よりも高度な魔術の使い手であれば、打ち消せないのかもしれない。気にはなるが、試すのは極力、やめておこう。自ら、手の内を広めるような真似は出来る限り、避けたい。


「では、入りますか」


 内部は地上に比べ、僅かにひんやりとしている。とはいえ、不快には感じない寒さだし、息苦しさといったものもない。滑って転ばないかだけは心配だが、今のところは特に滑りやすいというのはない。


「さっきまで躊躇っていたのに、すんなり入るのね」


「まあ、他に良さそうな入り口があれば、そちらを選ぶかもしれませんが、現状ある選択肢がこれしかないのなら、躊躇ったところで時間の無駄ですしね、いや、考えはしますが」


 エストリーの方を振り向くと、彼女がこちらを訝し気に見ていることに気が付いた。


「本当によくわからないわね、貴方」


「ええっと、何がですか?」


「別に。ただ、貴方を理解するのには時間がかかると思っただけ」


 そう言うと、エストリーも中に足を踏み入れた。


 奥に進むにつれ、外の明かりは薄れていき、今は左手にあるこの光だけが私の視界の頼りだ。


 ここは思っていた以上に深く造られているらしい。分かれ道などなく、ただ、ひたすらに降っている。


 降っている最中でふいに考えが思い浮かんだ。私は歩みを止め、エストリーに話しかけた。


「時にエストリー」


「何よ、いきなり止まって」


「手を繋ぎませんか?」


「…………貴方、本当は恐れているの?」


「いや、手を繋ぐというか、接触していることでエストリーも魔術的な干渉を受けるのを回避できるのではないかと思いまして」


「そう、勝手な思い過ごしだったわ」


「いやまあ、人並みには恐怖心を持ち合わせていると思いますよ」


「取り乱さなければ、何でもいいわ。そういうことなら、右手、出しなさい。確かに試す価値はあるわ」


「あ、ああ、はい」


 右手を浮かせ、エストリーの方に差し出すと彼女はしっかりと握ってきた。彼女の手は少しひんやりして、そして、どこか、心地の良い感触を覚えた。私とエストリーは再び、歩き始めた。


「あまり強く握らないで、いざという時に手を離せないと、魔術が使えないもの」


「ああ、確かにそうですね。わかりました」


「……貴方の手、少し熱いわ」


「エストリーの手はひんやりとしているので、相対的にはそうでしょうね」


「ニホンの民は総じて、手が熱いのかしら?」


「うーん、人それぞれだと思いますけどね。私自身も別段、熱いとは思っていないのですが。逆にヴァルスフィアの方はどうなんです?エストリーの手も割とひんやりしているのですが」


「……人次第よ。ニホンの民もヴァルスフィアの民も体温はさほど変わらないようね」


「まあ、そうじゃないですかね。実際、エストリーを背負っていた時、も?」


 急にこちらの手を握り力が強くなった。いや、痛い痛い痛い痛い。これ、折れるのでは?


「あら、どうしたの?続けて?」


 彼女の声は何もないようにこちらに語りかける。だが、右手は確かな痛みを伝え続けている。


「いや、あの、右手が痛い気がするのですが」


「気のせいでしょう?」


「そうですかね?」


「貴方に思い当たることがなければ、きっと気のせいだわ」


「思い当たることですか……。何か、あります?」


「あら、忘れてしまったの?」

 

「うん、エストリー、そのことについては他言しないので許してもらえませんか?」


「何のことを言っているのか、わからないわ?」


「……いっそのこと、帰りに私を背負ってみます?痛っ!何するんですか」


 今度は思いっきり、つねられた。


「……はぁ、貴方にはデリカシーがないのかしら?忘れているみたいだから言っておくけれど、貴方と私は後継者と次期領主なのだから、軽口は二人きりの時だけにしておくのね」


「まあ、あれは流石に人前では話しませんし、話せませんよ。私にとっても、エストリーにとっても、良くないイベントでしたからね」


「でも、あれがあったから、貴方も私もアルセド殿について、知れた。こうして、異なる国の話ができた。あの出来事がなかったら、きっと、私は『黒い』貴方を軽蔑し続けていたと思うもの」


「……後悔してませんか?私と関わることがなければ、エストリーは」


「その話はしないと決めたはずでしょう?」


「…………」


「私は死ぬ気などないし、貴方もニホンへ帰るのでしょう?それとも、ゲヘナで暮らすのかしら?ああ、それもいいわね。今なら、王として、君臨出来るかもしれないもの。悪い話ではないわ」


「生憎と君臨する気はありませんよ。私はあくまで日本人ですからね。日本に帰るために助けを請いますし、請われたら、出来る限りのことは手伝うだけです。勿論、エストリーもそのために死なせる気はありませんよ。まあ、出来るだけ早く終わらせましょう」


「この場所はお互いに集大成でもなんでもないんですしね」


 まあ、あと、普通に気兼ねなく、ゆっくり休みたいしな。実際、PCやスマホもとても恋しい。我ながら、実に悲しき現代依存症だ。

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