35話 従者の懇願
「ドーレスさんが誘拐された?」
「はい、その通りございます……」
まあ、そんなところだろうとは思ってはいた。
案内された庭園の一室はとても静かで年老いた従者の声がやけに耳に残ってしまう。
「ドーレスさんが誘拐されたのはいつですか?もしかして、なのですが、私やエストリー、リテーリアさんがお茶を飲んでいた間では?」
「はい、その通りでございます。リミドーラ様は皆様がお茶を楽しまれていた間に訪問してきた女性と共にその場から消え、連れ去られたのです」
「それはいつの間にかいなくなっていて、戻らなくなったということですか?それとも、瞬時に目の前から消えたとでもいうのでしょうか?」
「まさしく、目の前でいなくなられたのでございます」
「目の前でですか、……なるほど、そうですか」
「何を考えているの?」
「ああ、いや、目を離した隙に消えたのであれば、ともかく、目の前で消えたというのは私にはどうしても違和感を拭いきれないものでして」
「にわかには信じられませんか?」
「ああ、いえ、信じていない訳では……」
そういうものがある世界なのかもしれないが、はいそうですかと受け入れるには私の脳裏はまだこの世界の常識を疑ってかかっている。
「……ええっと、エストリーはどう思いますか?」
「そうね、別に有り得ないことではないわ。認識を変えたり、瞬間的に移動したり、遣り様なら、いくらでもあるもの」
「なるほど、……それは幻覚作用がある薬物を飲まされているって、可能性の方が高かったりしないでしょうか?」
「ソトガミ、貴方、本っ当に魔術を否定した答えから始めるのね」
「いやぁ、完全に否定しているわけではないのですが私にはどうしても、そういった方法が先に思い浮かぶものなので……」
でも、まあ、そう思った方がしっくりくるってだけか。なら、よろしくはないか。これまでの常識を疑うっていうのはやはり難しい。
「ところで、目の前で消えたのであれば、何故、そのことを我々に伝えなかったのでしょうか?これは勝手な推察というより、ふと思い浮かんだことなのですが、ひょっとして、リテーリアさんやアルセドさんはこのことを知らないのではありませんか?」
「……ご推察の通りでございます」
「貴女達、脅されているわね?」
「はい、……お二人以外にお伝えすれば、リミドーラ様の命もないと……」
リミドーラ様『も』ということは、他にも誰か死ぬのか?真っ先に思い浮かぶのは眼前の従者の人達の二人だが。他にも目撃者はいるのだろうか?恐らく、その人達の命も危ないだろう。把握しておく必要がある。
「ドーレスさんが消えたことに関して、お二人以外に目撃者はいますか?」
「……はい、目撃者は私達以外にも一人おりました」
「その方は今、どちらに?少なくともこの場にはいないように思えるのですが……、エストリーにも見えていないですよね?」
「私には見えていないわ。それに見えないものが見えるのは、貴方の方でしょう?」
「別にそんなことはないと思うのですが、……少なくとも魔術的なものに関してはエストリーの方が入手できる情報量は多いと思いますよ」
「それは貴方が無知なだけよ」
「左様ですか……」
魔術があるとするのならば、実際、その通りなのだろうが、うーん、まあ、そういうものなら、これが終わったら、一応学んでおくか。生存の確率は高くしておくに越したことはない。理解できるかは知らない。
「個人的には極力、三人行動していた方がいいと思うのですが、見当たらないのには何か理由があるのですか?」
「……殺されたのでございます、リミドーラ様を連れ去った者の手によって」
「……それはお気の毒です。心苦しいとは思いますが、よければ、どのように殺されたかお聞きしても?」
「殺された者の名はクミールといいます。彼女はリミドーラ様が消えたその瞬間を目撃し、すぐさま、背を向け、走り出しました」
流れ的に逃げられないんだろうなぁ。死んだって言っているしな。
「歩みを止めたのは僅か数歩でした。クミールはその場で藻掻きだし、ふいに、こちらに顔を向けたのでございます」
こういう時、大体ろくでもない感じになっているのが多い。
「その顔にはいくつもの螺旋状の赤い何かがございました。それは時と共に大きさを増し、クミールの手足をも飲み込み、……そして、最後には淀んだ赤だけが床に残ったのでございます」
なんだ、その殺され方は。魔術によるものなのか、何か異常めいた何かなのかはわからないが、本当なのだとしたら、無理ゲーにも程がある。ふざけるな。ここに来て、唐突に理不尽を持ってくるんじゃない。仮にここが夢であるのなら、まだ許そう。私以外が何人死のうと、私自身が死のうと、それは所詮夢だ、どうでもいい。だが、現実の可能性がある以上、こんな理不尽を許容してなるものか。ふざけるな。せめて、理解できる死に方をさせろ。いや、死にたくはないのだが。
「エストリー様こちらを……」
アンルさんはポケットから、紙のようなものを取り出し、エストリーに差し出した。
彼女は受け取ると、折りたたまれたそれを、広げ、静かに眺め始めた。
「…………」
彼女はしばしの間、無言であったおもむろにこちらに語り掛けてきた。
「……どうやら、誘拐犯は最初から私達がどこにいて、何をするか、何をしていたか、どんな会話をしていたのか把握していたみたいね」
それが本当であれば、非常に困る。目論見は筒抜けなわけだし、新たな作戦も立てにくい。生憎、テレパシーなんて、ファンタジーな情報伝達手段は持っていない。自分自身で完結しそうな作戦を立てるか、暗号を用いるもしくは相手を惑わすような行動をし続けるしかなさそうなのだが……無理なのでは?私は諸葛孔明ではない。
「エストリー、何て書いてあったのですか?とりあえず、私にも読ませてもらえないでしょうか?」
「それはできないわ。貴方には読めないし、読もうとして、これに触れようとした瞬間、これはただの紙になるでしょうね」
「ええっと、それは一体どういう?」
「この紙はセミホーレ。対となる紙同士に魔術的なつながりを持たせて、文字のやり取りを可能にさせているの。つまり、貴方がこれに触ったら、その瞬間につながりが切れて、ただの紙。……わかったかしら?」
「まあ、そういうことなのであれば、私は触れないことにしましょう。つまり、現時点ではエストリーだけが誘拐犯とやり取りができるということでしょうか?」
「……こちらから何かを伝えることもできないようになっているわ。話したいのなら、相手が指定した場所に行くしかないみたいね」
「なるほど、まあ、危険ですが、行くしかないでしょうね。こちらの行動が筒抜けならば、素直に従っておきましょう」
行くことで交渉できる立場を失う可能性も多いにあるが、すでに情報戦ではこちらが完敗している。まあ、出向くしかなさそうだ。
「しかし、会話が筒抜けというのであれば、それはそれでいいことを知りました。初めに言っておきますが、私は交渉をするために貴方に会いに行くのです。交渉が終わる前にエストリーやアンルさん、ベフォンさんおよび私の関係者に危害が及ぶようなことがあれば、私は即座に貴方と敵対し、貴方が敵対している側につきます。それだけは留意しておいてください」
ううん、しかし、触ることで魔術的な要素が切れるか……。
「……何故、顔に触れたの。理にかなった説明は用意しているのでしょうね?」
「もし仮に現時点でエストリーが乗っ取られていたなら、触ることで乗っ取りを解除できないかなと、思いまし……すみません」
「……非礼を許してあげる。これで安心はできたかしら?」
「ええ、少なくとも乗っ取られていないか、触れても効果がないというのは確認できたので」
「あまりに疑り深いと友達をなくすことになるわよ?」
「確かにそうですね、気を付けることにします。ただまあ、残念ながら、今はそもそも友人がいな……っ!?……あの、踏まれると痛いのですが」
「あら?足が勝手に動いてしまったわ。やっぱり、操られているのかもしれないわね?」
「……操られないように発言には気を付けますよ」
「賢明なことだわ」
「……よろしいでしょうか」
アンルさんが若干呆れているように思えた。勿論、そんな表情はしていないので何となくだが。
「あ、ああ、はい、なんか、すみません。ええっと、何でしょう?」
「お二人はこれからお嬢様を誘拐した者の元へ出向くのでしょうか?」
「まあ、その予定ですが」
「……どうか、どうか、お嬢様をお助けください」
老婆が深々とこちらに頭を下げる。
……こちらでも何かをお願いするときは頭を下げるのだな。
「ええ、出来る限りのことはしてみます」
ドーレスさんの命は正直、交渉次第では半ば諦めているというか、切り捨てる。だが、それでも、まあ、出来る限りは助けなければならないだろう。誰であれ、こういった理不尽は許容してよいものではない。それに恩を売れたのなら、今後、何かと活動しやすくなるかもしれないしな。アルセドさん以外にも頼れる人達はいた方がいいだろう。




