2話 目覚めたそこは
頭がぼんやりする、今は何時だ?
ぐるんと回り、枕に顔を埋めたまま、右手でがさがさとスマートフォンを探す。中々見当たらない。瞼はまだ重い。探す。……見つからない。
ええい、面倒くさい。
がばっと顔をあげ、瞼を開く。
「……どこだ、ここは?」
寝ぼけているのだろうか。それにスマートフォンはどこだ。
「いや、そんなことより、ここはどこだ」
そうだ、ここはどこだ? 私は今どこにいるというのだ。少なくとも自室ではないし、親戚の家にもこんな部屋はなかったはずだ。旅行に出かけていたなんてこともない……はずだ。うん、どこだ、ここ。ドッキリかなにかか?
……いや、流石に無理があるか。私は確かに自室で寝ていたはずなのだから。自室から起こさずに、というのには流石に無理がある。そして、やっぱりスマートフォンもない。
着ている服が違うことにも気が付く。
何だこれは。
瞼をこすり、今度はしっかりと周りを見渡す。
これは木造建築だろうか? ……本当に、ここはどこなのだろう。
ふと、ベッドの下を見る。
靴がある。靴? 室内なのに靴ということは、ここはやっぱり私が知るところではないのか。それに、履いてくださいと言わんばかりの位置にある。履いてもいいのだろうか?
しかしまあ、いつまでもベッドで見渡していても仕方ない。一先ず、人を探そう。靴に関しては怒られたら謝ろう。
靴を履き、扉を開ける。
まだ、建物の中らしい。
とりあえず、この建物は何だろう?
テーブル、そこそこ大きい。暖炉、火はついていない。
あれは台所だろうか?いやでもこれは世代どころか時代が違うのではないだろうか?
私が出てきた扉と同じような扉が他に2つ。それより小さい扉が一つ。こんなところか。住人らしき人は見当たらない。
とりあえず、外に出れば、ここがどこなのかわかるだろう、それに人がいたら、聞けばいい。ここはどこですかと。
……なんだ、ここは。村? 集落? そういうテーマパークだろうか?
「うん、なんだここは」
口にも出していた。
「お目覚めになったのですね。体のお加減はいかかですか?」
視界の外からの声に後ろを振り向くと、そこには白髪碧眼の少女がいた。
今の声は彼女が?
「すみません。もしかして、服と靴でしょうか? 土埃で汚れてしまっていたので、洗濯していたのですが。あ……、ご、ご迷惑でしたでしょうか? すみません、こちらが勝手にしたことですし、先ほど干したところなので正午には乾いていると思いますので……、ご迷惑であれば、その……すみません……」
何か、すごいかしこまられている。随分と流ちょうな日本語だが、どういうことだろう。予測はしていたが、ここはテーマパークか何かでスタッフさんなのだろうか?
いや、それにしては随分と若く見えるのだが……。髪は染めているのだろうか。それに洗濯?今着ている服とは別のものだとすると、私の服ということだろうか。
「よくわかりませんが、謝らなくても。ええと、すみませんが貴方は……」
「私……ですか? 私はフィオナと言います。良ければ、貴方のお名前も教えて下さいませんか?」
「名前ですか……。私は外神和平といいます」
フィオナという少女と会話して、始めこそ会話が噛み合わなかったものの、すぐに違和感は解消された。それによって、ある程度わかったことがある。
まず、ここはバウムシュタム村というらしい。このフィオナという少女は、この村の村長である祖父と二人で暮らしているらしい。どうも、村から少し離れたところで仕事をしている祖父にお弁当を届けた帰りに見つけたとのことらしい。幸い村から近いこともあり、少女一人で運んだらしいのだが、その際にかなり引きずったらしく、汚れた衣服を洗濯してくれていたらしい。少女が謝っていたのはどうもこのことだった。
今着ているこの服は、どうも古着を貸してくれたらしい。干してある洗濯物を見に行ったが、普段、私が外出用に着ているコートやシャツ、ズボン等であった。幸運なことにコートのポケットに入っていたスマートフォンは洗われずに済んだ。
さて、バウムシュタム村についてだが、当然日本にそんなところがあるわけがない、からかわれているのかと思いはしたが、日本という国名、そして、本命の欧州諸国の名前を挙げたがどれも聞いたこともないらしい。
ただ単にこの少女が国名に疎いのかも知れないと思い、近隣の国について尋ねたが、今度は私に聞き覚えがない国であった。エルゲドゥラー、ツァバート、大国ともいえるのはこの2つらしい。他にもう一つあるみたいなのだが、少女はよくわからないらしい。『おじいさまであれば、知っているかもしれません』とのことだった。
知っていた2つの国について訪ねると、エルゲドゥラーという国はどうも、エルという神を崇める宗教国家。ツァバートは王様を中心に貴族が各地を治めている国ということだった。
……なんだこれは。いや、聞いておいてあれだが、何だ、この中世だか古代だかわからん国は……。まあ、この少女が私をからかっているか、実は精神を患っているという可能性もあるが一先ず置いておこう。
もう一つ、私が疑問に思ったのは言葉であった。彼女は日本を知らないと言った。なのに何故彼女は流ちょうな日本語を喋っているのだろうか? これも彼女が私をからかっていると思った原因の一つだ。
しかし、彼女の反応を見る限り、本当に知らないようにも見える。そこで私は何か本はないかと彼女に聞いた。すると彼女は『おじいさまのものを勝手に持ち出すと怒られるかも知れないので、私が子供の頃に読んでいた絵本でよければ』と何冊かの絵本を持ってきてくれた。
本の中身を見て、私は困惑した。日本語ではない、それどころか英語でもない、見たことのない文字だった。しかし、読めるのだ。いや、内容が理解できたという方が正しいかもしれない。私には本の物語がどういうものか理解でき、少女に本の物語を聞いたところ、私が理解した物語と一致していた。
しかし、これは絵本だと思い、試しに極力絵を見ずに別の絵本を読んでみたが、結果は同じだった。
次に私は彼女に長く、難しくても構わないから、何か文章を書いてほしいと頼んだ。彼女はクエスチョンマークが似合う顔をしていたが、持ってきてくれた紙に、ペンでさらさらっと文章を書いて見せてくれた。
私が理解した内容を読み上げると彼女はそうです、そうですと笑顔で頷いてくれた。
ふむ、これはどういうことか。
今度は私が書いてみても構わないかと彼女に尋ねると、紙とペンを渡してくれた。試しに先ほどの絵本の文字を書こうとしたものの、酷いものであった。仕方なく、日本語で書いた文章を彼女に見せてみたが、彼女には全くわからなかったようであった。
結果をまとめると私はどうやら、会話と文章を読むことは可能なようだが、書くことが出来ないみたいだった。読むことに関しても文法などまるで理解できず、内容が入ってくるような感覚であった。
「お湯が沸いたのでお茶をお入れしますね」
長らく思考に耽っていたが彼女によって、現実に引き戻される。
「え、ああ……、ありがとうございます」
「いいえー」
うん、いい香りがする。
木製のコップに入ったそれを口に含め、飲みこむ……。
おいしい。それに温度も熱すぎず丁度いい。
「お口に合いますか?家族以外にお入れするのは初めてでして」
「ああ、美味しいです。そうなんですね。いや、美味しいですよ。このお茶は何というお茶なんですか?」
普通に美味しい。何だろうこれ。
「小規模ですが、村にお茶の木を栽培していまして、これはそれから作ったんですよ。名前はそうですね……、バウムシュタム茶というのはどうでしょうか?すみません、実は特に決めてなかったものでして」
えへへと笑いながら彼女はそう答える。無邪気な笑顔が何とも微笑ましいと言えるのだろう。
しばらく、お茶を飲んで休んでいたが、扉が開く音がし、建物の入り口を見ると、そこには一人の老人がたっていた。
「あ、おじいちゃんおかえりなさい! お弁当美味しかった?」
「ただいま。ああ、美味しかったとも。いつもありがとう。それより、アルバンから聞いたが、村の近くで男が倒れていたそうだが、そこに座っている彼がそうか?」
老人は少し怪訝そうな顔でこちらを覗う。
「うーむ……、彼は旅人なのか?」
「えーと、確かニーホンという国の方だと言ってました。おじいちゃん聞いたことない?」
日本、言いにくかったのかな? おじいちゃんと言っていたが、ということはこの人がこの村の村長なのだろうか。どうも怪しまれている気がするな。ここはこちらから話しかけるべきかもしれない。
「助けていただきありがとうございます。私は外神和平と言います。その日本人なのですが、日本、ご存じではないでしょうか?」
「……旅人は言葉がわからないと思っていたのだが、君は話せるのだな。わしはカールという。この村の村長をしている。礼なら、助けたフィオナに言いなさい。私は報告を聞いただけだ。ところで、にほんという国は聞いたことがないが、どちらの方角から来たのかな?」
ふむ、方角ときたか、どう答えたものだろうか。気が付いたらここにいたと素直に言っても怪しまれる、しかし適当に答えてもいいものだろうか?東から来たと言うのも安直すぎる。
「すみません、地図はないでしょうか。ここの方角がわからないもので」
「……ふむ、そうか、あまり正確な地図とは言えないが大陸の地図なら持っているから、持ってこよう。少し待っていなさい」
そういうと老人は、私が寝ていた個室の扉と同じぐらいの大きさの扉の一つに入っていった。
「すみません、おじいさま少し堅苦しかったでしょうか? でも、心優しい人なので怖がらないであげてください。それと、おっしゃっていたドイツやアメリカというのはニホンからどちらの方角にあるのでしょうか?どの国も聞いたことがないものでして」
「いえ、大丈夫ですよ。それに助けていただき本当にありがとうございます。そうですね……、私が知る限りの世界地図だとドイツは日本の西、アメリカは東といったところですね。日本は島国なのでどちらも海を挟んでいます」
特に怖いということはなかったが、確かにかなり堅い印象を受けた。
しかし、うーん、聞いた限りこちらもエルゲドゥラーやツァバートという国は聞いたことがない。その土地ならではの地名かとも思ったが、宗教国家はともかく、現代で複数の貴族が所領を持っている大国なんてあっただろうか。イギリス……? いや、少なくとも現代では当てはまらない。
「島国ですか。島国というと西にある王国ではないでしょうか?ということはツァバートを通られて来たのではありませんか?」
恐らく違うと思うが、地図を見ない限り何とも言えない。
「待たせてすまなかったな。フィオナ、テーブルを少し片づけてもらえるかな」
「あ、ごめんなさい、おじいちゃん。この方とお茶を飲みながら話してた。もう残ってないから、また入れてくるね。おじいちゃんも飲む?」
「ああ、頼む」
カール村長は返答すると、コップだけ置かれた、テーブルに地図を広げ始めた。フィオナはうんと頷くと台所の方にティーポッドを運んで行った。
「さて、この辺りがバウムシュタムだね。他にもいくつか村はあるが、2つの大国に挟まれている。左はツァバート、右がエルゲドゥラーだ。下の方にも国があるのだが、ここは内戦や外部からの侵略が多い場所でな、国が変わることが多い。わしの一番新しい記憶ではシュムタットという国があったのだが、最近再び内戦が起きたらしい。次はなんて国になるのかはわからないが、もしかしたら内戦はもう終結しているかもしれないな。ツァバートに行けば、確かな情報を知れるかも知れないが……」
村長はあごひげを触りながら、わかりやすく教えてくれた。
しかし困った。知っている国がどこにもないし、大陸の形も違ううえ途中で途切れている。強いて言えば、欧州の辺りが近いだろうか。これはどう答えたものか。
「君はにほんから来たと言っていたが聞いたことがないのだ。どの方角から来たのかね? ツァバートか、エルゲドゥラーか、それともシュムタットか?」
「すみませんが、どの国も通った記憶がありません。私がいた国は島国なのですが、恐らく、この地図に載っている島国でもないでしょう」
うん、これには正直答えようがない。正直、騙されているのか、自身の記憶喪失を疑いたい。
「倒れて記憶が混乱しているのかもしれんな。その様子だと、今日の宿もないだろう。あまり面倒は見れないが、今日は泊まっていきなさい。ゆっくり休んで、それから思い出せばいい」
「え、いいんですか」
……いい人だった。
まだ昼だが、ベッドで仰向けになりながらそんなことを考える。
いやまあ、信頼しきるのはまだ抵抗があるが、現状だと、頼れる人がいなかったのでとても助かる。しかしだ、くどいようだがこの状況は一体何なのだ。考えてみよう。
1つ目は私が誘拐され、集団的に騙されている可能性。とりあえずはこれが第一候補だろう。もし、そうであるならば、今日私は寝るわけにはいかない。
2つ目は私が記憶喪失に陥っている可能性だ。名前や出身、昨日の夕食を覚えているはいる。しかし、外出用の服装を着ていたことを考えると昨日というのは流石に間違いだろうと考えたい。
だが、スマートフォンの日付を見ると、昨日から一日しか経っていないのだ。ご丁寧に日付を変更されたのでなければ、この可能性は低いだろう。
しかし、そうなると僅かな時間で私を誘拐など出来るものであろうか? 仮に誘拐されていたとして、何の目的が? それに連絡手段であるスマートフォンを返したり、あんな風に自由に出歩くことを許すものだろうか?
3つ目はこれで合ってほしいだが、私が明晰夢を見ているというという事だ。これも辻褄としては合う。
……いや、まて、私は夢を見ていたはずだ。内容はもう何となく程度にしか思い出せないが、夢の中で夢を見ていた。この状況はあり得るのだろうか? 夢から覚めたら明晰夢だったなどということが。
もし、これが本当に夢ならば、今ここでこの命を絶てば、きっと私は目覚めるか別の夢を見るのだろう。
しかし、もしもこれが現実であるならば、この状況を夢だと安堵するのはまずいのではないだろうか。そうなると、この状況で考えられるのは、私は短期的な記憶喪失か、誘拐され、騙されているかもしれないということになる。
今の情報からはこれが最も納得出来る答えだ。
現実逃避とも言えるが、わかっているのは、私は会話ができ、文章が理解できるということだ。そして、2つの大国に挟まれている村にいるということだけだ。
……いや流石に馬鹿げている。それにしても私はこれからどう行動すべきであろうか。誘拐されている可能性もある以上下手な行動もできないが、とにかく情報が足りない。うん、割と死活問題だ。
「どうしたものか」
一人天井に向かって呟いていた。
……迂闊なことをしてしまった。気を付けなければ。