18話 帰るためには
「そこを右、……ちょっと待ちなさい。誰か来るわ」
重い……。背中に胸の感触があるがフィオナさんの時と比べ、そんなことを思っている余裕はない。後ろから常時、殺気を感じている。もし、重さと諸々の感触を指摘しようものなら、彼女は首をへし折ってきそうだ。
「ここよ、早く入りなさい。……何をしているの?」
先程、それを言われて中に入った結果、碌でもない目にあったのを忘れたのだろうか。いやまあ、今の状況を誰かに見られるのはお互いよろしくない。早い所、彼女を部屋に置いていこう。
部屋に入ると、とりあえず、彼女を椅子に座らせた。ベッドを粘液まみれにするのもあれだしな。
「見られなかったことは褒めてあげる。でももう少し、手際よくできないのかしら?それと、今日のことは他言しないことね。もっとも、探られて困るのは貴方だということが少しは理解できていればの話だけど」
「エストリーさん、ご助言ありがとうございます」
「あと、そこのカバンを取って頂戴」
彼女の指示で机の横にあるカバンを渡した。彼女は茶色い小瓶を取り出し、蓋を開けると、中身を飲み干した。音から察するに液体だろうか。
「……っ!……っ!」
エストリーは椅子に座ったままではあるが、いらついた顔をして、何かをしようとしているように見える。
「何をしているのですか?」
……睨まれた。
「何で、これまで魔術を無効化するのよ!?」
これ……ああ、この粘液か。全く分からないのだがそんな効果があるのか。まあ、別に手で洗えばよろしいのではと思うが、彼女は洗濯の魔術を持っているのだろうか?洗濯の魔術を選択したけど、使えなかった。……いや、危ない少し笑いそうになってしまった。こんな親父ギャグで。我ながら疲れて、感性がおかしくなっているな。
「とりあえず、何とか説明して、誰かに洗濯を頼みましょう」
「あら、素敵だわ。どうやって説明するつもりなのかしら?是非とも聞きたいわね」
にっこりとしているが、怒っているのは間違いない。
「とりあえず、アルセドさん達に頼むというか露見するのはまずいので、エストリーさんの従者で内密に洗濯してくれそうな方はいませんか」
「……貴方、中々いい性格しているわね」
正直、私のコートは自分で手洗いしてから頼むのでいいのだが、彼女に関してはどうしようもない。
「いやあ、何と言いますか、少なくともエストリーさんに関してはそれしか方法はないかなと」
「はぁ……まあいいわ。とりあえず着替えるから後ろを向きなさい」
「着替えるのであれば、出ていきますが」
「話があるのよ。それに私の部屋の前で貴方が待っていたのを誰かに見られたら、どう説明するつもり?」
「あぁ、まあそういうことであれば」
後ろから衣服が脱げる音がする。この後、彼女は内密に洗濯してくれそうな人を選択……いや、もうこれを考えるのはやめよう。流石に顔に出してまで笑うことはないが念のためな。……軽い気持ちで部屋を出たらこんなに疲れる羽目になるとは。まあ、ある意味この世界の異常に気が付けて良かったとも言える。どのみち、私の認識がおかしければ、どうすることも出来ない。ならば、今見えているものに抗うのも許されるだろう。
何か……霧吹きの様な音が聞こえる。
「……もういいわよ」
「わかりました」
先程と違い、青色のさっぱりした服を着ている。着ていた衣服はというと床に雑に積まれている。
「何を見ているの」
「ああいや、すみません。あまり見るべきではありませんでしたね」
彼女の手には小さな風船のついた小瓶が握られている。吹きかけていたのは恐らくあれだろう。
「とりあえず、貸しなさいそれ」
……?
「その黒い外套よ」
ああ、コートのことか。手渡すと彼女は何回か小瓶の液体を吹きかけた。
「ほら、ましになったのではなくて?」
ふむ……、ああ確かに臭いはあまりしなくなっている。
「ありがとうございます、エストリーさん」
「……………」
「エストリーさん?えっとどうかしましたか」
「ソトガミ、貴方はもう食事の時のことを忘れたのかしら」
食事の時……、ああ、確かに彼女が乗っ取られたのは食事後だと言っていたな。つまり、元々、私に対して、何か話すことがあったというのは変わらない。なら何を話すつもりだったのだろうか?
「ええっと、すみません。何か話をすると言われた認識をしているのですが」
「エストリーで構わないと言ったはずだけど」
「あ、あぁ……それですか」
それは予想していなかった。一連の出来事で嫌われこそすれ、好かれる要素など皆無だと思うのだが、であればこそ、彼女を刺激したくなかったのでエストリーさんと呼んでいた。いや、そうでなくとも、「さん」を付けた方が個人的に話しやすいというのはあるが。呼び捨てにするのはあまり慣れていないのだ。
「今のは忘れて頂戴、私も今日のことは謝るわ。乗っ取られて、貴方を襲ったもの」
「それに関しては特に気にしていないので大丈夫です。あと、私は元々、人を呼び捨てにするのにはあまり慣れていないものでして」
「そう。なら、私はソトガミと呼ぶから、貴方も好きな方で呼びなさい」
まあ、そういうことなら……。
「わかりました、エストリーさん」
「貴方ね……。私が貴方をソトガミと呼ぶなら、私のことはエストリーというべきだと思うのだけど」
彼女がよくわからない。先程まで彼女とは、友好的な関係を諦めていたのだが。まあ、ここで拒絶する方があれか。
「わかりました。ではエストリーと呼びますが大丈夫ですか」
「嫌なら、明日の予定もなかったことにしてあげるけど」
内心自由に色々見たいところはあるが明確に私を狙っている存在がいる以上、誰かしらと一緒にいた方がいいだろう。アルセドさんにも何かしらの裏がある以上、リテーリアさんも警戒すべきだが。
「いえ、エストリー、良ければ、一緒に案内されてくれませんか」
もし、私が狙われているのだとしたら、今の私は非常に無力だ。
「そう。なら行くことにするわ」
早くあの肉塊を呼び出す方法を見つけなければ。
「ああ、それと貴方の力を打ち消す能力だけど、迂闊に知られないことね」
「打ち消すと言っていますが、私にはそれがさっぱりわからないのですが」
「無意識に常時打ち消しているのなら、いずれ露見するでしょうけど。少なくとも打ち消すということは、この世界の常識そのものを否定しているということを忘れないことね。魔術を打ち消すなんて、使い手のそれまでの世界全てを否定し、踏みにじっているようなものだもの。反対の力で相殺するのとは訳が違うわ」
はぁ……よくわからない価値観だし、疑いたくもなるが、今までの異常を見ると、存在するのだろう。
しかし、こんな目に合っているというのに神など存在するのだろうか。いるとしたら、無干渉か、善良ではない存在だろう。まあ、どうでもいい。
「何度も言っているけど貴方は異常だわ」
何度でも否定したいが、そんなことはない。少なくとも魔術を使える存在がいるのならば、そちらの方がよっぽど異常だと思うのだが。
「勘違いしないで、たまにいるのよ、魔術じゃない何かで力を行使しているような人や物が。私だってそうだわ」
「ええっと、エストリーは何を言っているのですか?」
そういうと、彼女は何度か見せたように目を赤く光らせた。
「何度か光っているのは見ましたがそれが何か?」
「これは本来だったら、貴方を殺すことも出来るのよ?」
そんな力を私に使っていたのなら、勘弁してほしい。
「でも、貴方はこの力を無力化した。でも鍵の異常は無力化できなかった。……つまり、どういうことかわかる?」
「……異常な性質を持つ何かに対しては、不完全に効力を発揮しているということですか?」
「仮定するには早いけどそういうこと。長生きしたいのなら、そういう力に対して、安易に近づかないことね」
普通ならこんな話を真に受けるはずはないのだが、体験というものは恐ろしい。
「………」
「何?」
今はともかく、出会ったばかりの時は明らかな敵意があった。食事の時は若干和らいだとは言え、彼女はわざわざ忠告するために私に話をしようとしていたのだろうか?黒への差別や抵抗感はあるものの根は悪い人物ではないということだろうか?
「ああいえ、教えていただき、ありがとうございます」
「そう」
「では、そろそろ私も部屋に戻りますね。また明日よろしくお願いします」
そういって、彼女に軽いお辞儀をし、扉に手をかけると後ろから呼び止められた。
「待ちなさい、最後に貴方に言っておくことがあるわ」
「まだ、何か?」
「……ありがとう、助けてくれて」
「はぁ」
「はぁって、貴方ね……」
「いや、実際、私が原因でああなったのならば、私の責任も多少はありますし、寧ろ、巻き込んで申し訳ありません」
「本当によくわからないわね、貴方。……まあいいわ、おやすみなさい」
「なんかすみません、おやすみなさい」
扉を開けようとしたが、不意に足音が聞こえ、思わず、手を止める。
というか、徐々にこの部屋に近づいてないかこれ。
焦ってエストリーの方を見ると彼女も気づいているようだ。
「とりあえず、ベッドの下に隠れなさい……!早く……!」
出来るだけ、物音を立てないように急いでベッドの下に潜り込む。
掃除されていたのか、埃はほとんどなく清潔だ。服が埃だらけにならなかったことに安堵していると、予想通り、足音が止み、ノックの音がする。
「お姉さま~、わたくしです~」
女性の声だ。
「入りなさい」
扉が開かれた音がする。
「失礼致します~。あら?そのお召し物はいかがなされたのですか?」
「貴女には関係ないわ、何の用?」
「いえ、長旅でお疲れかと存じまして、よろしければ、お体をマッサー「いらないわ」」
「そんな!?」
何か変なのが来たな。
「要件はそれだけね。なら帰りなさ「ちょ、ちょっと待って!待ってくださいませ、お姉さま!」」
「何?」
「いえ~……あの~お姉さま、恐れ入りますが、明日のご予定はいかがでしょう?」
「明日はリテーリアというものに、ゲヘナの案内と護衛をしてもらう予定よ」
「……あら、まあ。護衛はそのお方だけですの?」
「そうね。それと、ソトガミ殿もご一緒するわ。昼に黒い服を着た人物を見たでしょう。彼はアルセド殿の息子よ」
「ええ!?……こほん、失礼致しました。お姉さま、いくらゲヘナの領主の息子でもあのようなものと街へ歩くなど、なさらない方がよろしいかと存じます」
ああ、ゴルディアスさん達が私に持っている感情は、大体こんな感じなのだろうか。
「貴方も黒いのは奴隷しか見たことないのでしょうけど、認識を改めることね。少なくともましな教養は持っているわ」
「ですが……!」
「ゲヘナとは同盟を結んでいるのは知っているでしょう。なら、後継者として、親睦を深める必要があることは貴方にもわかるでしょう」
「確かにその通りかと存じますが、お姉さまがあんまりですわ!」
会話したこともない女性にそんなことを言われる私もあんまりですわ。
「私は別に構わないわ。昼に食事をしたから、どういう人物か、わかっているもの」
わからないって、言ってなかったか。
「そんな、お姉さまとご一緒にお食事を!?そんなうらやま……いえ、なんてことを!」
間違いなく、面倒くさい人物だな。関わることはないだろうが、気を付けておこう。
「お姉さま、それならば、わたくしも護衛としてご一緒しますわ!ゲヘナだけの護衛ではいざという時に、お姉さまを守れませんもの」
「はぁ……付いてきたければ、明日の昼前、城の門で待っていなさい。あと、部屋を出たら、すぐにゾフィーを呼んできて、絶対に一人で来させること。いいわね?守れなかったら明日の護衛は他に任せるわ」
……言いたいことはあるが、これに関してはエストリーを責めるのも違うか。まあ諦めよう。
「はい、その様に致します。ですので明日はお姉さまと」
面倒なことになりそうだな、明日……。
「今日はもう休むわ。他に要件がないなら、また明日会いましょう」
「はい、失礼いたします!」
「おやすみなさい、リディア」
「おやすみなさいませ、お姉さま」
扉が閉まる音がした。
もう大丈夫だろうか?………………………………大丈夫だよな?
「そろそろ出てもいいでしょうか?」
多少清潔であるとはいえ、僅かに汚れがついているので気持ち程度に手で払う。
「先程の女性はどなたでしょうか?」
「彼女はリディア。私に仕えている名家の令嬢で幼い頃からの知り合い」
「それだけですか?」
「他にどういった説明がいるの?まあ、そうね。あとは話を聞いていたのならわかるでしょうけど、貴方みたいに黒いのは私以上に嫌いね。それはあの子に限った話じゃないけど」
「なるほど……」
「あと、男が嫌い。傍にいるのも視界にいれるのもね」
それは流石に生きていくうえで無理があるのでは?
「魔術にも秀でているけど、その分プライドも高くて負けず嫌い。もし貴方が彼女の魔術を打ち消したら恐らく一生、根に持つわね」
「わかりました、もう大丈夫です。彼女とは極力問題にならないように気を付けます……」
「そう。ならいいわ」
「それじゃあ、今度こそ、誰か来る前に出ますが、念のため、扉の外を確認して貰えませんか?」
「何でわざわざ確認する必要があるの?……わかったわよ、仕方ないわね」
エストリーは億劫そうに向かうと扉を開け、周囲を確認した。
「誰もいないから、早く出なさい」
「ありがとうございます」
「また明日、ソトガミ」
「はい、また明日」
「それと、気が変わったから、少しなら手伝ってあげる」
彼女は言い終わると、扉を閉めた。
最後の言葉に聞きたいことはあるが、とりあえず、また誰かが来る前にここから離れよう。
……異常な性質を持った人や物……もし本当であれば、これらは使えるかもしれない。それらの中に元の世界に戻るために役立つものがあるかもしれない。使えそうなものを見定めて、集めよう。邪魔になりそうなものは可能な限り、除去しなければならないな。
少し迷ったが漸く自分の部屋に辿り着く。
エストリーを背負ったことによる疲労感だろうか、体がどこかぎこちない。少し早いかもしれないが、今日はもう休もう。色々あって疲れた。長旅の疲労もある。ふかふかなベッドなど、いつぶりだろう。
そう思いながら、扉を開く。誰もいないと思っていた部屋には少女がいた。ベッドに腰掛け、俯いている。どうやら部屋を間違えてしまったらしい。
「すみません、間違え……フィオナさん?」
彼女は私の声にぴくっと、反応し、ゆっくりと顔を上げ、こちらを見つめる。部屋を見渡すと、私の荷物と思わしきものが目に入る。間違えてはいなかったようだ。
なら、何故、彼女が私の部屋に?何か用でもあるのだろうか。
自身の部屋であることを確認した私は部屋に入り、扉を閉めた。彼女は何を言うわけでもなく、こちらを見つめている。その瞳を見ているとどこか深い所まで引き込まれそうな、そんな感じがした。
彼女は立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づくと、そのまま抱き着いてきた。突然のことに思わず、手に持っていたコートを落としてしまった。静かだった彼女は徐々に嗚咽し始める。
「ええと、フィオナさん?どうしたんですか」
「ソト…ガミさんっ…、私…急に…寂しいって…で、もソトガミさんっ…いな…くて…、そしたら、また一人…だって…思って…私っ……怖く…って…」
嗚咽と共に抱きしめる力も強くなる。
昼に別れた時と違い、今の彼女はとても脆く、不安定な印象を覚える。以前にも彼女がこうなったことがあった。始めは、村が襲撃された時のことだ。あの時の彼女は明らかに異常だった。しかし、家族や親しい人々を全て殺されたのだ。仕方のないことだとは思っていた。
あれ以降、私が傍にいないと彼女は不安になるらしい。旅の道中、別行動になり、彼女のそばを離れたことがある。その時の彼女は不安げな表情で時折、私がいるであろう方向見つめ、どこか危うげな様子であったということをリテーリアさんから聞いてはいた。彼女の精神的異常は未だ回復の兆しがないということだろう。私はその手のことは詳しくないとはいえ、あれからまだ1ヶ月もたっていないのだ。心の傷というものはもっと長い時間をかけてゆっくりと癒していく必要があるのかもしれない。
「…ソトっ…ガミさ…ん…?」
彼女の頭に手を置き、子供をあやすようにぽんぽんと優しく叩く。
正直、女の子に触れるのは色々な面であまりよろしくないのだが、まあ仕方ない。これで彼女が落ち着くかはわからないが、求められている以上は無下にもできない。彼女には世話になった恩がある。そして、間接的ではあるが、こうなってしまった原因を作り出してしまったのだから。彼女を助けよう。それが、元の世界に帰るまでに私が行うべきことの一つだろう。
「フィオナさん、すみませんでした。少し城を見ていたものでして」
「ソトガミさん、お願いです……傍に……居させてください。傍いないと私、怖くて、怖くて、怖く……て、何も何も……っ!」
「大丈夫ですよ、落ち着くまで傍にいます」
とにかく彼女を何とか落ち着かせよう。どうすればいいのか正解はわからないが。一先ず、彼女の要望通り、傍に居させることにしよう。
……ふと考えた。私がこれまで接してきた白髪の人たちは本当に同じ「人間」なのだろうか。髪色を気にしなければ、見かけこそ人だ。だが、明らかに異常な力を行使出来ている以上、どこかしら構造が違うのだろうか?エストリーだけが異常なのか?
案外、死活問題かもしれない。何故なら、もしあれらが同じ「人間」でないのだとしたら、私が予測しえぬ危険や敵対があるかもしれない。出来ることなら、調べておきたい。しかし、どうやって、判別したらいい?それこそ体を解剖して確認するのか?そんなことをすれば、私はこの世界のこの白髪のものを敵に回してしまうだろう。それに医学の知識に乏しい私が見たところで判別が付くものだろうか。
……いや、駄目だな。余計なことを考える。今は目の前の少女を落ち着かせることだけを考えるとしよう。




