16話 目に見えるそれは
食事が終わり、部屋に案内された。今は少し休んでいる。
しかし、このままのんびりするのもあれだ。城を回ることにしよう。一応、城の構造ぐらいは、ある程度、頭に入れておいた方がいいだろう。
そういえば、フィオナさんはあの後どうしているのだろうか?まあ、誰かしらに会ったら、聞いてみることにしよう。……このコート、外に行くのであれば、一応脱いだ方がいいだろうか。念のため、置いていこうか?いや、髪が黒い以上コート脱いだところで変わらないか、着ていこう。
気持ちの準備も済ませ、部屋を出ようと扉を開けるとエストリーさんがいた。
「外神、着いてきなさい」
「ええっと、街を見るのは明日のはずでは?」
「話があるって言ったことをもう忘れたのかしら」
「それなら、ここでも構わないのでは……」
「貴方、少しは頭を使ったらどう?それとも、私とここで楽しくお話するとでも思ったのかしら」
彼女は呆れたように軽いため息をついた。
「……とにかく、着いてきなさい。怪しまれないように」
彼女は小声でそう言ってきたが、正直どうしたものか。まあ、着いていくことにしよう。この城にいる時点で自由など半ば捨てているようなものだ。
誰かとすれ違うわけでもなく、互いに無言のまま歩みを進める。そして、彼女はある扉の前まで来ると足を止めた。
「ここで話しましょう」
そういう彼女の手にはいつの間にか鍵が握られていた。
まあ、それを置いておくとしても、ここは彼女の部屋のようにも見えない。何故鍵を使う必要が?
彼女は気にせず、扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。
しかし、鍵穴などなかったはずだが。先ほどから、私の見ている光景は異常と言えるのではないだろうか。ここまでの道のりは覚えてはいる。後日、確認してみよう。
「何をしているの。早く入りなさい」
まあ、とりあえず、入るか。
「……ここは、外?」
夜をも感じさせる夕暮れ……しかし、有り得ないことがある。何故なら、後ろには扉しかない。壁がないのだ。それに先程まで、外はまだ昼の明るさだったはずだ。こんな夕暮れの景色ではない。いや、これを夕暮れと呼ぶには何かがおかしい。
ふと見上げると空は異常なまでの赤で覆われている。赤……それは決して夕暮れが作りだす赤などではない。そう、例えるならば血肉の色と言ったところか。
「全てが異常だと思うでしょう?でも、貴方もこれと同じなのよ?」
言葉と共に眼前の扉が消えた。
彼女の言葉の通り、これは明らかな異常だ。今の私の正気は恐らく著しく低いな、これは。それに彼女も先程と雰囲気が違う。
「薬でも盛ったのですか?」
「そんなものは使ってないわ。そんなことしなくても、貴方は狂っているでしょう?」
確かに向こうから見れば、おかしいところはあったかもしれないが、文化の違いはある程度ある以上、仕方ないのではと思う。まあ、小説で言うならば、この後、私が害されることは間違いない。相手が武器を持っている以上、素手のこちらが不利だ。にしてもこれはこれで珍しいな。最後の景色としては最悪かもしれないが、そうでないのならば、珍しいものを見た。
「聞いているのかしら……?」
「あ、ああ……すみません。いや、私はある程度、正気であるとは思っていますよ。それでええっと、話しとは?」
「……貴方のその態度、正直、不快だわ。自分だけは異常でないと思っている」
床だけ、上り、もっと広く、プラネタリウムのように風景を投影するところに移動したとかか?いや、それなら上昇した時の違和感が全くないというのもおかしいし、扉が一瞬で消えたことの説明もつかない。私はあの扉に確かに触れていた。
「気分を害されたのであれば、すみません。それとこの景色は一体どうやって?」
「……ふふ、そうね、そうだわ、貴方には余計なことを喋っていたわね。わかりやすく言うべきだったわ」
「……?」
「黙って、私に喰われなさい」
要はカニバリズムということか、よし、とりあえず、一旦距離を置こう。
私は即座に彼女とは反対の方向にダッシュした。
……いや待て、距離を置いたところでここからどうでる?彼女が持っていたあの鍵、あれを奪えれば、ここから出ることは叶うかもしれないがどうしたものか。対話……すでに手遅れなのでは……まあ仕方ない。
「貴方に聞きたいことがあるのですが」
私は走るのを止め、彼女の方を振り向きそう聞いた。
「私の言葉、聞こえなかったのかしら……?」
「そもそも、何故私を食べる必要が?食事なら先程共にしたはずですし、まだお腹が減っているのであれば、アルセドさん辺りに言えば、用意してもらえると思いますよ」
彼女は無言で剣を引き抜き、こちらに歩みを進めてきた。
これはまずいな。怒らせたか?
「ええっと、そもそも人肉食というのはクール―病など、リスクがあると言われているので、お勧めが出来ないのと、世には様々な食があります。法や倫理観を犯してまでのものでないと思いますが」
ああ、これは完全に怒らせたな。どうしようか。
「400ml献血で妥協してくれませんか?」
「血を捧げるのね?」
お、動きが止まった。脈ありか、これは。しかし、そう都合よく、生命活動を維持させてくれるものだろうか?どうせなら、牛豚鳥で妥協してくれ。うん、怖いからやっぱりやめておこう。
「いや、やっぱりなしで。エストリー、わがまま言わないでください」
迫ってくるエストリー、それはそうか。まあ、話し合いが無理な以上どうしようもないしなぁ。時間稼ぎに走ろう。右ポケットを弄ってみるが、入っているのはスマートフォンだけか。いや、左にもそういえば、あったな。これは……あの勾玉か。役に立たない。いや、投げれば、一瞬の目くらまし程度にはなるか?ならんだろ……。それならスマートフォンの方がまだ適している。
そもそもだ、やはり今の状況は何だ。私は夢でも見ているのか?しかし、この感じを明晰夢と片付けても良いものだろうか。
もし、これが夢ならば、私が死ぬことによって、それは変わる。しかし、夢の確証が持てない以上、これは幻覚、もしくは信じがたい異常が、私の眼前にあると言える。
一先ずは、痛みを確かめよう。
左手に視線を移す。左手の親指の付け根辺りを確かに口に含み、そして思い切り噛んだ…!噛み跡からは血が滲み、痛みがある。
しかし、これで夢だという可能性は低くなった。
つまり私は死ねなくなった。
夢でないのならば、今、私はこの異常を何としてでも打破しなければいけない。そして向き合わなければならない。これまで、そして、今ここにある異常に。
ここは私の見ている世界、全てが嘘偽りでなく、真実であったとするなら、何か異常なものが他にもあるはずだ。異常……、ああ、そもそも何故私はこの勾玉を持っている。これも異常そのものではないか。これで何かそういう現象を起こせないものだろうか。それにずっと走っているせいでそろそろ体力的にも限界だ。勾玉は手に取るが特に変わりはない……。これがただの勾玉であれば、私の打開策は何一つない。
勾玉……思い浮かぶのはあの泉での出来事と、フィオナ擬きの夢……。待て、あいつを呼ぶことが出来ないだろうか?しかし、どうやって呼ぶ?呼べる確証もないのだ。……試してみるか。
「……助けてくれ!フィオナ擬きっ!」
左手の勾玉を掲げ、そんなことを叫ぶ。
……特に反応はない。
「……何をしているの」
まあ、そういう反応になるよな。しかし、彼女は歩みを止めているおかげで僅かだが、時間を稼げている。よし、呼吸の回復もしたいし、何とか会話を続けてみよう。
「ああ、これは……そうですね。貴方の鍵と同じようなものと言えば、わかるでしょうか。そういえば、これだけはどうしても聞きたいことがあります。貴方は日本という国を知っていますか?」
「……何を聞くかと思えば、またあの時と同じことを」
あの時?あの時とはなんだ。私と彼女は今日が初対面なはずだし、この会話をするのも初めてなはずだ。もしかして、私はバウムシュタム村以前にこの……少なくとも、私が知りうる世界に、こんな異常はなかったのだ。異世界と仮定しよう。いや、それも異常だが、まあ仕方ない。記憶喪失前にどこかに放浪していて、彼女と会話したことがある?いや、しかしだ……。
「私と貴方は面識がないように思えるのですが」
「貴方はそうやっていつも思い出せないのね?気に入らない……気に入らないわ……。私の思い通りにならない……あの時、貴方を……白痴の……」
言葉は最後までは聞き取れなかった。彼女と私はどうやら面識があるのだろう。ならば、ここは出来る限りの情報は得ておきたい。それに打開策を考えるまでの時間稼ぎも必要だ。
「私と貴方が会っていたというのであれば、日本について何か、知りませんか?もしくは私が何か貴方に話したことについて、お聞きしたいのですが」
「そんな会話に意味なんてないわ。全く無意味な時間を過ごさせてもらったことね」
彼女は再び歩みを進める。しかし、速さは先程の比でない。これはまずい。
彼女は一気にこちらに距離を詰め、剣で斜めに斬りかかってきた……!
寸でのところで何とか、右後ろに躱せた!いや、駄目だったようだ。遅れて痛みを感じ、左腕を見ると、服の上から、腕に縦で刻まれているのがわかる。腕は繋がっているようだが、左手に血が滴るのを感じる。
熱い……。
しっかり状態を確認したいがそんな余裕はない。彼女は再び斬りかかろうとしている!再び避けようとしたが、さっきと違い、体制がやや崩れている。
間に合わない!
これまでかと思ったが、不意に地面から出た何かに体を吹き飛ばされる。しかし、体が地面の衝撃を受けることはなかった。
背に何か肉々しい感触を感じる。それと共に酷い臭いが漂う。血と肉が腐敗したようなこの臭いを私は何故か知っている。
そうだこれは。あの夢で見た……。
「……会ってきたのね。面倒だわ、以前と比べて格段に早い。それに比べ、これはまだ成熟してないだけあって、駄目だわ。抗ってくるのだもの。……は本当にどこまでも……」
何を言っているのかはわからないが、とりあえず、「これ」から離れよう。
私が立ち上がるとそれはにゅるんと、地面に収まって、跡形もなく消えた。
理解のできない異常なことばかりが起き続けている。何なのだ、これは。そもそもあれは何だ。あの勾玉か?いや、なら、回りくど過ぎないだろうか。少しは時間を稼げたが、助けが来る気配は一向にない。やはり、彼女をどうにかしなければ、ここから出ることは出来ないのかもしれない。
しかし、どうすれば、そう思っていたが、今度は彼女の足元から肉塊が生える。それは勢い良く、彼女目掛けて飛んでいったが、食事の時と同様に宙に浮き、それを躱した。高く飛んだ彼女にどこまでも追っていく肉塊、それは果てしなく伸び続け、膨張している。膨張したそれは枝分かれし、彼女を追いつつ、再び膨張する。
時々、エストリーがこちらに向かって、何かを投擲する動作を見せるが、肉塊がそれを防いでいる。
あれは私を助けているのか?しかし、明らかに人類の敵みたいな見た目をしている。
「いつもいつも、私の邪魔をするのね……!許さない、絶対に許さない……!」
あれで案外友好的なのだろうか。言葉は通じるのだろうか?駄目元で頼んでみようか。いよいよ、私も正気ではないな。
「助けてくれて、ありがとうございますー!彼女は殺さず、話せるようにはしておいてほしいのと、あと、彼女が持っている鍵を回収してほしいのですがー!」
……あの肉塊に言葉が通じているのか猛烈に不安ではある。気まぐれに彼女を追っているだけでこちらに標的を変える危険も考えられるからだ。
おっと、空中でびゅんびゅんしているエストリーがこちらを睨んでいる。というか、進路を変え、こちらに迫ってきている。これはまずいな。
疾風の如く迫ってくる彼女だったが、突然動きを止めた。その隙を突くかのように別の肉塊が地面から生え、彼女を叩き落とした。落とされた彼女の体からどす黒い靄のようなものが出たかと思えば、肉塊はそれごと、彼女を飲み込んでしまった。その光景はさながら、映画などで見る化け物の捕食そのものである。
同時に気が付いたことがある。腕の痛みが消えている。服は斬られたままだが、傷跡などは全く残っていない。
この肉塊が治してくれたのか?やはり友好的な存在なのか?もし仮にこれが友好的でない場合、私が逃げ切ることなど不可能だろう。……友好的なことを祈って、近づいてみよう。




