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白痴の黒  作者: 忌神外
10/53

10話 黒は目覚め、白は絶える

 体が倒れ、視界と共に思考もぼやけてくる。抜いたナイフを片手に女が笑っている。


 ああ、そういえば、前にも体験した。そう、確かあれはまるで未来を見てきたかの様な体験だった。あのシスターと名乗る女性、テレサというお手伝いのおばあさんとは会っていない。本当に存在していたのかもわからない。


 だが、あの夢は本当に目の前にあるような、確かにそこにあるようなリアルさがあった。ならば、今まで私が見てきたこれもきっと夢なのだろう。私は死ぬがなんてことはない。次に目が覚めた時、私はまた夢を見ているのだろうか。いや、いい加減目を覚ますべきか。起きたら何時だろうか、二度寝しなければ……よいの……だが……。


 目が覚めた感覚があるがどうもおかしい。背中には硬い感触がある。それに誰かによって、体をこれでもかというほど揺らされている。


「ソトガミさんっ! ソトガミさんっ!」


 この声は……フィオナさん?


「……っ。ソトガミさん……生きてた……良かった……です……っ……よかっ……っ……た……ぐすっ……」


 見知った顔が涙を溢れさせながら、真上から覗き込んでいる。というか、涙と鼻水が顔に落ちてくるのだが。


 いやまて、それよりも……。


「あれは……」


「ソ、ソトガミさん! 急に体を起こしちゃ駄目です! 傷が……」


 傷……そういえば、そうだ。私は刺されていたはずだ。


 しかし、触った感覚では傷がない。脇腹にも全くない。いや、それどころか先ほどまでの疲労感が全くない。どういうことだ?


「あ…あれ? 傷がない……。でも、ソトガミさん刺されたんじゃ……」


 私もそう思う、いやそもそも首に刺さっていたあの感覚も確かにあったのだが。というよりも、これはどういう状況なのだろうか。いつの間にかあの白いローブの女性が倒れている。


 女性に近づき、念のため、落ちているナイフを遠くにやり、女性を仰向けにする。


 呼吸をしていないのか?


 女性の胸部というのは些か抵抗あるが、手を当てる。


 ……動いていない。


「ソトガミさん……そういうの……っ……良くないと思います……」


 全く持ってその通りなのだが、状況が状況なのでしかたない。


 眼球は上にそれ、口はだらしなく開いたままだ。


 もしかしなくても、死んでいるのではないだろうか。念のため、脈も確認したが、動いていない。専門的な医学知識があるわけでもなく、断定するにはあれだが恐らく死んでいるのだろう。


 しかし、何故? 誰が殺したというのだ?目に見える範囲で外傷も見当たらない。


「フィオナさん、私が目覚めるまでに何があったのですか」


「えっ……ソトガミさんが……っ……刺されて……倒れて……っ……っ……」


 何があったが聞きたかったのだが、再び泣いてしまった。


 しかし、私が刺され、倒れたというのは夢ではなかったのか。


 ……いや、服は破れている。血の跡もある。


 今の状況をまるで理解できない。前にも似たことはあった。それはあの教会でのことだ。でも、あれは幻覚症状の様なものとして、片付けることが出来た。


 だが、今回はどうだ。私は確かな痛みと共に刺され、倒れた。仮に生きていたとしても、完治が早すぎる。フィオナさんの反応も私がさっき刺されたような反応だった。私は刺されたのか?


 いや、傷がない以上、刺されていないのだろう。ではあの痛みは……? それにあの白いローブの女性は何故死んだのだ。


 まるで理解できない。何故?どうやって? どうして?


 ……いや落ち着こう。とにかく私は生きている。今見ている景色を明晰夢と片付けるのは難しいが、とりあえずはこう考えよう。差し迫った危機を回避できた。今はそれだけで十分と考えよう。


 ……とりあえず、リテーリアさん達が戻ってくる前に血は洗い流しておきたいものだが。


「二人とも、無事か!」


 暫くして、扉からリテーリアさんとアルセドさんが入ってきた。


 見たところ片付いたのだろうか。アルセドさんはともかく、リテーリアさんは返り血が酷い。何人殺したんだ……。フィオナさんは怯えて、私の後ろに隠れている。


「フィオナ嬢、そのように怖がられては流石に少し傷つく」


「血まみれなのが悪いと思うのですが」


「私だって、好きで返り血を受けているわけではない。だが、フィオナ嬢に怖がられては仕方がない、洗い落としてくるとしよう」


 やれやれと言った感じで再び扉に向かったリテーリアさんだが、扉の前でこちらに振り返り、こう言った。


「貴公、彼女を守ったようだな。見直したぞ」


 少しゆるめた顔でそういうと、再び踵を返し、扉を開け、外に出ていった。


 守ったというか、勝手に死んでいただけなのだ。私は何もしていない。


「一人侵入を許してしまったようだね。ソトガミ君、申し訳ない」


 アルセドさんが気を使ったのか話しかけてきた。


 まあ、こちらの人数は四人、外で戦っていたのはアルセドさんとリテーリアさんの二人、こればっかりは仕方ない。


「外にいた白いローブの方々はどうなりましたか」


「恐らくは殲滅出来ただろう。何人か逃してしまったかもしれないがね」


 さらっと、恐ろしいことを言っているが、一先ず安全なようで何よりである。


「あ、あの……村の皆は……」


 フィオナさんが恐る恐る尋ねる。


「…………お嬢さん、すまなかった」


 少しの沈黙の後に返ってきた答えは、少女には何とも残酷なものであった。



「ソトガミさん……ありがとう、ございます。少し……落ち着きました」


 あの後、背中で泣き続けるフィオナさんにかける言葉も思い浮かばず、そのままにさせていた。


 多少、落ち着いた様なら良かった。


「お嬢さん、本当にすまないことをした」


 アルセドさんは深々と頭を下げた。


 正直、この場から離れ、外の空気でも吸いたい。


 だが、今のフィオナさんを引き剥がせるものがいるだろうか? いたとしたら鬼かそいつは。


「いえ……いいんです。おじいさんのせいでは……ないですから」


「お嬢さん、わしはゲヘナに帰らなければならない。だが、お嬢さんに頼れる親族がいるのであれば、この命に変えても、必ず送り届けると誓おう。どこか、行く当てはあるかね」


「……父と母は私が物心つく前に亡くなったと祖父に聞かされました。他に親族はいません」


 つまり、頼れる人はいないらしい。こういう場合、警察に送り届けるべきなのだろうが、こんなに大勢が亡くなっているところを見るとまともに機能していないのだろう。ならば、この場合は支援団体に送り届けるべきか。


「それならば、共にゲヘナに来ないかね」


「ゲヘナ……」


「お嬢さんの望みは可能な限り、叶えよう。ゲヘナに来れば、お嬢さんが生活に困ることはないように取り計らうとも。もし、お嬢さんがゲヘナは嫌だと思うのであれば、近くの都市に送り届けよう。わしが話をつけて、土地と家、そして、今後十年は遊べるだけのお金を渡そう。どうかね? 何かわしに罪滅ぼしをさせてはくれないかね」


 アルセドさんの言うことが本当であれば、この人は相当なお金持ちであるのだが、如何せん、信じていいものだろうか。念のため、聞き耳などを立て、嘘だとわかり次第、フィオナさんに教え、共に逃げ出すくらいの心持ちではいた方がいいか。


「……ソトガミさんと、……ソトガミさんと居られるのなら……私どこでもいいです」


 んん? 何故? いやまあ、日は浅くとも、見知った人が一人はいた方が安心できるということだろうか。


「つまり、共にゲヘナに来るということかね」


 フィオナさんはこくんと頷いたがちょっと待ってほしい。私はゲヘナに行くつもりは正直全くない。途中で日本大使館を見つけたら、一目散に駆け込む心積もりではいる。まあ、今そんなこと言っても、面倒なことになりそうなので黙ってはいるが。



 リテーリアさんが返り血を綺麗に洗い流し戻ってきた後、フィオナさんが洗い流し、次に私と言われたが、アルセドさんに譲り、最後に私も体の汚れを洗い落しに外に出た。


 リテーリアさんは私たちのために、すでに井戸から水を汲んでくれたようなので、ありがたく使用させてもらおう。


 脇腹を見るがやはり傷は全く見当たらない。刺されていたはずなのだが、傷口がない以上、刺されていないのだろう。それならば、あれは気絶していた間にみた夢か何かだったのだろうか。


 しかし、それならば、あの血はどういうことだろう。まさか、刺されてすぐに傷口が塞がったとも考えられない。ファンタジーの世界であれば、治癒の魔法ですぐに治ったということもあるが、ああいうのは物語の世界だ。


 ならば、私は刺されておらず、何らかの原因によって痛みと共に血が付着したと考えるべきだろう。


 もしかしたら、これは血ではなく、皮膚に触れると痛みを伴う血によく似た液体とは考えられないだろうか。そういう可能性もある。だがあそこまで激痛が伴ったのだ。腫れているものと思ったのだが、それもない。


 あまり考えすぎても仕方ない。あまり待たせるのも申し訳ないし、早いところ戻るとしよう。


 脱いだ服を再び着直し、戻ろうとするが、不意に近づく足音に気が付く。


「ソトガミ、水浴びは済んだか」


「リテーリアさんでしたか」


 彼女は誰よりも先に水を浴びたはずだ。ここに来たということは私個人に何か用があるのだろう。足音の間隔で言うならば、危機が差し迫っているわけでもなさそうだ。


「ああ、少し話がしたい」


 彼女一人、アルセドさんやフィオナさんに聞かれたくないということか。いや、アルセドさんは承知の話かもしれないな。予想を立てるなら、私の言葉についてだろうか。もしくはあの女性の死体についてだろうか。まあ、どちらにせよ、断る方が後に響きそうだ、乗っておこう。


「話……ですか。ええ、構いません」


「では、あそこの切り株にでも座りながら話そう」


 私が切り株に腰掛けると、彼女も同様に腰掛け、問いかけてきた。


「ソトガミ、あの女はどうやって殺した?」


 あの女というと、ああ、そういうことか。


「いえ、私は殺していませんが……」


「隠さずともよい、貴公が魔術の類を用いようとも、我らが害することはない」


 何も隠してはいないし、そんなものは用いていない。ファンタジーの読みすぎではないだろうか。ただ、あの女性が傷一つなく死んだのは私も気になっている。彼女はそれを私が殺害したものとして、聞きに来たといったところだろうか。


「いえ、私は何も……。恐らくは心臓、あるいは脳で急死するようなことでも起きたのではないかと」


「貴公は医術の心得があるのか」


 これは質問だろうか、皮肉だろうか。まあ、どちらでもいいか。


「いえ、詳しいことは医者に検死させて、伺った方がいいかと。私のはあくまで予想です」


「そうか……。であれば、そういうことにしよう。そしてだ、もう一つ聞きたい、フィオナ嬢によれば、貴公は刺されたと聞いた。しかし、今の貴公には傷が見当たらない」


 ああ、そっちもか。それは私も知りたいが、こうして聞かれるのは面倒だな。


「いえ、痛みこそありましたが、傷ついてはいません。恐らくは刃ではない方で傷つけられたのでしょう」


「では貴公は刺されなかったと?」


「まあ、傷跡がない以上そう考えるのが妥当ではないかと」


「フィオナ嬢が言うには、貴公が刺された場所には血が付いていたそうだが」


 まあ、ばっちり見ているよな。しかし、フィオナさんには悪いが多少は誤魔化させてもらおう。


「あの時のフィオナさんはかなり動転していました。多少発言に正確性は欠けるでしょう。正直、私も動転していて、詳しい経緯は覚えていないのです」


「そうか……。確かにアルセド様からフィオナ嬢が傷心していたのは聞かされていた。そういうことならば、わかった。要らぬ疑いを持ち、すまなかった」


「いえ、気になさらないでください。そろそろ戻りますか?」


「ああ、そうしよう。早く村を出なければ、次の村まで野宿する可能性がある。まだ貴公やフィオナ嬢にそれは厳しかろうからな」


 まあ、確かに野宿には慣れていない。というか、野宿の可能性があるのか……。



「では、そろそろこの村を発つがお嬢さん、思い残したことはあるかね」


「……教会を、最後に一目見ておきたいです」


 教会というとあそこか。


「心得た。我らはここで待っている。満足したら、戻ってくるがいい」


「あの、ソトガミさん、良かったら付き合ってもらえませんか」


「私ですか? まあ、構いませんが」


「ありがとうございます。では行きましょう」


 少女に手を引っ張られ、教会に向かう。


 少し歩くと、あの建物が見えてきた。


 ここは何となく嫌な感じしかしないのだが。


「私、ここのシスターによく会いに行っていたんです。色んなお話を聞かせてもらったり、一緒にお茶を飲んだり……」


 シスターか、会ったことはないが、気の毒なことだ。


「私が生まれた時にも立ち会ってくれた人なんです。シスターは私のことを本当の孫のように可愛がってくれて……私もシスターのこと、祖母のように思っていたんです」


 やはり、あれは夢だったようだ。私が見たシスターは若い女性だった。祖母のように扱うには無理がある。


「この村のシスターはさぞ、心優しかったのでしょう。せっかく案内してくれていたのをあんな形にしてしまい、申し訳ありません。少し、忘れ物に気づいたものでして」


「そう…だったんですか?」


「ええ、大事なものでしたので焦ってしまいました。そういえば、シスターのお名前を教えていただけませんか?」


「名前ですか?」


「ええ、名前だけでも聞いておきたいと思ったものですから」


 まあ、嘘の話題から話を逸らす、口実でしかないのだが。


「シスターの名前はテレサさん、村の人からはシスターテレサと呼ばれてました」


 テレサ……? あの夢でのお手伝いの名前がそうだったな。それに夢のシスターの最後の台詞……これは偶然か? 何となく話を振ってみよう。


「その方は灰色のローブに猫背で杖を付いていませんでしたか?」


「え、ソトガミさんシスターとお会いしていたんですか?」


 本当にそんな姿をしていたのか……?半ば与太話と聞いてみただけなのだが。


「あ……ああ、お話したことはないのですが、村でたまたまその様な人を見かけたものでして、もしかしたらと」


「そうだったんですね。きっとシスターだと思います。いつも灰色のローブを纏っていますから」


 まあ、偶然特徴が一致することもあるか。さて、ぼちぼち戻った方がいいだろうか。


「フィオナさん、まだ見たいところはありますか?」


「あ……いえ、もう大丈夫です。ソトガミさん、付き添ってくれて、ありがとうございます」


 少女はぺこりと頭を下げ、再び手を握ってきた。


 流石に帰り道は忘れていないのでもう必要はないのだが。


「ソ、ソトガミさん……あの……お願いがあるのですが!」


 急にどうしたのだろうか。手に込められる力もさっきよりも強い。


「あ、あの私……その……やっぱり一人は怖くて……」


 まあ、身内と周りの見知った人がいきなり死んだのだから、不安にもなるか。


「でも……あの、ソトガミさんと居ると怖くなるんです。だから……あの……」


 少女は体を震わせ、口をパクパクさせている。


「……! ……! ……だから! ……あの! これからも…私と一緒に……! 居て……! くれませんか……?」


 急に大声で、そして最後は消え入るような声で訴えかけられる。


 だが一緒に……?


「……? それぐらいでしたら、ええ」


 別にゲヘナまでの道中一緒なのだから、わざわざ言う必要はないと思うのだが。


「……! ソトガミさんっ、ありがとうございます!」


 顔をぱぁっと明るくし、こちらに思いっきり抱き着いてきた。


 何だろう……思いっきり何か間違ったのではないか?


 だが、まあ、彼女も少女が似合う年齢なのだ。色々と不安なのだろう。ならば、その程度の人助けはするべきか。

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