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白痴の黒  作者: 忌神外
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1話 病院らしき場所にて

手に取っていただき、ありがとうございます。



 ここに来て、どれくらい経っただろうか。そんなことを考える。


 私、外神和平(そとがみかずひら)は恐らく病院らしき場所にいる。歩きながら、周りを見渡してみた。


 廊下は清潔そのものだ、窓から差し込む光が心地よい。病室らしき扉が一定の間隔で並んでいる、中に人がいる気配は感じられない。


 いや、この場所もある程度、見回ったのだが、今のところ誰一人として見かけない。医者や看護師はもちろん、患者らしき人物でさえ見当たらないのだ。


 実のところ、私は今とても困っている。この病院から別のところに出られないのだ。いや、出られないというのは正確ではないかもしれない。この病院からは出られる方法を私は一つ知り得ているのだ。自殺すればいい。しかし、それは多大な痛みを伴う。どこに飛ばされるかも、わからない。出来ることなら、この方法は極力使いたくない。


 それに私は特に目的があって、ここに居る訳ではない。何故か、彷徨っている。出口を探しているのは別の場所に出られれば、理由のわからない何かがわかるかもしれないと感じているからだ。


 光の心地よさに僅かな微睡を感じ始めていたが、私は漸くそれらしき場所を見つけた。清潔な病室とは違い、明らかに不衛生で不快な臭いが漂ってくる。目の前には、血と肉で覆われた空間が見える。


 遠目には何やら、蠢いている存在が多数いる。人のような形をしたそれらの動きは、不規則なリズムで揺らめいているもの、四足、または三足で歩行をしているもの、地面を這っているものと、様々だ。真っ当な人間はあんな動き方をしない。さらによく見ると頭部や手足などが奇形な形をしたものも混ざっている。


「……分裂もするのか」


 ……うん、正直引き返して、別の道を探したい。何で好き好んでこんな場所に進まなければならないのか。


 そう心の中で少しばかりの愚痴と言い訳を吐きながら、私は来た道を引き返すために方向転換をする。


 しかし振り向くとさっきまで歩いていた道はなく、一面暗闇が広がっていた。


 ……なるほど、こういうパターンで来たか。あまり気は進まないが、方向が一つになってしまった以上、私はこの醜悪な空間に行かなければならないようだ。


 歩みを進める度に耳に不快な音がする。噴き出した何かの吐き気を催す臭いに思わず、口を抑える。


「全く、音はまだしも、この臭いだけは何とかならないものか」


 吐瀉物と汚物を混ぜ合わせたような臭い、ここで深呼吸をしようものなら、即座に吐き出していただろう。


 そして、私を悩ませるのはこれだけではないのだ。呻き声にも似た不快な音を発しながら、顔のない修道女のような群体は私の視界の中で蠢いている。だが、この醜悪な空間に比べれば可愛らしいものだ。恐る恐る近くに寄ってみたりもしたが特に襲われることもない。ただ、奇怪な動きをし、私を不愉快にさせているだけだ。


 しかし、問題は数なのだ。見渡せる範囲でも恐らく3,40はいる。もし、のっぺらぼう達の気が変わり、襲われでもしたら、とても逃げ切れるとは思えない。半ば諦めながらも襲われたらどうやって逃げようか考えながら、歩き続ける。


「スタイルだけは無駄にいいのが混じっているのが何とも言えない気分になるんだが……」


 そんな現実逃避の軽口も叩いていると、行き止まりであろう肉の壁が見えた。ここまで一本道だったのだ、今更引き返すのかと思ったがどうも割れ目があり、扉が見える。


 ……ここを通らねばならないことに流石に躊躇いは覚える。少しの間その場で考えたが、この酷い臭いの中であれらと戯れるのよりはましかもしれないと、覚悟を決め、まずは手から入れてみる。


 うん、割と最悪な気分だ。私が着ていたコートやズボン、そして、髪の毛にも粘液がべったりとついた。


 一旦、コートを脱ぎ、ぬめっとしたそれを払いながら、目の前にある扉について、考える。


 それまでの肉の壁とは違い、黒く、シックなデザインの扉だ。恐らく、また違う場所にいけるのではないかと思う。何にせよ、この酷い臭いと不快な音とお別れ出来るのであれば、ありがたいことはない。


 扉を開けることに僅かな躊躇いもあったが、戻るのに再びあの割れ目を通ることを考えた時、そんな躊躇いなどどうでもよくなっていた。気持ち程度に綺麗に払ったコートを着直し、私は目の前の扉に手を掛けたのだった。


 扉の先に見えたのは肉の壁などない、落ち着いた空間であった。良かったと思いつつ、中へ入っていく。入っていくとき、まるで異物を拒むかのように私の髪やコートについていた粘液が扉から外へ吸われていく。


 少し驚いたものの、あまり心地いい感触ではなかっただけに素直に喜ぶ。扉を閉めると同時に私の髪やコートはすっかり乾いたのだった。


 さて、では中を探索しようかと思ったが、そこまで広くないことに気が付く。これは書斎兼寝室といったところだろうか。クラシカルな音楽も流れている。部屋の中心部辺りで周りを見渡すと私はあることに気が付く。


 女性が寝ているのだ、それも全裸で。


 ……何故、どうしてこんなところに?


 いや、寝室なのだから持ち主がいれば、いるのも当然なのだが、というか持ち主がいたのか。


 そして何故に全裸なのだ、いや、考えるのはやめよう。女性に裸族がいても何らおかしいことではないのだ。落ち着け落ち着くんだ。そうだ、一旦、深呼吸をしよう。


 ふぅ……、はぁ……、よし、少し落ち着いた。


 さて、もう一度状況を整理するとしよう。扉の先は書斎兼寝室のような空間だった。クラシカルな音楽が流れており、寝台には全裸の女性が寝ていた。決して下心があるわけではないが、もう一度、その女性を観察してみることにした。


 女性はすうすうと寝息を立てており、色々と直視できないものが見える。逃げ道を探そうと私の視線は女性の顔に移る。


「…………………」


 暫くの間、言葉を失っていた。私の眼前にいるそれは、美しい。あまりにも、美しいのだ。……それ以上、うまく形容することが出来なかった。分からないとは思うが人では到達しえぬ何かなのだあれは。私が理解し、言葉に出来るのはこれが精一杯だった。


 私の思考は急速に情欲に染まりかけたが、何とか振り払い、女性から視線を逸らす。危なかった。あともう少しで私は本来の目的も忘れ、理性や倫理観を捨て去り、本能のまま、この女性を貪っていただろう。だが、今はどうだろう?情欲と同時に、どこか、空恐ろしさも感じている。私の直感が叫ぶのだ。この存在はやばいと、容姿もそうだが、それ以上に、この女性には人にはない、人ではない何かがあるのだと。


 私の中では選択肢が二つに定まりつつあった、一つはこの全裸の女性を起こし、話を聞くことだ。しかし、女性の寝室に男がいることであらぬ誤解を招くかもしれない。この女性は間違いなく、あらぬ疑いを持たれれば、厄介なことこの上ないだろう。それを承知の上で起こすかだ。


 もう一つは女性を起こさないようにこの部屋から静かに去ることだった。幸いクラシカルな音楽も流れており、よほど大きな音を立てなければ気づかれないでこの部屋から立ち去れると信じたい。さて、どうするか。


 考えた結果、私が選んだのはこの場を立ち去ることだった。うん、間違いなくやばい、接点は持ってしまったが、これ以上余計な関わりを持つ前に去った方がいい。


 私は極力、音を立てず歩き、入ってきた扉に手を……。


「どこに行くのかしら?」


 耳元で女性の声がした。いつの間にか、背中から腕を回され、がっちり掴まれている。


「ぉぉっ?!」


 突然の出来事に何とも情けない声が出てしまった。


「この私がせっかく、貴方のためにこの寝室に来るように案内してあげて、襲いやすいように衣をまとわず寝ていたのよ? 紳士的に振る舞うのは感心だけど、獣になれないのはよくないわ。本能のまま、獣欲のまま、貪って、辱めて、征服感を得る。その甘美に目を背けるのは生物としての構造に疑問を抱くわ。それともあなたは襲われる方がよかったのかしら? ああ、それもいいわね、寧ろそちらの方が私の領分だもの。でも今はそんなことはどうでもいいわ。今の私にあるのはただ一つの疑問だもの。何故、この「私」から逃げようとしたのかしら?」


 寝たふりをしていたのか、どちらにしても詰みだったらしい。とりあえず、色々とぶっ飛んでいるがこれ以上、この女性を刺激するのはまずい気がする。しかし、どうする? 何か……。


「何故、何も答えないのかしら? 無言は時に失言にもなり得るのよ?私が穏やかなうちに答えなさい。何故?何故?何故?何故なのかしら? ねえ、答えなさい、早く」


 しまった、思考に時間を掛けすぎた。とりあえず、何か口にしなければ。


「……話をしたかったのですが、全裸だと会話しにくいので、外からノックすれば、起きて服を着てくれると、思ったからです。逃げてません」


 うん、逃げようとしていました。変なこと口に出してないかは心配だったが、これは及第点といったところじゃないだろうか、というかこの状況、コートも着ていたから、気づくのが遅れたけど、背中に胸が当たってるんだよな、よくわからないが落ち着く匂いがする。


 あと、がっちりホールドするのやめてください、痛いです、怖いです。


「なら、私の傍に立った時に起こせば良かったのではなくて?」


「服を着ていない女性を起こすのは色々と誤解されたらと思ったからです、他意はありません」


 言い返せはしたが、少しだけ痛いところをついてきたな。というか冷静に考えたら、何故襲わなかったことを責められているのだろうか。初対面なはずだが、いや案内したとか言っていたな? じゃあ、今まで監視されていたということだろうか?


「私はそれくらい気にしないわ。寧ろ襲ってもらえなかったことが恨めしいもの。でも貴方が私と話したかったというなら許してあげる。今の貴方を私の傀儡にするのはたやすいことだけど、私が欲しいのは貴方からの情愛だもの」 


 今、傀儡にするとかさらっと恐ろしいことを言われた気がする。


 しかし、この女性が私を知っているような会話をしているのに気になるが、触れてもいいものだろうか。貴方は誰ですかと? せっかく、鎮火しかかっているところに燃料を投下する事態になり得ないだろうか。が、これを無視して何か地雷を踏み抜く方が面倒くさいかもしれない。


 私は意を決して、聞いてみることした。


「失礼ですが、私は貴方と面識がないように思えるのですが」


「………………いまなんて?」


 ……これは失敗したかもしれない、いや、まだ希望はあると信じたい。極力、相手の意見を否定しないでこちらの質問を言ってみることにした。


「貴方と面識があったかもしれませんが、思い出せないんです。申し訳ないのですが、貴方の名前を教えていただけないでしょうか?」

 

「……つまり 貴方は 私を 覚えて ないのね?」


 途切れ途切れに耳元で無感情に言うのやめてください。怖いです、怖いです。


「……はい」


 よし言えた、少し声が震えてしまったが。というか何で私はこんなことになっているのだろうか、初対面ですよね?ねえ? 誰か助けてくれないだろうか?


「……そう、覚えてないのね」


 ぽつりと悲しそうな声が聞こえた。激昂でもするのかと警戒していた私は何とも拍子抜けしてしまった。


「え、いや……まあそのはい」


「…………」


 何だろうこの気まずい沈黙は。逃げようにもがっちりホールドされている以上無理だろうし、沈黙の原因がわからない以上、下手に発言しても刺激してしまうかもしれない。後手なのは痛いところだが、発言を待ってみることにした。


「…………ふふふ」


 何だ、今の笑いは!? これはこのまま沈黙し続けるのはまずいだろうか、理由はわからないが謝るべきか。無理にでも話を合わせるべきだろうか。いやでもそれだといずれぼろを出して……。


「覚えていないのね? 私のこと、私との約束。そう、なら今度は忘れないように、しっかりとその体に私のことを刻み込んであげるわ。二度と約束を違えないように、今度こそ、縛ってあげる。いいえ、そもそも、貴方には果たさない以外の選択はないのだから、同じことよね? そうね、そうだわ……ふふ……ふふふふ……」


 くそっ! 後手に回ったのが完全に裏目に出た。いや、でもどうする? それに約束とは何だ。あったこともない女性と何を約束したと?もしかして、私を誰かと勘違いしているのか?


 そんなことを考えていたが、思考はすぐに吹き飛んだ。腕の拘束が解かれたかと思いきや、がばっと回され、向き合う形になっていたのだ。


 私は今、美しい何かと向き合っている。視線を逸らそうと私が顔を背けようとしたとき、思考はさらに麻痺することになる。


「……っん……ふ……」


 私は今、何をされているのだ? そうか、キスをされている。


 顔はすぐ近くにある。突然のことで支えを失った私の背中は扉に預けている。唇だけのキスで一先ず思考を取り戻そうとした私に、そうはさせないと言うかのように、ぬろぉと舌が口の中に入ってくる。こじ開けるように入ってきたそれは、わずかな歯の隙間から容赦なく口の中を蹂躙していく。離れようともするが密着している状態では無駄な抵抗だった。じんわりと何かが流れ込んでくる………。


 久遠とも思えたがそれから漸く解放される。


「……ぷはっ……ふふ、初めてのキスね? いいのよ、喜んでも。それに私は今とても満たされているわ、でも物足りなくもある。……貴方もそうでしょう? さあ、続きを……」


「ちょっと待ってください!」



 長い接吻で少し惚けていたが、本能が叫ぶこのままではまずいと。私は何とか意識を覚醒させ、この先に至らないようにする。


「無粋ね。でも、聞いてあげるわ。何かしら? ああ、もしかして、着てた方がいいのかしら? それともあなたから……」


「何を言ってるかわからないですけど、そうじゃないです。貴方の名前と、それとさっき言っていた約束も全く身に覚えがないといいますか」


「今更反故にしようとしても無駄よ。もう貴方の体にはたっぷりと刻み込んだもの。それに私の名前を知りたいなんて、本当に覚えてないのね?」


 こちらは覚えていないどころか、初対面だと思っていますが。というか断言出来る、初対面だと、こんなやばい女性とお知り合いになったことは今まで一度もない。


「いや、反故にするといいますか、そもそもどういう約束をしたのか覚えていないといいますか。それに名前も貴方を呼ぶのにずっと貴方では会話しにくいというかですね」


「そう、なら、順に教えてあげる。私のことはそうね、女神様と呼びなさい」


 女神? 珍しい苗字っていうことは流石にないだろう。それに様付けまで強制してくるとは。


「はあ、女神……様ですか。そういう苗字ってことは…ないですよね、はい。それで女神様、約束というのは一体……?」


 試しに様をつけないで呼ぼうとしてみたが、にっこりと微笑まれた。怖い。


「端的に言うと、貴方がいたところとは違う世界で私のお願いを聞いてくれればいいわ。全てを話すと長くなってしまうもの、それに貴方と私はもう離れないのだから……ふふふ……私のもの……私の貴方……私の……私の? ……そう、私の」


 一人トリップしているのが非常に怖いが、違う世界? 一体何を言っているのだろうか?


「違う世界とは一体? それにお願いとは……? 話が飲みこめないのですが」


「実際に見た方が早いわ。もうすぐ貴方の目覚めだもの。貴方はまた貪ればいいの、そうすれば私は……」


 色々と理解できず、質問をしたかったが、言葉が発せない。視界も声もぼやけていく……。


 これは……ああ……そうか。今日はおかしな夢を見たものだな………。


読んでいただき、ありがとうございます。


誤字などがございましたら、教えていただけると助かります。


感想、ブックマーク等をいただけますと励みになりますので、良ければ、お願い致します。

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