私、目を逸らせなくなりました
「お目覚めだね、お姫様」
オレンジ色の光が眩しくてぎゅっと閉じていた目蓋を開けると、コトンコトンという足音を立てながら一人の男が近付いてきた。
「しばらく見ない間に更に綺麗になった。人妻というのは中々趣があるけれど君は特別に素晴らしい。夫から惜しみ無く注がれた愛で満ち溢れ輝くようだ。そんな君を手に入れたわたしはなんて幸せなんだろう!」
目を弧を描くように細めながら絡み付くように見つめてくるこの男を私は知っている。この男こそがフレディ・オルムステッド。でもどうしてフレディが私を?
視線を巡らせると安っぽいテーブルと椅子、それに簡素なベッドが置かれただけのがらんとした殺風景な部屋の床に横向きに転がされているのがわかった。眩しい光はカーテンのない窓から射し込んだ夕陽だ。あれから二時間近く経ったということか?起き上がろうとしてみたが相変わらず身体に力が入らなくてほんの少し頭をもたげるのが精一杯だ。フレディはそんな私の横に膝をつき微笑んだ。目尻が下がり口角が引き上げられたその微笑みは私をぞっとさせた。優しげに細められてはいてもその目の奥の瞳はギラギラと怪しく輝いていたからだ。ゆっくりと腕を伸ばしたフレディが私の手を取り唇を押し付ける。必死に振り払おうとしたけれど動かない身体ではどうすることもできなかった。
「君は泣いている顔も可愛らしいんだな。もっともっと泣かせてみたくなるじゃないか!」
フレディに言われていつの間にかしゃくりあげながらぼろぼろと涙を流していたことに気が付いた。
「どう……して?」
「君を連れてきた理由?」
フレディは袖口をずらして腕時計に目をやると眉をくいっと上げながら『丁度良いな』と独り言を言った。
「丁度……良い?」
「あぁ、薬が切れるまでもう少し時間が掛かる。無抵抗では張り合いがないし時間潰しに話をするとしようか」
ーー無抵抗では張り合いがないって……それって……
大波のように私を飲み込んだ恐怖のせいで喉の奥がぎゅっと締め付けられた。はくはくと頼りなく開け閉めされる唇から出てくるのは掠れた息の音だけだ。フレディはそんな私を満足そうに見下ろしてもう一度手の甲に口付けた。
「わたしは沢山の女性と恋をしてきた。熱い視線を送り甘い言葉を囁けば女性達はいとも容易くわたしにおちる。それでも慌てるのは良くない。優しく思いやりを持って紳士的に振る舞うのが重要なんだよ。固い結び目の紐を少しずつ緩めるようにね。そうすれば紐はいつか解けてあっさりと体を許すようになる。愉快だろう?わたしの言葉には真心なんて無いんだ。それでも女性達はそこにはわたしの愛が込められていると信じてしまうんだからね」
私の顔に思わず浮かんだ嫌悪感を感じ取ったのか、フレディの瞳が小刻みに揺らいだ。けれどそれはどうやら満足感を得たせいだったようでフレディは喉の奥を震わせるように笑った。
「初めはそれだけで良かったんだ。けれどもわたしは次第により固い結び目を求めるようになった。わたしを軽蔑しあからさまに拒否をする、そんな結び目が躊躇いながら解けていくのは実に面白いものなんだよ。中でも将来を誓った恋人がいるような娘は格別な楽しさを与えてくれる」
膨れ上がる憤りで胸が苦しくなり私は喘ぐような呼吸を繰り返した。フレディは恋だと言うけれど、関係を結び飽きたら罪悪感もないままに捨ててしまう、そんなものは恋なんかじゃない。フレディは女性をただの玩具だとしか思っていない。自分の手の中に落とすにはどう攻略するか、それを楽しむ為の……。
「彼女は靴屋の店員だった」
フレディは何かを懐かしむように窓の外に目をやった。夕陽に照らされ穏やかな笑顔を浮かべながらもまるで何かに憑かれているかのような、異様なほどの落ち着きがたまらなく恐ろしかった。
「美しい娘でね、わたしはひと目で自分のものにしたいと思った。彼女は靴職人の恋人が独立したら結婚するのだとわたしの想いを突っぱねたけれど、そんなものはわたしの心を燃え上がらせるだけだ。わたしは彼女に想いを伝え続け、とうとう彼女も受け入れてくれた……そう、受け入れたはずだったんだよ」
私を見下ろす瞳は変わらずにギラギラと怪しい光を放っている。その瞳に視線を絡み取られ私は目を逸らすことができなくなった。
「彼女の気持ちはわたしに傾いていた。けれども一線を越えようという時になって突然わたしを拒絶したんだ。やっぱり彼を裏切ることはできないってね。赦せないだろう?そんな心変わりなんて。散々わたしに思わせ振りな態度を取っておきながら……わたしはこみ上げた怒りのままに彼女を自分のものにした。実に驚くばかりの抵抗だったよ。だが楽しかった。これまで味わったことのない楽しさだ。わたしは彼女を手放せなくなりここに連れてきて閉じ込めた。それなのに、彼女はいつしか黙って抱かれるようになってしまったんだ」




