僕は何度もその鐘の音を聞いた
鐘の音と眩しい青空、舞い散る花弁。そしてウェディングドレスを纏った神々しいほどに美しい彼女。
巻き戻った僕は前回と同じように嘘をついて彼女を寝室から追い出した。
あの護衛騎士は適当に言い訳をして領地の両親の元へと送り出した。そして彼女の護衛には女性の騎士を付けた。
彼女が流産する未来を消し護衛に想いを寄せられる未来を消してしまう。そして今度こそエクラの花が咲き乱れる暖かな春の日を二人で迎えるのだ。その時僕は彼女に跪いて赦しを乞う。勿論彼女は直ぐには赦してなんかくれないだろう。それでも良い、どれだけ時間がかかったとしても構わない。だって僕は彼女を失ってはいないのだ。彼女が振り向いてくれるまで愛し続ければ良いんだ。
しかし、春が訪れるのを心待にしていた僕に訪れたのは残酷な現実だった。
招待された茶会の帰り道、彼女が乗った馬車が襲撃され御者と護衛騎士、それにマイヤが殺され彼女は何者かに連れ去られたのだ。そして翌朝、一晩中死物狂いで探し回っていた僕はあの森で彼女を見つけた。既に変わり果てた姿となっていた彼女を。
どうしてだ?どうしてまた僕は彼女を失ってしまったのだ?
彼女の棺にすがり付いて涙を流し続け朦朧としている僕の元に、犯人が逮捕されたという知らせが届いた。
彼女はかなり前から犯人達に目を付けられていた。何故ならば彼女の護衛が女性騎士だったからだ。いくら鍛えられた騎士とはいえ所詮は女の細腕、屈強な男達に囲まれては太刀打ちできなかろうと奴らは踏んだ。そして精一杯の反撃をしたものの、奴らの狙い通りついに女性騎士は力尽きた。
奴らの目的は彼女を人質にして身代金を要求することだった。しかし目の前で三人を殺された彼女は酷く錯乱して暴れ、大人しくさせるのに手こずって腹を立てた男に顔を力任せに殴られた。弾き飛ばされ倒れた場所にあった岩に頭を打ち付けた彼女がドクドクと血を流しながら身体を痙攣させているのを見た奴らは、彼女を置き去りにして逃げた。そして瀕死の彼女は冬の終わりの寒い夜、真っ暗な森の中で誰にも看取られることなくたった一人で逝ってしまったのだ。
あぁ、何ということだ。彼女を守ろうとした僕の判断が、彼女を危険に晒し孤独で惨たらしい最後を迎えさせてしまったなんて。犯人が捕まったことなどどうでもよかった。そんなものは彼女を失ってしまった僕には何の価値もないことだ。
そしてまた僕の耳には鐘の音が鳴り響く。初夏の眩しい青空に舞い散る花弁を瞳に映しながら。
その夜僕は同じ言葉を彼女に告げた。あの女性騎士に彼女を護らせ、更には秘密裏に彼女を見守る『影』を用意した。僕は気が付いていなかった。解っていればそんなものは始めから除外していただろう。
彼女は僕が思うよりもずっと聡く特別な勘の良さを持っていた事に。
彼女は『影』の存在に気付きながら素知らぬ振りをしていたようだ。そして彼女なりに『影』を付けられた理由に行き当たったのだろう。ある日そっと屋敷を抜け出した彼女を『影』は気付かれぬように追った。しかし大通りに差し掛かった彼女はふと振り向いて『影』に笑い掛けたのだという。綻ぶように笑った彼女は突然行き交う馬車の間を縫うように走り出し、軽々と渡り終えたところで角からいきなり現れた暴れ馬に蹴られ10数メートル離れた場所まで弾き飛ばされた。
僕には何も言わなかった彼女はマイヤだけにはこっそりと胸の内を明かす事があったらしい。僕たちの間に愛情が無いのは諦めれば良い。でも私は彼を裏切り不貞を働く女ではないかと疑われているのは辛くてたまらない。いっそもう逃げたしてしまいたい。冷たくなった彼女に縋り付いていたマイヤは、悲しそうにそう話していたのだと怒りを押し殺しながら僕に言った。
それからも響き渡る鐘の音に僕の時は巻き戻り続け、どんなに足掻いても僕は必ず彼女を失った。何が正解なのか、どうすれば良いのかは解らない。確かなのはどんなに手を尽くしても僕は彼女を失うという事だ。
そうやって何度となく鐘の音を聞き彼女を失い続けもう何度目の巻き戻りなのかもわからなくなった頃、僕はそれまでとは比べ物にならない程の深い深い絶望に包まれていた。