僕とジェレミア 1
「隠れていないで出てきたらどうなんです?」
カーテンの陰に潜んで歩いていくフローラを見送っていた僕は、手摺に凭れていた若い男に声を掛けられゆっくりとバルコニーに足を踏み入れた。
「君はアークライト侯爵のご子息だったね。確か近衛騎士団所属の……」
「ジェレミア・アークライトです」
ジェレミアは騎士らしく姿勢を正して一礼すると何かを見透かしたような冷ややかな微笑みを浮かべた。
「妻が他所の男と二人きりで話し込んでいるのに黙って眺めているとは随分悪趣味ですね。踏み込もうとは思わなかったんですか?それとも不貞の現場でも押さえるつもりでしたか?」
「答えるつもりはないが、少なくとも妻は僕を裏切ったりはしない。そうだろう?」
ジェレミアはふふんと鼻で笑った。
「そうですよ。ご覧の通りローレは俺の気持ちなんかまるで解っちゃいませんから。俺は単なる幼馴染みで単なるお兄さんみたいな存在、だからこそ平気で二人きりになったんでしょう」
「フローラとの付き合いは長いのか?」
イラっとする気持ちを抑えながら聞いたつもりだがやっぱり僕の声はかなり刺々しい。ジェレミアは片眉をピクリと持ち上げると憎らしいほどの優越感を見せながら頷いた。
「母親同士が親友でね。生まれた時から、いや、まだ母親のお腹にいるローレに『早く出てこい』って言ったら、お腹に当てていた俺の手をぼこぼこと蹴って返事をしたんだから生まれる前からだな」
僕はぐっと拳を握った。ジェレミアの言葉と態度は端々に針のような鋭い何かがあって一々それを僕に突き立ててくる。そもそも『ローレ』というその呼び方だ。冷ややかに話をしながら『ローレ』の一言には溢れるような優しさと甘さを含ませて、どれ程フローラへの深い想いを抱いているか僕に見せつけているようじゃないか!
「だからこそ赦せないんですよ。ローレを奪った貴方がアイツを幸せにしてくれないのが。毎日楽しい?充実している?満足?そりゃあ結構だ。でもね、俺は何よりもローレには幸せになって欲しいんだ。自分の手でそうしてやれないなら貴方に委ねるしかない。それなのにこっそり様子見とはね。どんな甘い言葉を言われてもローレが信じきれないのは無理はないですよ。アイツは、ローレの心は薄皮一枚でやっと包まれているようなものなんです。本当に信頼できる相手じゃなければ決して心を開いたりしない。最後の一枚を必死に守るためにね」
「侯爵夫妻か?」
僕の問いにジェレミアはほんの少し表情を緩めた。
「それに気が付いたなら多少は安心しましたよ」
「フローラが先妻の子だから、それが理由で?」
ジェレミアは腕を組むと思案するように首を傾け、それから刃物で切りつけるような鋭い視線を僕に向けた。
「その前に答えてくれますか?貴方はローレの幸せを願ってくれているかどうかを」
「もちろんだ。たとえ今フローラが受け入れてくれていなくとも、僕はフローラを愛している」
『ふうん?』と疑わしそうに顎をしゃくったジェレミアだが、ふうっと一つ息を吐き出し腕を解くと背中を向けて手摺にもたれかかった。
「母親はローレが幼い頃に亡くなった、それで誤魔化されているんでしょうが……母親が亡くなったのはローレが三つになったばかりの時ですよ。でも妹のヘンリエッタは三歳下。おかしいでしょう?」
僕の眉間がぎゅっと寄った。
「あの継母は侯爵の愛人でした。それで出来たのがヘンリエッタ。しかもねぇ……」
ジェレミアは忌々しそうに髪をがしがしと掻き乱しながら吐き捨てるように言った。
「愛人が臨月間際になってローレに弟か妹ができた事がわかった。ローレの母親が懐妊したんですよ。もうすぐ愛人が子どもを産むっていう時にね」
僕は呆然とジェレミアの背中を見つめていた。
「恐らく心労が祟ったんでしょう、結局その子は流れてしまい母親は流産が元で感染症を患って亡くなりました。でもその場に侯爵は居なかった。産気付いた愛人のところに居たからです。母親の両親、特にローレの祖父は当然烈火の如く怒り狂ってねぇ、よりによってそれを何の咎もない小さなローレにぶつけたんです。『お前の父親は何をしているんだ』って。ローレは、まだ三歳のローレは泣きじゃくりながら謝っていました」
きっとジェレミアもその場に居たのだろう。目に浮かぶ光景を振り払うかのようにぶるりと首を震わせた。