私は初心忘れるべからずと言いたい
オフィーリア様から大量の仔猫の飼育用品を譲り受けた私達はヒルルンデとガルトートを連れて屋敷に帰った。マックスは帰りに大通りに寄ってアクセサリーを見たりカフェでお茶を飲んだりするつもりだったらしいが、仔猫達がいるので屋敷に一直線だ。そもそも私には大通りに寄ってアクセサリーを見たりカフェでお茶を飲むつもりは一切無かったので好都合である。
あぁ、でも屋敷を抜け出して馬車にはねられたあの時、目指していたお菓子屋さんなら寄りたかったなぁ。とっても美味しいドライフルーツのパウンドケーキがあるのよね。
どうやら今回は軟禁状態にされるのは免れそうなので近々買いに行こうなどと考えているうちに馬車は屋敷に到着した。ヒルルンデとガルトートはマイヤ達に熱烈な歓迎を受け、皆でキャピキャピとあれこれ設置してくれた私の部屋に連れていくと『三年前からここに住んでいました』とでもいうように寛いでいる。それを見ているメイド達は身体をぷるぷる震わせながら『可愛い!』と手を握り合っていた。あ、ついでに私も参加させて貰った。なんだろう、胸の奥のきゅーんとするあの感じ。あれは是非皆で共有したいものね。
アーサーは早速茹でた鶏肉を持って様子を見にきてくれて、『仕事を増やしてごめんなさい』と謝る私に『楽しみが一つ増えただけです』なんて優しい言葉を返してくれた。
今まで知ろうともしなかったこの屋敷の人々の優しさに、鼻の奥がツーンとする。私はゴシゴシと目をこすり仔猫達の前に皿を並べた。
アーサー謹製の鶏肉は余程美味しいのだろう。うみゃうみゃ言いながら無心にがっついている。こんなに小さな仔猫だってちゃんと自分でご飯を食べるのに、何が嬉しくてマックスに餌付けをしたりされたりしなきゃならないのよ?なんて納得行かない気持ちに苛まれながらしゃがみこんで眺めていると、私以上にむすっとしたマックスが入ってきた。何をむすっとしていらっしゃるのかと思えば放置されて寂しかったのだという。何そのより一層面倒くさい感じ!
「そんなにヒルルンデガルトートに会いたいならさっさと来ればいいのに」
「ヒヒルンデガルルートって何?」
「ちがーう。ヒルルンデガルトート」
「ヒルンルンデガルガール?」
「ちがーう!むしろ遠ざかってる!」
「それはそうと、どうして仔猫たちの名前を並べるの?」
「さぁ?」
さぁ?と言いつつ理由は一つ。『初心忘れるべからず』だ。ヒルルンデガルトートヒルルンデガルトートヒルルンデガルトート、一日中連呼したらヒルルンデガルトートに隠された忘れられない誰かの名前で我に帰るはずだ。これでマックスの胸に灯る小さな灯りが激しさを増すわよね?
お腹が満たされた仔猫達は折り重なるようにくるりと丸まって眠ってしまった。私がヒルルンデの小さな肉球をぷにぷにするとマックスも真似してガルトートの肉球をぷにぷにする。
「猫の肉球と言うものは……」
マックスは両手を動員して無心にぷにぷにしながら二匹の肉球を見比べていた。
「仔猫だからピンクなのかと思ったらそうじゃないんだな」
「そうね、黒い肉球は初めから黒いわよ。瞳の色はみんな青いけれどね」
欠伸をしたヒルルンデはガルトートの上で伸びをしてそのまま眠ってしまった。下敷きになったガルトートは熟睡しているのかびくともしない。起こしてはいけないと笑いを堪えながら二匹の入っている籠を覗き込んでいると『可愛い……』というマックスの、いつもより低い声が直ぐ側で聞こえた。
頬に何かが触れた。
「マックス……」
私は眉を顰めていたらしい。マックスの指が皺を寄せた眉間を撫で、それはそのまま私の髪を撫で一房をくるりと巻き付けた。
「本当にお構いなく。私にはそういうの要らないわ。自分の立場は良くわかっているもの。お飾りの妻なのは構わないって言ったでしょう?私の事は私が大切にするわ、あなたには何も望んでなんかいない」
冷たい言葉を並べたのに私を見つめるマックスは優しい目をしていた。
「フローラの想いはわかっているよ。でも僕はフローラを大切にしたい」
マックスの瞳がゆらりと揺れたのは気のせいたっただろうか?