僕も我慢の限界だった
「察しか良いのは助かるわ~。これからもそうして頂戴ね。でもご心配なく。私、外向きにはちゃーんと良い妻として振る舞うしマクシミリアンに迷惑なんて掛けないわ。出世を邪魔するつもりなんてありません。だけど私にも矜持ってものがあって、淑女らしく貴婦人らしくすることよりも自分の矜持を尊重したい、だからマクシミリアンの思い通りになんてならないから。それで、右なの左なの?」
「……え?」
「どっちで寝るかよ!選んで良いって言ったでしょう!」
「……どっちでも良いけど……」
『そ』と一文字のみを発し彼女はベッドの左側に回った。僕は今の児の状況に戸惑い狼狽えて呆気にとられ、ただボーッと彼女を眺めていたのだが、彼女がガウンの紐に手を掛けたところで大変な事を思いだし思わず息を飲んだ。
ーーダメだ!それ脱いじゃダメだろーっっっ!
過去二回拝見したそのガウンの下は……理性なんて木っ端微塵にぶっ飛ぶ凄い破壊力だった。何というか身体の線がくっきり浮かび上がって彼女の腰の括れが手に取るように判るくらいぺらっぺらに薄い生地で成り立つその夜着は、清楚に見せかけながら実は大胆な下着だけではなく思いの外予想以上に、いや期待を大きく越えた質量を有する胸の、それに反してかなり小さめのさくらんぼすらうっすら透けて見えるような扇情的なヤツで、そんなのを清純が服を着て歩いているような彼女が身に纏うんだからとんでもない化学変化が起きるのは必至!しかもリボンを一つほどけばフルオープンというその構造を熟知してしまった僕があれを再び目にしたら、僕の理性は崩壊してしまうに違いないではないか!
と、一瞬であれこれ思い描いてしまったが、一切の躊躇もなくガウンをするんと脱いだ彼女はあのぺらっぺらのじゃなくて、真夏の日差しをもってすら透けさせないという決意を孕んだような柔らかだけれど目がつまりしっかりした布地の夜着を着ていた。襟首にぐるっと入っている刺繍はそれはそれは可愛らしい真っ赤な苺だねぇ。
皆無だ……別人レベルにお色気が消えている……。
彼女はごろんと横になると秒で寝息を立て始めた。いくらなんでも早すぎないかと顔を覗き込んだがしっかりと熟睡している。僕は境界線の右側に横になるとそっと手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
意外だったんだ。彼女がブランデーを飲むなんて。やっぱり酒にはからきし弱いんだ。
それでも今度の彼女はかなり違っている。もしかしたらこれは違う未来の始まりなんじゃないか?僕は今度こそ未来を変えられるんじゃないか?僕は細い細い一筋の光が僕らの冬の終わりを照らしてくれるような予感がしていた。
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結局僕は一睡もできずに一夜を過ごし朝を迎えた。いくらお色気皆無な夜着だからって境界線が設置されているからって、同じベッドに愛しい彼女が眠っているのに寝られる訳が無いじゃないか!だって透けて見えなくてもその苺の夜着の中身については誰よりもよーく存じ上げているのだ。無防備に寝ている彼女を眺めている内にあれこれ思い出してしまい、むしろこのお子ちゃまっぽい苺の夜着がやたらと色っぽく見えてきてしまうのは不可抗力ではないか!
フラフラしながら朝を迎えた僕に対して彼女は爽やかに目覚めたらしく、両腕を突き上げて気持ち良さそうにうーんと伸びをしている。危なかった、もう5分遅ければ僕は我慢の限界を超えていたに違いない。
「おはよう」
「…………どうしたの?」
彼女が唖然としているところを見ると僕は相当窶れているみたいだ。
「具合でも悪いの?」
「……疲れた……」
「何にもしてないのに?」
「「……………………」」
僕らは無言のままお互いに視線を泳がせていたが沈黙に耐えかねたのか彼女がこほんと咳払いをした。
「もう少し休んでいれば?」
「うん、そうした方が良さそうだ。今日は休みだし……」
彼女は大あくびをする僕を不思議そうに見ていたが、ふるふると首を振り『じゃあごゆっくり』と言って出ていった。
ドアの外で『マクシミリアンは眠っているの。疲れているらしいわ。もう少し休ませてあげて』という彼女に『グェっ?』という奇声で答えたのはマイヤだろうか?
グェっ?て…………なるよな。意味不明だよな。
もう寝るしかない、そして仕切り直しだと僕は頭までシーツに潜り目を閉じた。




