僕から伝えるつもりだったのだが
突然呼び掛けられた僕は驚いて飛び上がった。いや、飛び上がらんばかりに驚いたのか?とにかくよつん這いでベッドの下に腰まで潜っていた僕は驚いて身体を起こし、後頭部をベッドの裏側で強打した。
「…………!」
無意識に頭を抱えて踞ろうとしたのだろう。そうすると自ずと頭を下に、お尻を上に突き出すような格好になる訳で。『あっ!』という甲高い悲鳴を聞いた瞬間、僕はベッドの縁で腰を強打し、息もできない猛烈な痛みで口をパクパクしていた。
永遠に感じる程の時が流れて……と言っても実際は精々1分程度なんだろうけれど、僕はベッドの外に尻を突き出している事に気が付き血の気が引いた。『何をしているの?』と聞いた声もあの甲高い悲鳴も誰のものかは分かりきっている。その誰かさんに突き出た尻を見つめられているに違いないこの状況。
なんて事だ!僕はこれから残酷極まりない大芝居を始めなきゃならないんだぞ。
この間抜けな尻出し男が『この結婚に愛情はない』なんて宣告するのか?目の前でベッドの下から尻を突き出していたこの僕が?そもそもここから出るには尻を先頭に這い出なくてはならないんだ。尻からモゾモゾと這い出てきた僕に『この結婚に』なんて言われるなんて、今回の彼女は何時にも増して気の毒過ぎる。あぁ、さっきマイヤに『フローレンスには客間を使わせるから用意してくれ』なーんて問答無用とばかりに言い放ったところまではいつも通りに進んでいたのに。何だって僕は彼女に向かって尻を先頭に進まなけりゃならないんだ?
しかしベッド下に頭から潜り込んだのは他でもない僕だ。自分の不始末は自分でつけるのがせめてもの男らしさというもんだろう、僕は自分にそう言い聞かせながらソロリソロリと尻を先頭に彼女に向かって進んだ。
頭がしっかり出たのを確かめてから恐る恐る振り向いた僕は思わず後退って今度はベッドに思いっきり背中を打ちつけた。だってガウン姿の彼女はいつもの挙動不審な様子じゃなくて……いやまぁ今の僕が挙動不審過ぎて呆れ返ってしまったせいもあるだろうけれど、肩幅に開いた足をしっかりと踏みしめながらすっくと立ち僕を訝しそうに見下ろしていた。どうやったのか想像も付かないが両脇に二つずつクッションを挟み、尚且両手に二つずつクッションをぶら下げながら。
「や、やぁ!遅かったね」
どうしたら良いのかわからなくなり、僕はにこやかにそう声を掛けた。
「…………えぇ、これを集めに行ってきたから……」
いつもよりずっと低く冷ややかに答える彼女はチラッと視線を手からぶら下げているクッションに送り、つかつかと僕の隣まで来るとそれをぱふんと次々にベッドの上に乗せて行った。脇に挟んだ四個のクッションを落とさぬように身体を捻るように放るテクニックは中々のもので、僕は思わず見惚れてしまった。
計八個を乗せ終わると彼女は一歩離れて僕をじっと見つめた。
「凄い音がしたけれど、怪我は無いの?」
「あ、あ~あ~あ~、大丈夫だ、何とも無い。心配してくれてありがとう」
ま、不味い。大芝居前なのに彼女に心配されている!
その時『奥様~』というマイヤのいかにも心細そうな情けない声がした。スタスタとドアに近付いた彼女が招き入れると、マイヤも八個のクッションを持ってはいたが、やっとこさっとこといった風でこれでは明日の朝動けなくなりそうなのはむしろマイヤじゃないのか?とすら思える。
彼女は慌ててマイヤの両脇から四つのクッションを引き抜いてベッドに乗せると、残る両手の四つのクッションを難なく受け取り、変な力み方をしたせいで身体が傾いでいるマイヤを見つめて顔を顰めた。
「やだマイヤ、大丈夫?だから無理して全部持たなくて良いって言ったのに」
「奥様のなさるのを見ていたら簡単そうに見えたんですもの。これなら私にも出来そうだわって……でも廊下に出て後悔しましたわ。もう下ろすに下ろせないし戻るに戻れないしで……」
彼女は涙声になっているマイヤを僕への十倍位心配そうな眼差しで見つめながら腕を擦ってやっていた。
「ありがとう、ここはもう良いからゆっくりとお休みなさいね」
その言葉に僕はハッと我に帰った。クッション八個を一度に運んだ二人に感心なんかしている場合じゃない。僕は慌てて立ち上がり噛み付かんばかりの勢いでマイヤに聞いた。
「マイヤ、客間の用意はどうなっているんだ?」
「そ、それが……」
「ここは夫婦の寝室なの。私、客間なんかに行かないから」
もじもじと視線を泳がせているマイヤを遮ぎり、彼女は得意気にツンと顎を上げて言い放った。