僕はまた拒絶する
「はぁ……」
これからの事を考え寝室に向かう僕の足は重くなった。フローレンスは……取り乱す事もなくただ哀しそうに僕の言葉に従うのだろう。何度繰り返してもそうしてきたように、今度もまた。
緊張してぎこちない笑顔を浮かべているフローレンスの愛らしさに思わず抱き締めたくなって手を伸ばしそうになる。でもその度に脳裏に浮かんで来るのだ。このベッドが血塗れになっていたあの二度の事が。だからまたフローレンスを拒絶しなければならないのだと僕は自分に言い聞かせるように頷きドアを開けた。
「……アレ?」
本来なら……というか既定路線ならばドアの開く音にドッキリしたフローレンスが座っていたソファからぴょんと立ち上がる、という場面が待っている。両手をどうして良いかわからなくなって何故かパタパタと羽ばたくように動かすその挙動不審な行動に、やるぞやるぞと判っているくせに僕はいつも心のなかで悶絶した。残酷な大芝居を控えているのにフローレンスが可愛らしすぎて顔のにやけを抑えるのに必死になる……筈なのだが?
フローレンスが見当たらない?
僕はそっと足を踏み入れぐるりと寝室を見回したがやはりフローレンスは居ないようだ。
ーーも、もしや、恥ずかしさのあまりに隠れているのか?
なんたって緊張し過ぎて両手をパタパタしてしまうくらいなのだ。じっと待つのに耐えかねて何処かに潜り込んでしまったのでは?もしもその通りだったらどうしたら良い?クローゼットの中やカーテンの影なんかで息を殺して身体を小さくして……それで僕に見つかってあの大きな目を真ん丸に見開いて……
僕は締め付けられるように苦しくなった胸をドンドンと拳で叩いた。首を竦めて青磁色の瞳をうるうると揺らすフローレンスの顔がポンと音を立てて頭に浮かび上がったのだ。
ーーそんなものに出会してみろ、危険過ぎるじゃないか!その可愛さで……絶対に心臓をやられる!!
僕ははぁはぁと肩を揺らしながら倒れるようにソファに座った。ぐったりと背もたれにしなだれかかりながら視線はフローレンスを探して忙しなく動き回る。カーテンがふわりと動いたような……バスルームで物音がしたような……クローゼットのドアが少し開いているような……
「…………くっ!」
僕は堪えられずに立ち上がり激しい鼓動に息を上ずらせながらそっとカーテンを開けた。
「…………ふぅっ」
だがそこにうるうるのフローレンスは居なかった。息を整え今度はクローゼットのドアを少しだけ開けて覗き込む。
ーー居ないのか……
そのままバスルームの前まで行くと水音がしないかと耳を澄ます。もしかしてもしかしたらフローレンスは入浴中かも知れない。そんなところに出会したら……死ぬ、絶対に心臓が破裂して死ぬ!
しばらく息を殺して気配を探ったが中からは何の音も聞こえて来ないようだ。むしろ直ぐそばで鳴っている『むふーっ、むふーっ』という空気が漏れるような奇妙な音は何なんだと首を捻ったが、それが興奮した自分の鼻息だと気が付き僕は驚いて尻餅を付いた。
ーーちょっと待て!興奮ってなんだ!!これから大事な大芝居が待っているっていうのに何をやっているんだ!
僕は両手で頬をピシピシと叩き気合いを入れ直すと盛大に咳払いをしてから思いきってドアを開けた。だって覗き込むようにしたら本当に覗いたと思われかねないじゃないか。
という気遣いも虚しくバスルームは空で、色白の肌をほんのり紅く染めながら泡だらけになっているお色気フローレンスはおろかうるうるのフローレンスもおらず、僕はドアにすがり付くようにしながら崩れ落ちた。ほっとした、ほっとしたんだ。あくまでもほっとしたのであって決してがっかりなんてしていない!
何だか物凄く疲れた。僕は前髪をかきあげながら寝室を見回した。残るはあと一ヶ所しかない。ベッドは整えられたままぺたんこなのだからシーツに潜っているということはない。それならうるうるのフローレンスがいるところはあそこしかない。
ぺたんと四つん這いになった僕がベッドスカートの中に頭を突っ込んだその時
「何してるの?」
という冷ややかな声が聞こえ、驚いた僕は思わず飛び上がった。