そこに私が出てきた訳
それでもまだ謎があった。どうしてロートレッセ公爵夫人は私を見て『見つけた』と仰ったのか?だ。
これがまた、何処から仕入れてくれたのか不明だが情報屋マリーは実に優秀である。
ロートレッセ公爵夫人はドレッセンから輿入れされた王女様、つまりバージル王子は夫人のお兄様だ。そのバージル王子の電撃結婚に誰よりも驚いたのは夫人だったらしい。
よりにもよって夫の部下の婚約者になる筈だったであろう令嬢に横恋慕とは。しかもヒルデガルト嬢よりも二十歳以上歳上の四十を過ぎたオジサンが!
公爵夫人は兄のしでかした事にかなり責任を感じておられたらしく、それ以来夜会の度に彼に釣り合いそうな相手を物色していた。そしてデビュタントの私に目を留めたのだ。
デビュタントならば年齢の釣り合いは申し分ない。我が家の家格はメヒナー伯爵家よりも上。そしてどういう事かよくわからないが、兎に角私には『これだ!』とピンと来るものがあったそうだ。纏っている雰囲気も容姿も絶対に彼の好みのど真ん中だという確信が。
実際私を見た彼がどう思ったかはわからない。どだい彼には雲の上の上司から持ち掛けられた縁談を断るなんて不可能なのだ。辛うじて一度だけ婚約中にエスコートされた夜会で『美しい君を誰にも見られたくない』なんて口走った事があったけれども、あれ一度きりって事は赤い顔をしていた彼は熱でもあって朦朧としていたせいで心にも無い事を口走っちゃったに違いないのだ。
「ですからねぇ、マクシミリアンはフローレンス様じゃなくても良かったんですって。たまたま、そう、たまたま公爵夫人がフローレンス様に目に留めてお薦めしたからお断りになれなかっただけ……という噂を耳にしましたの。だから一応フローレンス様のお耳にも入れて差し上げなくてはと思いまして」
コソコソと、でもその場にいる誰の耳にも届く絶妙な音量でマリーは私に告げ、気の毒そうな眼差しを向ける。余裕を見せながら実は大ショックを受けてます!という振りをするのも巻き戻りを繰り返している私はお手のものだ。
ーーマリーくん、次の情報も期待しておるぞ
内心ホクホクしながらカップを持つ指を少しだけ震わせちゃったりして、私って名女優だわ。そんなこんなで彼にとって私がどんな存在なのか、どうして彼が私を蔑ろにするのか、その理由は情報屋マリーによって明らかになった。
失恋の腹いせに嫌がらせをしているつもりのマリーは単純で扱いやすい上に役に立つ。でも彼に振られた過去のある人物は他にも多数いた。それが単なる逆恨みじゃ済まなかったのは三回だったたろうか?
一度はコゼット嬢に刺されて殺され、二度目はメリッサ嬢に雇われた男達に夜会の休憩室に連れ込まれて抵抗して首を締められたんだ。そして三回目は茶会でジゼル嬢に毒を盛られた。血を吐いてる私を凄い形相で笑いながら見ているジゼル嬢の顔は本物の魔女みたいで本当に恐ろしかった。あの三人は解っていなかったのだろう。私は虐げられているお飾りの妻に過ぎないのだ。理不尽極まりないこの扱いを私はひたすら耐え忍んでいたのに。
あぁ、そういえば一度だけ逃げてみたことがあった。いや、本当は逃げたんじゃない、あの鬱陶しいヤツを撒くことは可能なのかと確かめてみたくなったのだ。ヤツを振り切ったら大通りの向こうにあるお店で人気の焼き菓子を買って、帰ってからマイヤ達と楽しくお茶を飲もうと思っていたのに。鬱憤晴らしに人をからかうなんてやっちゃダメよね。
そう……マイヤだわ。
これまでにマイヤを何回巻き込んでしまっただろうか?馬車を襲われるっていうパターンでは毎回私よりも先にマイヤが殺されている。護衛騎士も何人も巻き添えを喰らった。それから御者のバートン爺でしょう、たまたまバートン爺の代わりに御者をしていたエスタークも一度殺されたわよね。エスタークなんて奥様が身重だったのに本当に申し訳なかった。伯爵家は残された奥様と生まれてきた赤ちゃんを手厚く保護してくれたのかしら?
私はどうしてあんなにも我慢していたのだろう?家のため?両親の為?侯爵家に生まれた、それが何だというの?私は何をまもるために耐えて耐えて耐え抜いて、時には人を巻き添えにすらしながら何度も死んでしまったんだろう?
冬の終わりに死ぬ、それはもう諦めているし生きていたいとも思わない。でもどうせ死ぬなら我慢なんて何になるの?
もう終わりだ。終わりにするんだ。だって何かがプチンと切れた音、あれはきっと私の胸の堪忍袋の緒が切れた音だったんだから。