英雄も生身の人間なのだから過去に色々とあったし、欲だってある。もっと貴方の事を知りたい。
公爵令嬢エリーナ・カレストリアは今、信じられない体験をしていた。
ドラゴンの背に乗って空を飛んでいるのだ。
彼女の背にはドラゴンを操る英雄ディストール。
黒髪で黒騎士の格好をしたその英雄は、王国から駆け落ち同然でエリーナをさらってくれた。
浮気ばかりする王太子ハレストの婚約者だったエリーナ。
意を決して卒業パーティでディストールへ結婚を申し込んだのだ。
彼は受けてくれた。反対する王太子ハレストや、王女マリーネからさらうように連れ出してくれたのだ。
幸せになれる。ディストールと結婚して幸せに。
エリーナはそう信じていたのだけれども。
そう…簡単に現実は上手くいかないものだ。
エリーナとディストール。
互いに噂で相手の人と性格は知っているつもりであった。
実はろくに話をした事がないまま、成り行きで結婚宣言まで突き進んでしまったのであった。
ディストールはエリーナに向かって、
「結婚式を挙げないまま、新婚旅行になってしまったな。
まずは結婚式を挙げるとするか…エリーナが良ければ、知り合いの女神の神殿で挙げたいと思っているのだが。二人きりになってしまうが構わないか?」
「ええ。わたくし達は国から逃げるように出て来てしまいました。貴方様と結婚出来るならば、二人きりでもわたくしは構いませんわ。」
「それなら、今から行こう。女神の神殿へ。」
ドラゴンは羽ばたいて、はるか高い山の崖地にあると言う女神の神殿を目指した。
朝日が照らす中、霧の彼方からその神殿は姿を現す。
白い建物の大きな神殿が、崖の上に建っていた。
そこへ降り立つと、ディストールはドラゴンから降り、手を添えてエリーナをドラゴンから降ろしてくれる。
「女神レティナの神殿だ。とりあえず、何か食べさせてもらって、眠らせて貰おう。」
「そうですわね。」
二人が神殿へ行けば、がらんとした天井に広い大理石の床。吹き抜けの窓に何とも寂しい広間へ足を踏み入れて。
本当にこんな所に女神はいるのだろうか?
エリーナが辺りを見回していると、金色の髪の白いドレスを着た美しい女性が、光り輝きながら広間に出現して。
「まぁ。ディストール。お久しぶりね。わたくしに何か御用かしら。」
ディストールは跪き、騎士の礼を取り、
「お久しぶりです。女神レティナ。実はお願いがありまして。」
「何かしら。それにそちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「私はこちらの女性、エリーナ・カレストリア公爵令嬢と婚姻する事に致しました。
こちらの神殿で貴方様の立ち合いの元、結婚式を挙げたいと思っているのですが、
お引き受け願えないでしょうか。」
女神レティナは楽し気に笑って、
「まぁ。貴方、やっと結婚する気になったのね。英雄としての慈善の仕事が忙しいとか言って結婚しないと思っていましたけれど。とても嬉しいわ。とりあえず、お二人とも疲れているようね。お部屋を用意するからゆっくり休んで行って頂戴。」
「有難うございます。」
エリーナもディストールと共に頭を下げる。
「感謝いたしますわ。」
豪華な客室を用意してくれた。
とりあえず、エリーナは風呂に入り、身体を綺麗にすれば、
着替えも用意されていて。着替えて出て来れば、ディストールがソファに座っていて。
部屋はディストールと同室だった。
何だかとても気恥ずかしい。
ディストールは立ち上がって、
「先に食事をしていて構わない。私も風呂に入って来るから。疲れただろう?
ゆっくりと休みなさい。いいね?」
「有難うございます。ディストール様。」
なんて優しい人なんだろう。エリーナは幸せ一杯だった。
用意されていた食事をすませて、疲れ切っていたのでベッドに寝転がる。
ふと人の気配を近くに感じて目を覚ましてみれば、ディストールが驚く程、近くでエリーナを見つめていた。
エリーナの耳元で熱く囁く。
「エリーナ。君が欲しい。いいだろう?」
「いえっ。ディストール様。まだ、わたくし達は婚姻前ですわ。」
「明日には、結婚式を挙げる。エリーナ。」
ふと、エリーナは思った。
「ディストール様。貴方様はこういう事を経験した事がありますの?」
ディストールは目を見開いて、身を起こしながら、困ったように息を吐いて、
「それは勿論。私だって男だ。過去に色々と経験はあるが…」
「貴方様は高潔な方だと聞いております。夜会で幾多の女性達とダンスを踊れども、誰ともお付き合いしなかったとか。」
「それは最近の話だ。貴族の未亡人と恋に落ちた事もあった。とある令嬢と愛を囁きあった事もある。私だってずっと高潔な英雄だった訳ではない。私だって男だから女性を欲しいと言う欲はあるんだ。勝手に私のイメージを作らないでくれ。」
「でしたら、貴方様はこれから先、わたくしだけでなくて、他の女性が欲しいと思ったら浮気なさいますの?」
「どうしてそっちへ話が飛ぶ?結婚したからには、君一筋で大事にする。それは当然の事ではないのか?」
「わたくしは…貴方様が高潔だと信じていたからこそ、こうして着いて来たのです。
ディストール様っ…あんまりですわ。」
悲しくて悲しくて涙が溢れる。
あまりのショックで扉を開けて、エリーナは部屋を飛び出した。
神殿の廊下をフラフラする。
このまま結婚していいのだろうか?
過去に女性と色々とあったというディストールの発言が…
婚姻前だと言うのに、求めて来たディストールが…。
エリーナは失望してしまった。
廊下に座って泣いていると、声をかけられた。
女神レティナだ。
「貴方、まだまだお子様のようね。ディストールが困っていたわ。」
「女神様。ディストールは女神様とも恋の関係があるのですか?」
「え?まさか。わたくしには夫もおりますし、ディストールとは顔見知りなだけよ。今回、頼ってくれたのは嬉しくは思いますが。」
「わたくしは、ディストール様に高潔なイメージを持っていたのです。
英雄様ですもの。でも…彼は…思っていたのと違っておりましたわ。」
女神レティナは微笑んで、
「貴方より、わたくしの方がディストールの事を良く知っているのは、ちょっと問題な気がするわ。貴方達、結婚するのでしょう?もっとお互いに会話をして相手を知りなさい。
何でも、駆け落ち同然で出てきたとの事。結婚も勢いでお互いにすることになったのでしょう?もっと貴方もディストールの事を理解してあげて。そしてディストールも貴方の事を理解して貰いなさい。沢山話して、沢山触れ合って、沢山愛し合って。
結婚式はそれからでもよくてよ。ここでゆっくりと互いを理解し合いなさい。」
「有難うございます。女神様。」
そう…あの人が優しい事は間違いはない。
夜会でわたくしが、じっとあの人を見ているしかなかったわたくしの辛さを理解してくれていた。
雨の夜に、苦しくてあの人の屋敷に押しかけた時も、迷惑がらずに優しくしてくれた。
王太子殿下の婚約者で居る事が苦しくて、卒業パーティで結婚を申し込んだのに、
ディストール様はわたくしの事を思って、結婚を受けてくれて、そしてさらってここへ連れて来てくれた。
でも、わたくしはあの人の事を何も知らない。
あの人が何が好きで何が嫌いか。
どういう人生を歩んで来たのか。
どういう考えを持って生きてきたのか。
あの人だってわたくしの事を知らないわ。
だから…女神様の言う通り、あの人の事を理解したい。
理解されたい。
わたくし達は結婚するのだから。
エリーナは部屋に戻った。
ディストールがソファに腰かけていて、こちらを心配そうに見つめて、
「すまなかった。エリーナ。過去はもう変えられない。
君が私と結婚したくはないと言うのなら、君を国へ送り返そう。」
エリーナはディストールの隣に腰かけて、
「もっと貴方様の事を教えて下さいませんか?わたくし、貴方様とちゃんと会話をした事がありませんわ。わたくし達、結婚するのですもの。互いを知らなくてはならないと思いますの。」
「ああ…そうだな。エリーナ。君の事を教えてくれ。私も自分の事を教えよう。
どんな人生を歩んで来たのか。ああ…それで失望されたら。それはそれで怖い。」
「わたくしも、完璧な人間ではありませんわ。失望しないで下さいませね。」
エリーナはディストールを抱き締めた。
何とも言えない愛しさが増して。
それから、二人はソファに座って、互いの今までの人生を…互いの考え方を…
色々と話し合った。
時には涙を流す相手を一方が慰め、抱き締めて。
時には笑って喜びを共有して。
時が経つのも忘れてしまう程に、互いの事を話した。
そして互いに納得して、部屋を出ると、女神レティナが待っていて。
「どう?結婚したい気持ちに変わりはないかしら。」
ディストールは女神レティナに向かって頷き、
「私はエリーナがより、好きになった。結婚したい気持ちが更に強くなったよ。」
エリーナも頷き。
「あの夜は有難うございました。わたくしは、ディストール様の事を沢山知りました。
そして、これからももっとディストール様の事を知りたいと思います。」
「それは良かった。わたくしは愛の女神レティナ。貴方達に祝福を授けるわ。」
翌日、女神レティナの元で、ディストールは黒騎士姿で、エリーナは真っ白な花嫁衣裳を着て、二人は結婚式を挙げた。
誓いの言葉の後、ディストールの口づけを受けながら幸せに浸った。
これからも、色々とあるだろう。でも…エリーナは思う。
ディストールとなら、どんな困難も乗り越えていける。
ディストールの事を愛しているのだから…
二人を祝福するかのように、七色の虹が神殿にかかり、今日も太陽は美しく輝き続けるのであった。