063話 冥窟攻落その3
事実だけを記す。
《冥窟》に一歩踏み入った瞬間、バスティと名乗る少女が声を上げた。まるで何かに気づいたようなそれだった、と同行する冒険者は証言している。
彼女は深刻な顔で、今自分が踏んでいる地面───《冥窟》の地面を幾度か跳び踏み確かめて、そしてユヴォーシュを手招きした。幾言か耳打ち。
ユヴォーシュは彼女の言葉に激しく動揺し、「本当か」と問いただしたものの信じたらしい。眉間を揉みほぐすジェスチャーをしたあと、同行者たちにこう告げた。
「死にたくなかったら、今すぐ《冥窟》を出ろ。ディゴールに戻って防備を固めるんだ」
急げ、と言われても同行者たちもはいそうですかと引き返すわけにはいかない。彼らはユヴォーシュの探窟がスムーズに進むためのサポート要員であり、同時に彼がこういう危険な行動をしたときに何がなんでも止めるための人員でもある。ユヴォーシュも帰るならともかく、彼は《冥窟》から出てこようとはしない。つまり彼らも帰れない───そういう心理を察したか、ユヴォーシュが叫んだ。
「ああもう面倒くせえ、言ったからなッ!」
叫ぶや否や腰のバスタードソードを抜き放つと地面に突き立てる。瞬間的に《顕雷》が迸り、目を開けていられなくなった彼らの身体を強い衝撃が襲った。
吹き飛ばされた。ユヴォーシュを中心に発生した衝撃波と思われ、同行者たちが受け身を取って異変に気づく。
目をつむっていた一瞬の間に、ユヴォーシュとバスティを除いた全員が、《冥窟》入り口から少し離れた位置の草地に移動させられていたのだ。
困惑と驚愕はあれど、彼らは職務に忠実だった。《冥窟》入り口に急行すると、そこには驚くべき、されど心のどこかで予想していた光景が広がっていた。
ユヴォーシュとバスティの姿は消え、地面には文字通り大穴が開いている。道具で掘ったとは到底思えない、つるりとした壁面だ。
《冥窟》は微細に鳴動している。この穴に飛び込んだと思われる二人が原因に違いない。
───《冥窟》に開いた穴。これはただの穴ではない。不安定《経》にも近い、どこへ通ずるか不明な《《口》》と言っても過言ではないのだ。普通の洞窟であれば下に開いた穴は下へと通ずるが、《冥窟》ではそういう法則は通用しない。そういう歪み、特有の法則を有する一個の特異領域。それが《冥窟》なのだ。
《冥窟》のことを僅かでも知っていれば、そこに飛び込もうと考えることはない。けれど《絶地英傑》のハバス・ラズはそうではなかった。
彼は自らの魔剣を掴んで飛び込んだ。
鳴動は、今やいや増している。それはディゴールでも感知されるレベルに達していた。
◇◇◇
「おおおおおおらアッ!」
《信業》全開、魔剣に乗せて床に突き立てる。土と石と空間を貫いて足元に幾つ目かも分からない穴が開いて、俺はそこへ飛び込んだ。
真っすぐ突き抜けてきているのに、《冥窟》の核はまだ見えない。
「急げ、急げっ、ユーヴィー! 目の前の地面だけじゃない、もっと深層的な魔術的構造体を狙って破壊するんだっ!」
「何言ってるか分からねえよバスティ! 《冥窟》の核ってんなら下にあるもんじゃねえのか!」
「莫迦! 莫迦ユーヴィー! 言ったろう、ここは特異領域なんだって!」
「だからそれも分かんねえんだって! えいクソ、間に合えば何だっていいんだ! オラァッ!」
左手一本でバスティを抱え、右手一本でアルルイヤを振るう。あれやこれや考えている余裕は今はない、罵倒も叱責も後にしてくれ。さっさとしないと、探窟都市そのものが───
「あれ! ユーヴィー、今通り過ぎたッ!」
「ああ!?」
指さす方へ、空中で姿勢を変える。もう地面がやってくるのを待つのもまだるっこしい、踏みしめていると確信することで可能とする《信業》による虚空跳躍、いいやそれも遅い。近くに核があるというなら、それを壊せば《冥窟》が壊せるというなら、まとめて───
「何をしているユヴォーシュ・ウクルメンシルッ! やはり《冥窟》踏破の名誉に目がくらんだかッ!」
咆哮はハバス・ラズ。野郎、追っかけてきてやがった! 《信業遣い》でもないのに無茶しやがる!
魔剣アルルイヤが何を齎すか、まだ知らない俺は鍔迫り合いすることもできない。《光背》を展開して彼の魔剣を受け止められたのは目と鼻の先だった。
「止めんな《絶地英傑》! 説明してる暇がないんだッ!」
「それで《冥窟》を終わらせるのか! させるものか───イグ=リウィス!」
それが励起の合図、魔剣解放の号令か。ハバス・ラズの握る剣が炎上する。それを《光背》で防ぎながら、アルルイヤにもそういうのがあったら困るな、とふと考えた。
ハバス・ラズを巻き込まずに核をぶっ飛ばすのは難しい。そもそもどこにあるのかまだ認知していないのに、それだけを破壊するというのは土台無理な話だ。だからそれが、致命的なタイムラグとなった。
《冥窟》が吠えた。




