510話 救世光背その10
大神そのものに足はない。
かつてスプリール・テメリアンスクを葬った時のように真体を構築して光臨すれば別だが、この場において大神とは《大いなる輪》によって形象を維持しているだけの現象、新世界そのものだ。それに足が生えているはずもないだろう。
大神という機構に感情はない。
神の中の神グジアラ=ミスルクに決められたことを唯々諾々と遂行するだけの仕組みのどこに、何かを想う機能が存在するだろう。
けれど、ああ、けれど。
大神ヤヌルヴィス=ラーミラトリーは、彼の一歩を───美しいと、羨ましいと、思ってしまった。
その背に光を負って、ヒウィラ・ウクルメンシルの手を引いて、一歩一歩地を踏みしめて。
勝ち筋を模索する。神から命じられた使命を実行する。肉体と精神を崩壊させ魂を飲み込む脈動をより一層激化させる。ダメだ。こちらが喰らうよりもあちらが生み出す方が多い。とても飲み切れない濁流に溺れているような状況ではユヴォーシュにまで届きはしない。ならばそう、真体ならば。あれならば《真なる異端》を裁き滅ぼすための躯体だから現状に合致している、運用は可能───いいやあれは己の世界の中にのみ構築できるモノ。未だ《大いなる輪》より外に領土を拡大できていない以上、ここに真体を持ってくることはできない。神に逆らう者への神罰も、しるしを外してしまっている《真なる異端》には通用しない。
何より何もかも、彼の《光背》を貫ける気がしない。
存在しないハズの心が、勝てないと悟っている。
また一歩、もう《大いなる輪》に触れられるところまで接近した彼は、繋いだままで手をぐっと、殴りかかる直前のように引いて、
「喰らい、やがれェェェェェッッッ!!!!!!」
そのまま、本当に、繋いだままの手を叩き込んだ。
口などない、ないが《輪》の中に侵入した手は感覚的には体内へ突入を果たしたことになる。そこを起点として全開にされた《背教》が、大神ヤヌルヴィス=ラーミラトリーをいっぱいにしていく。
溢れんばかりの光。魂という可能性が飽和する。これだけあれば、ひとつの世界として機能するのに何の不自由もない量を越えてしまった。
そうなれば世界新生の術式は次なる段階へと進んでしまう。当然だ、情などないことになっているただの魔術であれば、それがどんな手法であれ条件を満たせばそのフェーズに留まっている理由などないのだから。例え大神───術式の疑似人格がこんな得体の知れない材料で世界を創るなんて嫌だと思っていても、成すすべはない。
《大いなる輪》の内側で淡々と、取り込んだユヴォーシュ製の魂を素材として次代が築かれ始める。そこに資材を集中すべきだから神威の嵐など起こしている場合ではなく、これでユヴォーシュたちを苛むものはなくなった。かといって彼らにものんびりしている暇はない。このまま放置していれば大神は《輪》の内側に一部の隙もなく新世界を構築し果せてしまうし、そうなれば立ち入るのは極めて困難だと《暁に吼えるもの》の知識が教えている。
割って入るなら、今しかない───!
《光背》を維持したまま、握った手を突っ込んだまま、更にその奥へ。
生まれつつある新世界のその中へ、背負ったこの旧世界の人々を連れて踏み込むのだ。
───光の中へ。




