035話 都市騒乱その9
異端を名乗るこの男は見逃せない。取り押さえるにしても話を聞くにしても、こいつは俺の相手すべき存在だ。
だがレッサとカリエの二人が危険な状態にあるというバスティの言も無視できない。だから。
「やれやれ、すぐ来てくれよ?」
バスティは肩をすくめると走り出す。魔術師によって作られた義体は、《信業遣い》ほどではないが並々ならぬ速度を発揮できる。……あいつめ、やっぱりレッサに誘拐されたときは猫を被っていたな。あれだけ動けるのに悪ガキ一人にいいように拐かされるなら、それは遊んでいた以外にあるものか。
さて、送り出したはいいものの俺もさっさと用事を済ませねば。
「異端聖堂───と名乗ったな」
「えぇ、えぇ。私どもは罪を断じられ───」
「組織か」
フードの大仰な動きがぴたりと止まる。
「俺に声をかけてきた理由は何だ? 引き入れようってか」
「仰る通りでございます。貴方も異端、私どもも異端。同じ異端であるならば、手を取り合うことは可能ではないかと」
「お前も俺を利用したいってか。───お前らにも、《虚空の孔》刑を受けたヤツはいるのか?」
手を取り合うと言いながら、俺が《枯界》に放り出されるのをどうにもできなかった連中に何ができるのか。そう言外に込めて向けた言葉に、ローブの男は懸命に否定する。
「あ、あ、どうやら誤解なさっているご様子。貴方様は特別なのです───私どもは《虚空の孔》刑まで受けたものはおりませぬ。貴方様ほど苛烈に、迅速に刑が執行された方は他におらず、故に私どもの手も届かなかった次第でありまして、」
「そうかよ。それを信じて、手と手を取り合って仲良くやれると思ってんのか? 都市政庁に突き出されることも恐れない馬鹿なのか」
「いえェ、それはお止しになった方が良いかと。私どもは基本、異端同士にしかコンタクトを取りませんので」
そんな連中と接触があったことを告げ口すれば、俺もまた異端だと都市政庁に明かすのと同じ───そう言いたいのか。歯噛みする俺に、影法師は、
「どうやらバッドタイミングだったご様子。いいでしょう、えェ、いいでしょう」
言いたい放題言って、闇に溶けて、消えた。
残留する気配だけが色濃く、一帯を支配している。方角が分からない音源が、くすくす、くすくすと笑いながら捨て台詞を残す。
「私はムールギャゼットと申します。近々またお伺いしますよ、ユヴォーシュ様……」
◇◇◇
少女たちは走っている。闇から闇に、浮かび上がる瞳を避けて、闇の方へと追い込まれていると知りながらも誘導から脱せない。
路地の石畳を爪がひっかいて立てるチャリチャリという音。
明かりのある方へ逃げようとしたときにだけ見える、闇に浮かぶ瞳と、その奥の巨体。
「にゃあん」なんて鳴いていたのは最初だけで、今では興奮した息だけを聞かせながら黙ってレッサとカリエを追い立てている。獲物を嬲って愉しむ貪汚な性根が漏れているのか、もうずっと畜生臭い。
疑いようもない、絶体絶命。上位捕食者の戯れで、まだ死んでいないというだけの窮地だ。
なのに瞳だけは、ずっと、彼女の膝より下の低さにしか浮かんでいない。
頭がどうにかなりそうだった。普通の猫に追いかけられているだけのようでいて、その猫のような影は噂の死なのだ。
「何で……!」
走り通しで息が切れる。大声を上げれば影が一息に跳びかかってくるだろうから助けを呼べない。そんな中で、それでも疑問は口をついて出てくる。
人は出来事に因果関係を求めるもの。実際はそこに理由などなくとも探してしまうこと、問いかけてしまうことは止められない。レッサは命の危機にさらされている最中というのに、酸素と思考はそんな愚問につぎ込む余裕など欠片もないのに、あたしは悪いことしてないのに、
「どうして───!」
目前に獣の口が開く。開いたのだと直感するが、さりとて見えはしないのだ。舌も、牙も、そこに引っかかっている誰かの衣類の切れ端も、闇に覆い隠されているから直視せずに済む。
ただ生臭い吐息が顔に吹き付けたから、ああ、喰われるんだと理解しただけ。
レッサはあっさりと観念してしまって、足に力が入らなくなって立ち止まってしまう。思考は空っぽに漂白されて、最期に遺るのは祈りばかり。
「───かみさま」
「はいはい、ッと───」
軽い衝撃は横合いから。
硬直していたレッサとカリエを救ったのは、小柄な少女の全力のタックルだった。
「───バスティ!?」




