031話 都市騒乱その5
その日の夕暮れにはもう、俺とバスティは政庁にいた。
荒っぽい探窟都市と言えど、都市政庁主催の会食と来ればそれなりのドレスコードは存在する。しがない旅の者でしかない俺たち二人は、案内で遣わされた壮年───ムルタンと名乗った───に言われるがまま、あれやこれやと正装を試着し、一番似合っているもの(正直どれも同じに見えた)に袖を通した。バスティの仮面についてはひと悶着あったものの、「これを外せというなら出ない」と強硬に主張するバスティに合わせ、俺が「バスティが出ないなら俺も帰る」と宣言したことが決め手となってそのままで構わないということになった。
「ただし条件が御座います。その仮面が《遺物》でないことの確認をさせてくださいませ」
そう言ってムルタンは、《遺物》探知の《遺物》を持ってきた。まずい、魔術的義体の中には《神体》が格納されている。すわまた一騒動か───そう身構えていた俺の冷や汗を嘲笑うかのように、
「───はい、問題ありません」
通れてしまった。
後で確認したところによると、魔術師カストラス特製の義体は内部の《神体》の探知反応を完全に消していたらしい。それならレグマの大図書館にも立ち入れるじゃないか、と苦情を入れると、バスティは何をいまさらという顔をするばかりだった。
さておき、服装は準備万端。
「こちらです」
ムルタンに案内されるまま絢爛な廊下を行き、扉を抜ける。広いホールで談笑していたお偉いさんがたが、一斉に俺たちを注視する。瞬間、数えきれないほど交わされていた会話がぴたっと途切れた。……少し、ぞくっとした。
───俺が主賓か。
獲物を狙う禽獣の如き目、怪物を目の当たりにした弱者の如き目。どちらの色もある。《信業遣い》という存在に価値を見出し、無視を選べないという点でだけは共通の、突き刺さる視線。
いいだろう、俺を見ろよ。好きに捉えればいい。俺も好きにするから。
そらしそうになるのをぐっと耐えて、堂々と見えることを期待して頤を上げる。隣で自然体のバスティは記憶喪失とはいえ流石に神か、有形無形のプレッシャーもどこ吹く風といった様子。
パーティーの出席者たちは、ホールの中心に向かって歩く俺たちを遠巻きにして近づいては来ない。興味はあるのだが、口火を切るのは得策ではないと考えているような、互いの牽制が俺にも見てとれる。さて、どう出る?
ガラスのラウンドテーブルに盛りつけられた食事でも眺めに行こうかと思っていると、すいと水仙みたいに細長いグラス(後にバスティに尋ねると「あれはフルートグラスというんだよ」と教えてくれた。記憶喪失のくせにそういう知識はあるのは何なんだ?)が差し出される。
「どうぞ」
「あ、これはどうも」
その女性は俺にグラスを渡すと、自分用に持っていたグラスをちりん、と当てた。所作ひとつとっても一々気品が漂っていて、見ていて惚れ惚れする。つまり、それを自分に向けられるとどぎまぎになる。
「初めまして、ようこそいらっしゃいました。私はディゴール総督の妻、オーデュローシサー・ラーゼンと申します。夫はこのところ体調を崩しておりまして、今宵は私がこの場を主催させていただきました。何卒、ご理解のほどを……」
「ああ、それは総督にお大事にとお伝えください。俺はユヴォーシュ・ウクルメンシルという旅の者です。こちらはバスティ」
互いに紹介を済ませる。仮面について突っ込まれるかと思ったが、既に聞いていたのか驚くそぶりすら見せず流した。
「今宵はお出でになってくださって感謝しております。この街を訪れる方は皆さま大切な御客人ですが、なかでもとりわけ」
そこで一拍、
「ユヴォーシュ様は《信業遣い》とうかがっております。どうか、永くお付き合いをしていきたいと私は考えておりますの。ユヴォーシュ様は如何でしょうか」
小首を傾げる。アーモンド型の瞳、橄欖石の瞳が俺に注がれる。彼女の細やかな指がそっと俺の手の甲を撫ぜる。触れるか触れないかの感覚だけのはずなのに、ビリビリと刺激的だ。
もう酒精が回ったのか? 高い酒はそういうこともあるのか。
思考が千々に乱れていく。
「ネエ、ユヴォーシュ様……?」
「オーデュローシサー様───」
「オーデュロ、とお呼びくださいませ。それで、どうでしょう。私の力になって、くださいますか───?」
彼女にそう乞われると、そうしてやりたい、そうしてやらねばという気持ちでいっぱいになる。
「そう、ですね」
喉が渇く。もう一口と思ってグラスを持ち上げようとした手を押える力が加わる。バスティだ。
「そっちじゃなく、こっちにするといい」




