027話 都市騒乱その1
「お主がユヴォーシュ・ウクルメンシルか」
「……誰、あんた?」
早朝から宿の主人に「客が来ている」と言われ、顔だけ洗って下りて行った正面ホール。もう少し遅い時間ならばぽつぽつ宿泊客たちが下りてきて、主人の用意した朝食にありついているはずの場所にはその客だけがいた。
中背だが細身……だと思う。烏よりも黒いマントは足元丈で、体格や装備、細かな挙動を隠す意図だろうが足運びに邪魔そうだ。黒髪は伸び放題で、マントの立ち襟と合わせて顔が全然見えない。右肩から覗くグレートソードが厳めしい。
見覚えはない。こんな真っ黒なのを見ていたら絶対に覚えている。
「我はジグレード・バッデンヴァイト。このディゴール最強の剣士だ」
「はあ」
今のは相槌だ。
「手合わせしてもらおう、《信業遣い》。嫌とは言わせんぞ」
「ふわ」
今のはあくびだ。
どこからどう見ても腑抜けているのには理由がある。聞いてほしい。……これでもう何回目か分からないのだ、こういう勝負の申し入れは。命のやり取りにしたって、こうも連日押しかけられれば慣れてしまうのも無理はあるまい。
確かに多少はしゃいで、やってきたばかりのディゴールで騒ぎを起こしたことは認める。けれど、だからと言ってこれほど噂が広まるのが早いとは思わなかった。《信業遣い》が珍しいというなら、もう一人来ているのだからそっちにも行って欲しい。いやあっちにも行っているのか? であるならばもう一人いてくれて助かった。この倍の腕試しが押し寄せてくるようなら宿を引き払うことを真剣に議論していたところだ。
それで……何だって?
「抜け、ユヴォーシュ・ウクルメンシル。貴様を倒し我が最強であることを証明する」
証明されてないのか。『ディゴール最強の剣士』じゃないじゃないか。
「別にいいけど……」
「何しているんだい、ユーヴィー」
「バスティ」
とん、とん、と軽い足音が階段から聞こえるので気づいていたが、上階からバスティが下りてきていた。奇妙な客を示して、『恒例の腕試しだ』と肩をすくめると、少女は容貌に似合わぬ大人びた微笑を返す。
「気を付けることだね。怪我をするのもさせるのも、本意じゃないだろう?」
「まあな。……っと、しまった。バスティ、部屋からロングソード持ってきてくれ」
「はいはい。剣だけでいいのかい?」
「ああ」
俺はチュニックにズボンという簡素な服装だ。実を言うとこれは寝間着で運動着ではないのだが、水浴び前に軽い運動くらいは構わないだろう。たぶん汗もたいしてかくまいが、寝汗を流してスッキリした直後の運動は乗り気がしないし丁度いい。
宿の庭に出ると愛剣を鞘に入れたままでぐるぐると回す俺を見て、ジグレード何某は怪訝な顔をした(のだと思う。前髪が長すぎて表情が窺えない)。
「貴様、何のつもりだ」
「やるんだろう? 手合わせ。……話しぶり的に全力でお相手した方がいいかと思ったが、違ったか?」
「無論。命を懸けてこそ互いの真価が測れるというもの───」
「よし。じゃあ、剣が倒れたらスタートだ」
「は?」
ごたごた言われても面倒だ。言質も取った以上、ちゃっちゃっと畳んでしまうこととする。
指一本で支えていたロングソードが、支えを失ってゆっくりと倒れる。倒れて地面に当たって音がした瞬間。
激昂したらしいジグレードのグレートソードを、俺は《光背》で受け止める。───速い。
俺のロングソードよりもはるかに重いであろうグレートソードでこの剣戟、なるほど“ディゴール最強の剣士”などと大口を叩くだけの実力はあるらしい。これはともするとアレヤ部隊長ともいい勝負を繰り広げるか───とまで連想するのは無駄な思考だが、懐かしい元上司を思い出して、俺の口元がつい少し綻んだ。
挑戦者は《信業》に驚愕はすれど、俺がふと笑ったのを見逃さなかったらしい。ギリと歯を食いしばって、別の角度からの斬り込みで《光背》を破らんと試みる。
ジグレードが剣を引いたその手を、俺は背後に回って掴み上げる。
「勝負ありだ」
足払いからの肘内で絞め落とす───まではしない。武器無しの俺にこうも制圧されたのだから実力差は思い知ったハズだ。完全に意識を奪うのは、この上でまだ駄々をこねる奴に限る。そこまで馬鹿ではないだろう、というのは願望混じりだ。……なにせ、一人だけいたからな、負けを認めないで暴れる奴……。
ジグレードは、握っていたグレートソードを手放すと、
「ま、参った」
「よろしい」




