188話 大魔王殺その1
振り払って距離を取る。《澱の天道》がある彼相手には悪手なのは承知しているが、ヒウィラを抱えたままで戦える相手じゃない。自失状態から回復しつつある彼女を立たせて、
「俺がやる。ヒウィラは援護を頼む」
「分かり、ました」
アルルイヤを構える。マイゼスは俺を睨むと吐き捨てるように問うた。
「───何者だ、貴様は」
「あ? ……ああ、そうか、初対面か。すっかり知った気になってたよ」
何せこっちは数日間、ずっと記憶巡りで大魔王マイゼスの《魔界》インスラ統一の偉業を見せられていたんだ。知り合い気分でいるのはこっちだけで、彼からすれば俺はどこの誰かも知りやしないというわけだ。
さて、じゃあ何と名乗ったもんだろうか───
ディゴール都市付き神聖騎士代理? 長ったらしいし、ディゴールが《人界》の都市だって知ってるか定かじゃないから伝わるか怪しいもんだ。そもそもそれは俺を示す肩書じゃない。いっとき預けられただけの役職だ。ただの《信業遣い》じゃあ何だか格好がつかないし、参ったな。征討軍時代だったら所属を名乗れば一発だったんだろうが、今は……。
ああ、そうだ。
「俺はユヴォーシュ・ウクルメンシル。自由人だ」
「そういうことを訊いているのではない───」
「あんたのことは嫌い一辺倒じゃないんだが、悪いな。あんたは止めなくちゃならん」
嘘じゃない。第三の腕を持って生まれたマイゼスに、信心を持たず生まれた俺は共感を抱いている。出会い方が違えば、もっと早く出会えていれば命の奪い合いしかない関係とは違う、もっと建設的で健康的な関係を築けたかもしれないけど───今となっちゃもう遅いよな。
彼が《魔界》インスラを統一し、《魔界》アディケードと《人界》にもその手を伸ばすつもりなのは知っている。記憶の中でも《魔界》アディケードから来たヒウィラ以外の姫を容赦なく《澱の天道》に取り込ませていたのは、今後の侵攻に有益だからだろ?
あんたと俺が似ているのはふりだしだ。けれど、俺の選んだ道とあんたの選んだ道は相容れない。
神を信じられなくても、《人界》は俺の故郷なんだ。それを攻め滅ぼすなんて到底許せることじゃない。
そして手加減して止められるとも思えない。
「あんたを殺すぜ、大魔王マイゼス」
「ふ───」
マイゼスが天を仰ぐ。その表情は見えない───
「ふ、は、は、は、は! そうか、余を殺すか! そいつは傑作だ、《魔界》インスラたる余を殺すとは!」
これほど背筋の凍る笑いがあるだろうか。彼が本当に喜の感情を抱いているとは思えず、しかし感情を発露したくなるような熱があるのは確かで。つまり今の彼は笑ってしまうほど───
「面白い、実に愉快だ。やってみせろユヴォーシュ───出来るものならな!」
彼が第三の腕を掲げる。掌中の黒い玉環が魔術的に作動し、天中の《澱の天道》から怒涛が八本、二列を成して降り注ぐ。
奔流をぶつけて呑み込もうとする今までの攻撃方法とは一線を画す、これは吐き出しているのだ。《澱の天道》の中に取り込んだもの、そうやって支配したものを。
俺の毛が逆立っているのは、気流のせいだけじゃない。
「呼応せよ悪なる太陽、《澱の天道》よ───」
降り注いだ八つは俺の予感通り凝集して何かを象る。それは犬頭の巨漢であったり、人族と大差ない容姿の壮年であったり、下半身が華の麗人であったり。
ゴーデリジーの記憶の中で見た、魔王となった後にマイゼスが攻め滅ぼした八か国の魔王たち。
「内に宿す因子を統べよ繰れよ憎悪の極点! 余の敵を討ち滅ぼせバンデルホーフェン!」
相違点は一か所のみ。《澱の天道》の濁流で形成されたその総身が、あらゆる色という色を煮詰めて出した黒で出来上がっているという点だけだ。それはつまり《澱の天道》ありきで存在する、すべて《澱の天道》次第の存在であるということで。
《澱の天道》を操る大魔王マイゼスの配下が八柱、その場に出現したということになる。
「……おいおい、マジかよ」
大魔王なんて名乗るだけはあるよな、やっぱり。《魔界》インスラの最大戦力を俺一人にぶつけるとは太っ腹なこって!
「───狂ったか、あるいはもとより愚かなのか。どちらにせよ笑えるのは今の内だ、ユヴォーシュ」




