124話 賢人愚行その8
「貴方が大事なものを手放さないのは魔剣の時に知った。盗み見は不可能。ならば交渉による閲覧は? それも考えましたが、その場合貴方はきっと制限をつける。でしょう?」
「そう、だな。悪用しないよう」
「それでは意味がありません。私は魔術師、真理の究明に制限など。私はあくまで自由に読みたい。そのためなら───」
彼女の言っている言葉に、嘘はないだろう。その行動原理は俺と同じなんだと悟って、言葉に詰まる。
魔術の秘奥を記した古書、学術都市レグマの禁書庫に秘されていた『バズ=ミディクス補記稿』。何が書いてあるか、事ここに至っても俺は知らないし、つゆほども知ろうと思わない。だが、彼女にとってはそうではなかったのだ。
いつからか。ともすれば、最初に本の名前を聞いた時点で、おくびにも出さずに気を伺っていたのかもしれない。
バスティの義体の精度を考えれば、危惧して然るべきだったのかもしれない。これほどの精巧な義体の代償として、カストラスが求めたのが『バズ=ミディクス補記稿』なのだから、それほどの価値がある古書だったのだと分かろうものを、俺は不用心に結構あちこちで名前を出していた。
その結果が、この状況。
「───『|バズ=ミディクス補記稿』を渡せば、解放する、のか」
「はい。それ以外、一切の交渉には応じませんのでそのつもりで」
言われなくてもそのつもりはなかった。正直、俺にそういう舌先の芸みたいなものは向いていない。一番得意なのは悲しいかな荒事、さっきガンゴランゼたちにそうしたみたいに斬り伏せてしまえば話は早いのかも知れないが気が乗らない。
幸い、そうする必要はないように思うし。
手に持っていた古書を掲げる。そこに意識を集中して、《信業》で再現するは炎陽の魔剣イグ=リウィスの火焔。
瞬時に手が炎に包まれ、必然『バズ=ミディクス補記稿』も炎上する。
「あ、あああッ!!」
身を切られたような悲鳴。ウィーエは彼女自身が言ったとおりに、すべてをかなぐり捨てて『バズ=ミディクス補記稿』を保全しようと手を伸ばす。高度な精神集中が必要とされる魔術行使はそれでオジャンになり、火球はあっけなく消滅。気絶するガンゴランゼたちに危険が及ぶことはなくなった。……ふう。
「な、何てことを───それにどれだけの価値があるか、知って───」
「知らないさ、もちろん。ただ、君が本気で禁書に執着してるんだろう、ってのは分かってるつもりだ。だから損なわれるくらいなら全力で阻止するし、そこに人質をどうこうする余地なんて介在しない」
「そ、そんなことより! 火を、火を消さないと───!」
「ウィーエ。俺だってな、そこまで愚かじゃないんだ」
掲げた手を一振りすると、『バズ=ミディクス補記稿』を包んでいた猛火は蝋燭の火をそうしたようにあっさり鎮火する。俺の手も、禁書も、焦げ跡一つ残っていない。
「───あ」
「幻の炎だよ。そもそも回収の役目で来てるんだ、独断で燃したりできないって気づけないくらいテンパってたんだな」
ウィーエはぽかんとした顔で俺を見て、がっくりと肩を落とす。
「君の負けだよ。君が何を誰を人質に取っても、結局のところ『バズ=ミディクス補記稿』を優先してしまうんだと証明されたからね」
「私がどう脅しても、ユヴォーシュさんは『バズ=ミディクス補記稿』を損なうぞ、と返せば私には打つ手がない、と。……参りましたね、本当に詰みだ」
どっかりと地べたに尻もちをつき天を仰ぐウィーエ。俺は彼女を罰しようとか咎めようとは思ってない。彼女は彼女の自由のために行動して、俺は俺の自由のために行動しただけだ。そもそも咎めるというなら、禁書を盗み出してこんなシチュエーションのきっかけを作った俺こそ咎められるべきで、彼女に偉そうなことは言えないという話になる。
「それ、どうするんですか?」
「知り合いの神聖騎士に返す。たぶん、レグマ大図書館の禁書庫に収蔵し直されるんじゃないかな。今度はもっと厳重に」
「あいたた。それじゃあ、私が読みたいと思ったらその、どこでしたっけ───レグマとやらまで行かないといけないんですね」
ここの負けが痛いなあ、とボヤく彼女は懲りていない。懲りもせず、きっと今度はレグマで自由にやるのだろう。その光景を想像すると、───
「───ぷっ。まったく、馬鹿だな、魔術師って連中は」
「知らなかったんですか。そうじゃなきゃ、魔術師なんてやりませんよ」
二人揃って、俺たちは苦笑する。
いいさ、自由にやりゃあいい。それが人生、そうだろ?




