第九十八話 婚約破棄
噂は思ったよりも早く広がった。それはセリアリスが一時的に拉致されたと言う話だ。そしてその首謀者がフラガである点。これだけでも十二分にスキャンダルな話なのだが、それに加えて拉致の際にセリアリスが穢されたなどという話が広まっていた。
レイがその噂を耳にしたのは翌日クラスに顔を出した時の事である。噂を耳にしたものは大抵が懐疑的だ。セリアリスが普段と変わらない姿で出席した事もそれを理由付けるのに十分に説得力があり、既にAクラスではその噂は沈静化されている。
ただそれ以外のクラス、特に上級生のクラスでは噂は広がる一方で、収まりを見せる気配は無かった。
そしてレイは本来であればDクラスの手伝いをクラス対抗戦直前迄手伝う予定だったが、流石に昨日の今日の話という事もあり、クラス対抗戦開始直前までセリアリスの護衛役で側にいる事にしていた。
「セリーは外野の声は気にならないのかい?」
レイは時折セリアリスに対し注がれる好奇に満ちた視線に対し、渋い表情でそれを見返す。それらの人々は大抵はそれでクモの子を散らすようにその場から立ち去る。ただセリアリスはそんな様を見て可笑しそうに笑みを見せる。
「レイが気にする事は無いわ。どうせこの噂も一時的なものですもの。それに私自身が負い目が無いのに、気にしたって仕様がないわ」
セリアリスの言っている事はもっともなのだが、それでも気になるのが人と言うものだ。ただそれが自分で有れば、やはりセリアリスのように気にしないかとも思えて、思わず苦笑する。
「うん、まあセリーがそう言うなら僕も気にしないでおく。まあ結局、誰かが好んで広げている話だろうからね。それはそうと、アレックス様の方は大丈夫なの?」
「さあどうかしら? アレックス様が如何いうお気持ちになるかは分からないわ。少なくても私は身の潔白を示しました。ただどうやらフラガがある事ない事吹聴しているらしく、何やら揉めているようですわね」
「フラガが?」
この後に及んでフラガが何を言うのだろう。レイは思わず聞き返してしまう。
「まあ実際にフラガが言っているかはわかりません。私が伝え聞いたのは、フラガがそう言ったという話だけです。私を穢すような行為をしたと」
「もしかして近衛騎士も?」
レイはそこでフラガを連れ去ったのが近衛騎士である事を思い浮かべ、そのフラガの発言の出元を想像する。フラガはあくまで自分の自尊心を満足させる為、セリアリスの心を折る事を目的としていた。それに今この場でそんなことを言っても、罪状が重くなるだけでメリットが無いのだ。ならそれを都合の良い証言にしたい人物達がいるはずである。
「そうですね。近衛全体というよりは、その一部でしょうか? 正直随分と都合が良かったですから、あの場に居合わせた人物達は。それに彼らは今苦境ですし」
「アレス、そしてグレイス家。そしてその背後にはロンスーシー家という事かい?」
「まあロンスーシーにしてみれば、良い手駒が手に入ったという事でしょうか。まあそれも憶測の域を出ませんが」
どうやら昨日リーゼロッテが言っていた通り、セリアリスには事の背景が見えているようだ。レイはただ感嘆するが、ノンフォーク家としてそれでいいのかと疑問を持つ。
「この事はノンフォーク閣下はご存知なのかい?」
「勿論、あらかた理解はされています。当然、お母様もね」
レイはそれを聞いて溜息を吐く。
「成る程、想定範囲内と言ったところなんだね。なら僕は本当にする事は無さそうだ。何を考えているかは分からないけど、色々大変な事になりそうだね」
「あらっ、レイにもする事はあるわよ。私の騎士役はレイにしてもらうつもりなのだから」
セリアリスはそう言ってクスクス笑う。レイはそれに引き攣った笑みを浮かべる事しか出来なかった。
◇
王妃が学院で滞在する迎賓館では今3人の要人が膝を交えていた。1人は王妃ヴィクトリア、そしてもう1人は王太后ヘルミナ、そしてそんな2人に挟まれた第一王子アレックスである。今日この後行われるクラス別対抗戦に観戦する為、両者はこの学院に訪れていた。
本来であれば王妃と王太后は犬猿の仲である事が知られている為、同じ場所で引き合わせるような事は無かった。少なくても学院側はそう配慮をしていた。それが王太后ヘルミナの指示でこの場で引き合わせとなってしまったのだ。
目的は当然セリアリスの事だろう。それは誰もがわかっており、その当事者の1人であるアレックスも重々理解していた。
『おいおい、なんだこの状況!? こんなのゲームシーンには無かったんだけど!?』
ゲームシナリオにはその舞台背景が明確に記されていないものも多い。アレックスのシナリオでこんなシーンが有れば、忘れるはずがないのだ。ただ今はこの難局をどう打開するかだ。なので取り敢えずアレックスは口火を切る。
「これはお婆様、お久しぶりです。本日は態々お越しいただき有り難う御座います」
アレックスはアレックスから見て左手に座るヘルミナにそう笑顔で挨拶する。今は多くを語らず、全力で王子ロープレを仕掛ける時である。すると王妃もそれに従い、ヘルミナに挨拶する。
「ご無沙汰しております。お義母様、わざわざ此方にお越し頂けるとはどの様なご用件でしょうか?」
「まあ挨拶は良いよ。用件は分かっているのだろう?そこの孫の許婚の件さ」
ヘルミナは2人の挨拶にさした興味を示さず、さっさと話を進める。するとヴィクトリアもああと残念な表情を見せて困ったように言う。
「セリアリスさんの事ですね。彼女には可哀想な事をしました。まさか此処に立ち寄った帰りに拉致に遭うなんて。そんな事になるので有れば、アレックスでも側に控えさせたものを。王家としても学院には十分に言って聞かせてますわ」
「そうかい、それでその首謀者であるランズタウンの馬鹿息子は何処に居るんだい? 私のそば付きの近衛に聞いても行方が分からないと言っているんだが?」
ヘルミナはわざとらしい演技をするヴィクトリアに厳しい目を向けながら、質問を続ける。ただそれもヴィクトリアはのらりくらりとはぐらかす。
「ああ、あの子、フラガと言ったかしら、その者なら今近衛の騎士団長クラスの人物しか知らない極刑の罪人を閉じ込める王城内の牢屋で尋問を受けてると聞いてますわ。それがどうしましたか?」
「はぁ、そうかい。可哀想に、もう表に出る事はないという事かい。まあ良い、それであんたらはセリアリスの事をどうしようと言うんだい?」
ちなみにアレックスは2人の会話の意味が全く理解できない。
『フラガが表に出ない? もう極刑が決まったって事か?』
などと見当違いな事を考えている。母といやロンスーシーと近衛が繋がっているなどと考えが及ばないのだ。するとそんなアレックスを尻目に2人の会話は進む。
「どうと言われましても困るのですが、そこは周囲の方々のご意見も聞いた上で、判断しなければいけない事案かと考えております」
「ふん、周囲の方々ね。……おいアレックスっ」
「は、はいっ、お婆様っ」
そこで急に話を振られたアレックスは、直立不動で返事をする。ヘルミナはそんなアレックスを値踏みするような視線で見据える。
「アレックス、あんたは今回のセリアリスの件、どう思うんだい?」
「はい? ……どう思うとは?」
アレックスはヘルミナの言っている言葉の意味がわからず、つい繰り返し聞いてしまう。ヘルミナはその視線をより一層厳しくした後、突き放すように言う。
「セリアリスの事が信じられるか信じられないかだ、このバカタレっ。恐らくこれから周囲はセリアリスにあらぬ噂を立てるだろう。確かにランズタウンの馬鹿が事実かどうかも分からん事を喚いている。セリアリスが許婚でいるには、それを信じて守るものが必要だ。アレックス、お前にその覚悟があるかと聞いているんだっ」
アレックスはその話を聞いて、ゲームのシナリオ展開を思い出す。
『あれこれってユーリへのトゥルーエンドへの分岐か?』
ゲームでユーリへのトゥルーエンドに入るには当然、セリアリスとの婚約解消が必要になる。1番綺麗な別れ方は、セリアリスが身を引くであったが、周囲の声で婚約解消というのもあった筈だ。このまま押し通せばハーレムエンドの目も無いわけではないが、正直自分の性格でハーレムを切り盛りできる器量はないと薄々感じていた。
「疑念がない訳ではありません。ただ信じたいと思っています」
アレックスは絞り出すようにそう言う。結局アレックスはまだ迷っていたのだ。ただその返事はヘルミナには不十分だった。これでは守れない、言外にそう決断を下した。
「駄目だ、全然足りないね。それじゃ何も守れはしない。アレックス、あんたセリアリスと婚約破棄をしなっ、あんたの方から破棄するんだ、分かったね」
「はっ? 何故そうなるのですかっ」
アレックスは突き付けられた最後通牒に思わず声を上げる。
「何故じゃない、あんたではセリアリスを守れないからだ。セリアリスは身の潔白を示したそうじゃないか。それを信じられないのはあんただろう。ならあんたから破棄するのが筋なのさ。あの子に落ち度はない。あの子から破棄させる様な事は出来ないよ」
「クッ……、承知しました」
アレックスは苦悶の表情を浮かべつつ、ヘルミナの正論に同意する。アレックスは失敗したのだ。中途半端な回答をした事で。なので素直にその事を受け入れるしかなかった。するとヴィクトリアが息子を慰めるように声掛ける。
「アレックス、仕方がないでしょう。これも元はと言えば、セリアリスさんが招いたミスです。あなたも次の王として、小さな躓きで悔いては駄目ですよ」
そうヴィクトリアにとっては、これからそう仕向けようとしていた事なので、結果が早まっただけなのでアレックス程の動揺はなかった。ただその余裕も次のヘルミナの言葉で帳消しとなる。
「ああそれとアレックス、あんたに国王より申し伝えがある。この度の婚約破棄にあたり、先の元老院の決定であったあんたの立太子は白紙とする。国王はセリアリスの潔白を疑っていなかった。より身近にいたあんたがセリアリスを信じられない様で有れば、国王としての見る目に信がおけないと言っていた。ただ廃嫡にはしない。これから再び信を得られるよう精進しろと仰せだ」
「なっ、何ですかそれは? 元老院の決定を覆す? 何の権利がっ?」
「何の権利? 国王の大権に決まっているじゃないか。あの子の勅状もある、他に何が必要なんだい」
その言葉を聞いて真っ先に取り乱したのはヴィクトリアだ。ヴィクトリアはヘルミナに食って掛かろうとする勢いで立ち上がるもアレックスがそれを制す。
「母上、落ち着いてっ、落ち着いて下さい」
「アレックス、離しなさいっ、こんな決定認める訳には……」
すると騒ぎを聞きつけた近衛達が、何事かと部屋の中に足を踏み入れる。
「グレイス卿っ、この女を捕らえなさいっ、王妃命令ですっ、この女だけは生かして帰してはなりませんっ」
ヴィクトリアは乱心したのか、アレックスに取り押さえられながら、入ってきた近衛騎士に命令を下す。グレイス卿は訝しい表情を見せながら、王太后に対し殺気を向ける。ただヘルミナはそんな状況に臆する事なく、むしろ楽しげな表情を浮かべる。
「ほうこの私を亡き者にするか? ならそれはこの男を見てから判断して貰おうかの?」
すると殺気を込めたグレイス卿の前に水の壁が立ち上がり、王太后を守る様に仮面の男が現れる。そしてその男を見てアレックスが言葉を零す。
「なっ……、リオ・ノーサイス!?」
それは突如誕生会に現れ、賊を討ち果たした仮面の軍人だった。
「ふむ……、これは目立っていないという事になるのか?」
仮面の男はこの混乱する局面でも何処か他人事のようにそう呟いた。
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