第七話 聖女 ユーリ・アナスタシア
やっとヒロインその2登場です。
レイはヘルムートより紹介状を貰った後、暫く商業区をぶらぶらしながら、店を冷かしていく。冒険者ギルドには後日じっくりと話ができる時に行こうと思っているので、特段、急ぎの用はない。それに購入しなくてはいけない物もないので、商品を見るというよりは、街全体を楽しむように歩く。
昼食がてらに露店で買い食いをし、再び大通りから近道とばかりに路地に入って、学院に向けて歩いている途中である。街の喧騒は相変わらずであったが、その中で少し違った声が聞こえた様な気がする。
「ん?」
レイは気のせいかとも思ったが、少しばかり気になったので、シルフィに声をかける。
『シルフィ、少し周囲の音を運んでくれる?』
レイは風が周囲の音を運んでくれるように、シルフィにお願いをする。シルフィはレイのお願いを嬉しそうに了承すると、張り切って周囲の音を運んでくれる。レイの耳にはシルフィが運んだ音が色々響いており、少し眉間に皺を寄せるが、その中で聞きたかった音が聞こえた瞬間、シルフィに声をかける。
『シルフィ、この音っ』
すると先ほどまで聞こえていた様々の音が消え、聞きたい音だけがレイの耳に響く。
『ちょっ、近寄らないで』
『それは聞けねえ話だな。俺らは上の命令で動いているんだからな』
『誰よ、私を攫おうとしているのはっ』
『ははっ、それは言えねえよ。守秘義務って奴だ』
聞こえた声はどうやらお取込み中のようだ。人攫い?奴隷目的とかそう言う感じではなさそうだけどとレイは、少し考える。場所はシルフィに聞けば、直ぐにわかる。人質とかに取られると厄介なので、そのあたりが問題だなと思うが、まああんまり悠長にもしていられないので、そそくさとレイはその場から移動し始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
少女は袋小路に逃げ込んでしまった自分を、軽く恨めしく思う。比較的路地の奥の為、声を張り上げても助けが来るとは思えない。目の前には自分を捕まえようと裏稼業のチンピラ風の男性が5名ほど集まってきている。
今日は普段通りこの地区にある教会で慈善活動をした帰りに襲われた。少し遅い時間になったから、急ぐ為に路地に入ったのが、裏目に出た。普段であれば、供の者が付く。ただ今日に限って、供の神官は大神殿より呼び出しがかかり、先に帰ってしまった。
『あー、もうついてない。もう、一体誰の差し金なのよっ』
少女は内心憤る。
こうして教会での慈善活動が長引いたのも、供の神官が帰ってしまったのも、何か繋がっている気がするのだ。
少女には敵と呼ばれる存在が多い。元々は孤児だった。孤児院で育ち、孤児院を経営していた教会でシスター見習いとなった。その後、神より神託を授かり、その聖なる加護を得た。聖なる加護は癒しの力だ。教会では多くの人々をその聖なる加護で癒し続けると気が付けば、聖女といわれるようになった。本人はそんな崇高な尊称に興味はなく、ただ困っている人々の力に成りたかっただけだった。
ただその力に目を付けた人間は少なくない。気が付けば、より多くの人々が群がり、少女を利用しようと考えた。彼女のいた教会では、既に対応ができなくなり、教会の司祭が大神殿側に相談した時に救いの手を差し伸べたのが、少女の義父であった。
義父の名はサイアム・アナスタシア。大司祭であり、国の大臣扱いである枢機卿の地位に就く、アナスタシア伯爵家の当主である。少女も最初は警戒した。自分の聖女なる大層な尊称を利用するような輩かと思っていたのだ。ただサイアムは本当にただの良い人だった。伯爵位で且つ今では枢機卿という高官にも関わらず、特に権力を欲する事もなく、少女の事も自身の娘として、ただの父親として接してくれた。
元々少女の育った孤児院や教会もサイアムがパトロンとなって経営されており、その経営もあくまで善意だった。だからこそ少女はその善意に甘んじるだけでなく、これまで通り、ただのシスターとしても、勤めを果たそうと努力してきたのだ。
ただそれを面白く思わない人物もいる。特に少女を養女としてから、次の大司教と謳われるようになったサイアムに対し、危機感を抱く輩だ。サイアムは大司教の立場を欲したことはない。今の役職すら分不相応と考えている節があり、欲目を見せる事などない。だからこそ名声が上がるとも言えるのだが、それに対抗する派閥にしてみれば、ただただ脅威としか思えないのだった。
『もし私に何かあったら、義父様を悲しませる事になるだけだわ。私は兎も角、それだけは避けないと』
少女にして見れば、自身の事より養父に迷惑をかける事が耐え難い。聖女に似合わないような睨みつける目つきで、目の前の危機に叫び声を上げる。
「ちょっと、あんた達、娘一人に大層な事じゃない。男だったら1人ずつかかってきなさいよっ」
「ふん、嬢ちゃんの事はきっちり調査済だ。お得意の聖魔法でも使うつもりなんだろ。その手にのるか、おい、お前ら。全員で取っ捕まえるぞっ」
「ちっ」
少女は大勢で囲んでいるくせに慎重な行動をとる輩に、思わず舌打ちをする。元々下町の孤児院育ちだ。養父のところに引き取られてから、それなりの教育は受けているが、地はこっちである。とは言え、このままではジリ貧。一応聖魔法が放てる準備だけはしながら、相手の動きに注力する。
するとその場に突風が巻き起こる。
「きゃっ」
思わずその風に目を閉じ、声を上げる。そして目を開けると、そこに1人の少年が現れていた。
「「「はっ?」」」
取り囲む輩も、少女も双方唖然とする。風が巻き起こったら、人が現れた。何が何だかである。
そして目の前に現れた少年は、少女の方に振り返る。自分とそう変わらない年の頃。茶色い髪に青い瞳の精悍な顔つきの少年だ。身なりは旅の姿で、目の前にいる輩とは違い、何処となく気品が感じられる。
「えーと、君は困っているという事でいいのかな?」
少女があまりに唖然としているので、少し困ったような表情で少年は少女に話かける。少女は中々働かない頭を何とか動かして、少年に言う。
「助けてくれるの?」
「一応そのつもりで現れたんだけど、取りあえず、ここから逃げようか」
少年はそう言うと、不意に少女を横抱きにして抱きかかえる。
「えっ、ちょっちょっと」
少女が突然抱きかかえられて、顔を真っ赤にして抗議の声を上げようとした瞬間に、また周囲に風が巻き起こる。
「きゃっ」
少女はまた可愛らしく叫び声をあげて目をつぶり、風が止んだと思ったところで、目を恐る恐る開けると、自分と少年の体が宙に浮いていた。
「えっ、えーっ!!」
「わっ、ちょっ、ちょっと、暴れないでっ」
少年は暴れる少女を抱えなおすと、そのまま近くの屋根に着地する。少女は建物の下の先ほどまで取り囲んでいた輩の叫び声を聞いて、乾いた笑い声を漏らす。
「ハハハ・・・・・・、なにこれ」
少年はそんな少女に苦笑いを浮かべると、説明は後とばかりに動き出す。
「とりあえず話は後でね。今はここを離れる方が重要だから。移動するから、しっかり捕まっててね」
すると少年は、屋根伝いに飛ぶようにその場から離れていく。
『嘘、なにこれ、飛んでる?いや跳ねてるの?』
少女は時折巻き起こる風を感じながら、その浮遊感に目を輝かせる。先ほどまで怯えていた表情も気付けば笑みが零れている。少年はその表情を見て、安心しながら、さて、どこまで行くかと周囲に目を走らせていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの、助けて貰って有難う。私はユーリ・・・・・・っと、大神殿に仕える神官です」
「ああ僕はレイ・クロイツェル。この春から王立学院に通う学生だ。助けられて良かったよ」
「こっちこそ、もしレイさんが来なかったらどうなってたか・・・・・・」
あれから屋根伝いに大通り近くまで移動し、二人は今、大通りを歩いている。助けた少女の名はユーリというらしい。大神殿の神官らしいその少女を今はその大神殿まで送る途中である。レイは少女がユーリと名乗る時に、少し躊躇した雰囲気を感じたが、そこには触れずに、自分の事を説明する。
「僕は商業区からちょうど学院に戻るところだったんだ。そしたらなんか揉め事の気配を感じて、様子を探ってたらあの場面に遭遇したんだ。どうしてあんなところで襲われそうになってたんだ?」
「えーと、それって言った方がいいですよね。話すと余計に迷惑を掛けちゃいそうな気がして」
「ん?という事は何か心あたりがあるって事かな?無理には聞かないけど、事情を話してくれた方が、色々対処もできると思うけど」
そう言って、レイはユーリの反応を見る。やっぱりさっき言いよどんだように、何かしら事情があるっぽい。ただレイ自身はそこまで踏み込むつもりはないので、あくまで本人が話す気になるかどうか次第と思っている。するとユーリの方が意を決したように、レイに話し始める。
「うーん、よし、お話します。どうせ学院が始まったらバレちゃいますし、私はユーリ・アナスタシア。アナスタシア伯爵家の養女なんです」
「ああ、伯爵家のご令嬢だったんですね。それは失礼しました」
レイは、ユーリが貴族の令嬢と聞いても驚かず、伯爵家と聞いて相応の態度に変える。すると、ユーリの方が慌てて、レイの態度を諌める。
「ちょっ、レイさん、止めてください。私は元々孤児で、伯爵家にたまたま拾われただけなんですから。それに今はただの神官です。そんな畏まられても困るんです、呼び方もユーリだけでいいですからっ」
「仮に養女だったとしても、アナスタシア伯爵のご令嬢という事実は変わりませんよ。とは言え、このままの態度だと話が進まなそうなので、同じ学院生という事で話させていただいても良いですか?あっそれと、僕もレイだけで結構ですよ。その方がお互い気が楽でしょう」
「はい、勿論です。それで、先ほどの話の続きなんですけど、多分、養父の対抗勢力の方の差し金だと思うんです。養父は私を娘にした事もあって、今、次の大司教猊下になるのではないかと言われてまして、対抗勢力の方はそれを阻止したいと躍起になっているんです。私は娘ではあるんですが、神官としての務めもキチンと果たしたいと思って、慈善活動を定期的に行っているのですが、今日に限って、活動が長引いたり、お供の神官が帰らなくてはいけなくなったりと不都合が続きまして、ああやって追われる事になったんです」
「ん?ユーリが娘になるとなんで次期大司教に近づくの?」
「ああ、それも烏滸がましい話なんですが、世間では聖女などと言ってくれる方々がおりまして」
ユーリはそう言って、恥ずかしそうに肩を窄める。そしてそれを聞いて渋い表情をレイは見せる。どうやら話は随分と面倒くさいようだ。大神殿内の権力争い。ユーリ自体に悪意はないのだろうが、その周囲が悪意を振りまいている。
「失礼な事を聞くようだけど、そのアナスタシア伯爵も?」
レイとしては、アナスタシア卿もまた、ユーリを利用するような輩なのかと警戒する。するとユーリは慌てて首を振り、それを否定する。
「違いますっ、養父は良い人で、私が聖女とかいわれて権力のある方から利用されそうになるのを助けてくれたんです。今度、学院に通うのもそう言った周囲から守る考えもあって、私の事も本当の娘のようにかわいがってくれて」
「ああ、ごめん、ごめん。話の流れからそうなのかと思っただけだから。すまない、変な事を言って。謝罪させてほしい」
レイはそう言って、頭を下げる。非礼をしたのだ。その行動はレイにしてみれば、当たり前の行動だ。ただそれを見て、今度はユーリが慌てだす。
「ちょっ、レイ、頭上げて下さい。恩人に頭を下げさせるなんて、謝罪は受けます、受けますからっ」
「ははっ、有難う。でもユーリとアナスタシア卿が良い関係なのはわかったよ。それでこの後はどうするの?」
レイは慌てるユーリの姿が可愛らしく、思わず笑い声を上げながら今後の事を確認する。そんなレイに少し憮然とした表情をユーリは見せる。
「もうっ、笑わないで下さい。でも今は何もしないです。御養父様に心配を掛けたくないですし、学院が始まれば、私の慈善活動も暫くはお休みになりますし」
「確かに学院内で何か仕掛けてくるような事はないのかな。なら僕もとやかくは言わないよ。まあ学院内で困った事があれば、相談くらいは乗るから」
まあ本人は動く気がないというし、これも縁である。学院内であれば、フォローできる事もあるだろうとレイは思う。
「有難う。あっ、そうそう、レイ、さっきのあの空を飛ぶ奴って、何?浮遊魔法なんて、聞いた事ないんだけどっ」
「ん?ああ、あれは浮遊魔法なんてものじゃなくて、風の精霊の加護だよ。僕は風の精霊の加護持ちだから、風魔法を色々使えるんだ」
まあ厳密には加護ではなく寵愛で、魔法ではなくシルフィ自体が手伝ってくれているだけなのだが、その事を説明する気はレイにはない。
「ああ、だから飛んだり跳ねたりするときに、風が巻き起こるのか。なんだか今も風が遊んでいるみたいだし」
「へえ、精霊の気配を感じられるんだね、ユーリは。ちなみにそういうユーリは、なんだか神々しい感じがするよ」
「うっ、それは言わないで欲しい。私は一応慈母神様の加護があるの」
恥ずかしそうにその事を伝えるユーリに対し、レイは思わず目を見張る。神の加護は大神殿や教会の聖職者ですら、滅多に与えられるものではないと聞く。そういう意味では精霊の加護も同様なのだが、この世界に顕現する事の出来る精霊よりも神の方が、よりその加護は大きい。レイはその事を知っているからこそ、ユーリに対して感嘆の声を上げる。
「へぇ、それなら本物の聖女様じゃん。ユーリは凄い人なんだな。やっぱりこれは、ユーリ様と呼んだ方がいいのかな」
「ちょっと、ユーリ様なんて呼んだら怒るからね。レイは私の友達でしょ。命の恩人で友達。むしろ私の方が様を付けたい位だわっ」
「はははっ、聖女様と友人になれて光栄だよ。まあ家は子爵家だから、伯爵家で聖女であるユーリは、本来恐れ多いところなんだけど、ありがたく友人でいさせてもらうよ。まあ学院ではよろしくな」
「うん、私も養女になってまだ長い時間がたっているわけではないから、そう言ってくれると嬉しい。よろしくね、レイ」
ユーリは嬉しそうな表情で、そう言ってくれるので、レイもそれに笑顔で応えつつ、ユーリを無事、大神殿へと送り届けるのであった。