第七十八話 王太后ヘルミナ・フォン・エゼルバイト
セリアリスとレイは王宮内にある後宮の最奥にある王太后の居室の前まで着くとその扉をノックする。
コンコンコンコンッ
「入りなさい」
内側から侍女により開かれた扉から室内に入るとセリアリスはお目当ての人物を見つけ恭しく頭を垂れる。
「お久しぶりでございます、ヘルミナ大叔母様」
「ああ、いらっしゃい、セリー。この間は家の馬鹿孫が迷惑をかけたみたいで、申し訳なかったね」
「フフフッ、そんな事ありませんわ。あれはアレックス様が悪い訳ではありませんし、幸い大事にも至りませんでしたから、そう気にされる事はありませんわ」
レイは護衛という立場から入室後、入り口付近に待機し二人の様子を伺っていたのだが、のっけから王太后の謝罪の言葉を聞かされ軽く目を剥く。
王太后ヘルミナはスラッとしたスタイルにややつり目な目が印象的なとても60を超える年の女性とは思えない活発そうな女性だった。確かに姫将軍とまで言われるような勝気さを秘めていて、セリアリスにもある凛とした雰囲気を醸し出す女性なだけに、親しく無い人間であれば、気後れしてしまうような内面の強さを感じる。ただその二人の雰囲気は想像していたものよりずっと柔らかい、親しみのあるものであり二人の関係性の良さを感じさせた。
「そうは言ってもねぇ。セリー、あんたにわざわざ護衛までつけさせてしまって、窮屈な思いをさせてしまっているのではないのかい?」
そう言ってヘルミナはチラリと入口の方にいるレイに目をやる。そこでセリアリスは合点がいき首を横に振る。どうやらヘルミナは護衛を付けさせられていると勘違いしているらしい。ただ実際は、どちらかというとセリアリスの要望で付いて貰っている状況だったりする。
「いえ、そんな事はありませんわ。彼は元々私の友人ですから。むしろ気を使わない相手が傍に居てくれるので、凄く心強いんです」
「ん? セリーの友達なのかい?男の!? ……ああっ、あれがカエラの言っていたクロイツェルの嫡男かい? 成る程、成る程、そうかい、そうかい」
ヘルミナはレイを値踏みするような目で見つめながら、うんうんと頷き始める。確かにセリアリスが言っていたようにカエラさん経由で王太后様にも話が通っているらしい。レイは少し顔を引き攣らせつつそれ以上絡まれない事を祈るが、この手の願いが叶った試しがない。やはりここでもその願いは叶わず、ヘルミナからの声が掛かる。
「セリーの護衛とやら、こちらに来て挨拶なさい。少し話を聞きたくなった」
レイとしてはこうなると当然拒否権はない。なので動揺を見せずに毅然とした態度で軍式の礼をとる。
「はっ、王国軍海軍所属レイ・クロイツェル少佐であります。この度はお声掛け頂き、恐悦至極に存じます」
「ふふん、この場は護衛という事で軍式の礼を選んだか。そなたの事はノンフォーク夫人であるカエラから色々聞き及んでおる。確かにその若さの割に、随分と毅然とした振る舞いをするね。ふむ、中々に面白い」
王太后ヘルミナはそう言ってニヤリと楽しそうな笑みを零す。レイは敢えて態度を崩さず、直立不動の姿勢を取る。するとヘルミナは更に試す様にレイに質問をしてくる。
「そなたレイといったか。今年でいくつになる?」
「はっ、16歳になります」
「ほう、するとアレックスやジーク、セリーとは同学年になるか?」
「はっ、学院では同級生となります」
「ふむ、ではその同学年の者たちと戦った場合、その方はセリーの護衛としてそのもの達に勝つことができるか?」
「はっ、勝敗は分かりませんが、セリアリス様をお守りするだけなら可能だと考えております」
レイはヘルミナの意図が全く読めないのでそう当たり障りのない回答をする。単純に勝てると言えばカドが立つかもしれないし、守れないでは護衛の意味がないからだ。するとヘルミナがその眼を光らせ更に突っ込みを入れてくる。
「ふむ、ちなみに我が孫達は王家の血筋にのみ宿る特別な能力を宿しておる。その事は知っておるか?」
「はっ、存知あげております。先般拝見もさせて頂きました」
「にも関わらず、守り通す事は可能と?」
「はっ、私は風と水の精霊の加護を持っております。勝敗ともなれば判りませんが、逃げる、逃がすという事で守り切るのであれば、可能だと考えております」
するとヘルミナはまた別の話題を振ってくる。ただその話題にレイは内心で冷や汗をかく。
「ちなみに先日アレックスの誕生を祝う席で賊が乱入した事件があったのを知っているか?」
「はっ、ノンフォーク閣下より今回の辞令を賜る際にお教え頂きました」
「ちなみにその賊に関して、私の甥であるセアドが子飼いとしている特務機関なる所属の軍人がその賊を撃退したとの報告を受けている。ああ、確か名をリオ・ノーサイスと言ったか。ちなみに私は元々国軍に席を置いていた事もあり、軍の組織には多少なりとも知識があるのだが、その特務機関というのを聞いた事が無くてな。それにその軍人の姓であるノーサイスだが、ノンフォークの傍流の家名であるが、もう随分前に途絶えた筈の姓なのだが、よもやそんな所で聞くとは思っていなくてな。ちなみにレイ少佐はこの事に対して、どう思うかね?」
「はっ、我ら海軍は余り軍全体を把握しておらず、その特務なる機関も不勉強で存じ上げておりません。ただその名から軍組織とはある程度独立した形で設けられた組織だと思われます。またノーサイス云々に関しては、残念ながら私にも推察する事はできません」
レイはそう言って、頭を振る。ここは知らぬ存ぜぬの一点張りだ。まあ王太后にリオ・ノーサイスの事がバレてもそう大事にはならない気がするが、とは言え王族内にその手の話が回るのも良くはない。ただそんなレイの思惑を見透かしたかのように、ヘルミナは言葉を零す。
「まあ確かにノーサイス云々はそなたでは考えが及ばぬか。ああ、そうそうそのリオ・ノーサイスとやらは、随分と巧みな水魔法を使用したそうだ。そなたにも同じような芸当ができるのか?」
「はっ、実際にその魔法を拝見したわけではないので、できるともできないとも返答はできません」
「クククッ、まあ今日はこの辺までとしておこうか。近いうちにカエラも遊びにこよう。その時にはノーサイスの事も詳しく聞けるだろうからな」
「はっ、余りお役に立てず申し訳ございません」
やはりどこか勘ぐられている気はするが、レイはその場を何とかやり過ごす事に安堵する。ただそれで話が終わらないだろうなという気もするのだった。
◇
その後は通常の王妃教育の時間となり、レイは再び入口付近に設けられた席にて待機をする。ただその時間は周囲を警戒こそすれ、特段する事もなくただ無為な時間が過ぎていく。
『シルフィ、周囲に人影はないかい?』
『人ハ居ル。デモ危ナイ人ハイナイ』
シルフィからの返事にレイは感謝の気持ちを思いつつ、まあ早々危険があっても堪らないと少し気を緩ませる。そう言えばこの王都に来てからの生活は比較的慌ただしかった。そもそも王族や上位貴族との絡みが多く、学院生活なのにも関わらず戦闘機会もあった。先日はエルフの少女も救っていたりする。そう言えば、ダークエルフから杖を回収していたが、あれの処遇も考えないといけない。あれには闇精霊が封印されている。当然、封印を解除し闇精霊を救ってあげたいが、どうやら魔力に怨嗟が籠る程、恨みを抱いているらしい。ディーネ曰く解放後は大暴れする可能性が高いとの事で一旦収納の腕輪ごとディーネに封じて貰っているが、いつまでもそうしている訳にもいかなかった。
『ああ、そうだ。ニーナにも会いに行かないとな』
エルフの少女ニーナは今、ドンウォーク子爵家で保護をして貰っている。レイはそこで預かって貰った日から既に何度か彼女の元に行っている。ニーナは精霊の気配を持つレイに対しては、従順で年相応の笑顔を見せるが、ドンウォークの面々にはまだ少し警戒があるのかややぎこちない。それでもミレーヌさんやその娘のアリスが積極的に世話をしているので随分と慣れてきているが、もう少しレイのフォローも必要そうなので、出来うる限り機会を設けて足を運ぶようにしていた。
そうやって自身の関わる問題を考えていると意外に多くの事に首を突っ込んでいる自分がいるのに、思わず苦笑する。ユーリやセリーの事もそうだ。友人として大事な存在だと思っているので、その手助けをするのは全然かまわないのだが、彼女達を取り巻く環境が非常に厄介だ。これが自分と同格かそれ以下の貴族や平民の子であれば、どんなに良かっただろうと思わずにはいられない。ただこればかりはめぐり合わせだ。そう言う意味では運が無かったのだろう。
そんな取り留めのない事を考えながら時間を潰していると、レイの座る席の直ぐ近くにある扉からノックをする音が聞こえてくる。直ぐ侍女が駆け寄り顔を覗かせて要件を確認するが、その要件では直ぐの取次はできないと言っているが相手が引き下がらないようで揉め始める。
仕方がないのでレイはそのまま入口に移動し、その隙間から覘く相手の姿を確認する。
『ん?近衛騎士?』
入口で侍女と掛け合っている近衛騎士の奥にも数名の騎士がいる。と掛け合っている騎士と目が合いレイは仕方なしにその騎士に話しかける。
「恐れ入りますが、今王太后様はセリアリス様との王妃教育のお時間で手が離せません。そう時間をかけず終了となりますので、それまでお待ちいただけますか?」
「むっ、国軍の軍人風情が知ったような口を利くなっ。我らは国王陛下の勅命により王太后様への査問を言い渡されたのだ。邪魔立てするなら貴様も捕えるぞっ」
レイはそれを聞いて思わず頭を抱えたくなる。また面倒事がやってきた。出来れば今この時にそんな事が起こらなくてもいいだろうにと思わずにはいられない。レイはそう思いながらも、さてこの場をどうやってやり過ごそうかと悩み始めた。




