第四十四話 エリカの動揺
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エリカはその時動揺していた。
エリカの性格は自分でも冷静な人間だと思っていた。周囲の目も落ち着いた聡明な女性だと思って貰っていると思う。だからこそ今この場でこんなにも頭の中がパニくっているなど自分でも信じられなかった。
今は王妃様の居室で王妃様やアーネスト先生と私、ユーリ、セリアリス、アレックスがテーブルを囲んでお茶をしている。アレスも同席はしていたが、彼は今回護衛の役割という事で、席には座らず、後方に控えている。勿論、王妃の部屋でのお茶会で相応に緊張はしている。何故いるのかは判らないが、アーネスト先生もいるので、良い意味で緊張感は感じている。ただ、動揺の理由はそこではない。
元々エリカは前世でも比較的社交的な人間だった。男子付き合いも相応にあり、彼氏と呼ばれる存在がいたこともある。大学2年までの20年程度の人生であったが、バイトもしたし目上の人間に対しても相応の振る舞いはできる。だからこそ問題はそこではない。エリカを悩ませ、動揺させているのはホンの数十分前の出来事に起因する。
なんと加護が宿ったのだ。王城に入城し、奥の王宮まで足を運ぶ途中、アレックスがユーリに対し、ここが謁見の間だと説明をしていた時に、何故か彼女に神託が降りたのだ。
『我が眷属たる巫女よ……』
それは彼女の信仰する神である至高神アネマからの言葉だった。エリカは最初その言葉を聞いた時に、思わず呆然とした。その神威に圧倒されたと言ってもいい。
『この世に揺蕩うすべての不浄を祓いなさい。そして新たに目覚める魔を打倒しなさい』
そしてその神意を感じたのと同時に、その身にこれまでとは違う新たな力が宿るのを感じる。どこまでも静謐で澄み切った力が。それは一度全身を駆け巡ったかと思うと、次第に右手へと収束していく。そして収束していく部分である右手の甲を眺めると至高神アネマを司る聖印が刻まれている。神の加護持ちである証しである聖印。その瞬間、エリカは言いようもない喜びが溢れていくのを感じる。
『えっ、えっ、神の加護?ほ、本当に!?』
正直神託の内容は、至高神アネマらしいこの世の不浄を嫌うもので、恐らくこれからの展開にも大きな影響を与えるものなのだろう。ただ今はそれを脇においてでも喜ぶべき事がある。ただのモブであるプレイヤーキャラの妹でしかない自分の存在に、大きな転機が訪れたのだと分かったからだ。
『えっ、って言うかこれでユーリと同等?あっでも彼女は慈母神の加護で聖剣付与があるから、私とは違うのかしら?ああでも至高神アネマなら、対魔関係の付与もできそうだし、聖剣付与も習得できるかも?一度、お母様やお義兄様に相談しないと。それに聖女絡みの文献も一度あたってみないと』
王城の中を気さくに会話をしながら案内をするアレックスの話は上の空で、エリカは一人表面上は平静を装いながら、悶々と思いに耽る。
そうして、王宮内の王妃居室の近くまで来たときに、その身に異変が起きる。
ゾクッ
それはその部屋より奥にある居室より感じる呪の気配であり、思わずその呪気に顔を顰め、慌てて前にいるアレックスへと話しかける。
「アレックス様?この奥には何があるのでしょうか?」
エリカはアレックスの王城説明に被せる形で、ヘンに怪しまれないように言う。
「ふむ、ここより先の居室は父上の居室だな。つまり国王陛下の居室に他ならない」
「ああ、陛下のお部屋なのですね。それにしても王城内は広くて、正直迷子になりそうですわ」
「ハハッ、まあそれも慣れだが、確かに私にも知らない部屋がある位だから、その広さは推して知るべしだろう。とは言え、王妃や側室などは、そう滅多に王城の外へ行く機会もない故、広さはむしろ良いのだろうけどな」
アレックスは、エリカの思惑などまったく気が付く素振りも見せず、朗らかに笑う。エリカもそれに微笑を返しつつ、さてどうした事かと考える。
『えー、って事は国王陛下が絶賛呪いに掛かっているって事かしら?でもここまで気配が強いとバレそうなものだけど、ユーリも気付いた雰囲気が無いみたいだし、これってどういう事なのかしら』
今エリカの感じている呪気はかなり大きいもので、聖魔法の使い手であれば、少なからず感じる事はできそうなものだ。勿論、今のエリカの感覚は加護を得る前までとは違い鋭敏にはなっている。とは言え、ユーリがここまで気付かない程、小さいものでは無いはずだった。だからこそ思い悩むのであった。
そして王妃とのお茶会にまで、話は戻る。
「……ってエリカ様はどう思われますか?」
「は、はい、え、えっと、すいません。もう一度お願いしても良いでしょうか?」
すっかり動揺で話を聞きそびれたエリカが、申し訳なさそうに話を振ったユーリにお願いをする。ユーリは少し目を剥くが、直ぐに優しい笑顔になり、もう一度同じ質問を繰り返してくれる。恐らくユーリは、緊張で自分が聞き逃してしまったんだろうと思ってくれたらしい。王妃の前だからこそ、もう一度気持ちを引き締め直す必要がある。
「ああ、すいません。私の声が小さかったみたいですね。えっと、卒業後の話の中で私は神殿の職位を持っていますので、卒業後は神殿に仕えるつもりですとお話したのですが、エリカ様はどうお考えなのかと思いまして」
「ああ、すみません。私は、当座、良縁でもなければ、義兄の元でお手伝いを出来ればと考えています。私も聖魔法は使えますが、神殿に仕える気はないのでそうなるかと」
するとエリカの言葉に、王妃が反応して質問してくる。
「あら、あなたのお兄様というとエリク君よね?将来は彼と結婚をするのかしら?」
エリカはそれに首を横に振り、淡々と答える。
「いえ、確かに血の繋がりという意味では、従兄妹ではありますので可能性が無い訳ではありませんが、私は養女として引き取られた身ですので、そこはお義父様のご判断になるかと思います」
「ああ、そこは貴族の娘としてしっかりとしたお考えをお持ちなのね。でもあなた程の容姿で、しっかりとした気品をお持ちの女性ならば、世の男性も放っておかないでしょう、ねえアレックス?」
すると話を振られたアレックスは満更でも無いような表情でエリカに言う。
「はい、母上。確かにエリカは美しいと思いますよ。いつも連れて歩くエリクが羨ましい位です」
「フフフッ、アレックス様もお上手ですね。そう言っていただくだけで光栄ではありますが」
それをエリカは嬉しそうに謙遜する。こういう所作はエリカの社交性がなせる業だ。そういう表情を見せられて悪い気がしないアレックスは更に上機嫌になる。そんな2人を王妃が目を細めながら眺め、再びユーリに話しかける。
「ユーリさんは将来そのあたりはどうお考えなの?やはりアナスタシア卿のご意向如何なのかしら」
するとユーリは少し悩ましげに苦笑いを浮かべる。
「はい、当然、お養父様のお考えは大事なのですが、今はまだそこまで先の事は考えられていません。まずは神職としてキチンとお養父様に御恩をお返しする事が何よりだと考えておりますので」
「フフフッ、それはそれでご立派なお考えだけど、貴族の婚姻は早いもの。学院を卒業した後、そう遠くないうちにお相手を見つけないと中々良縁にも恵まれませんよ」
「はい、ご忠告痛み入ります。良いお相手がいればその時は考えさせて頂きます」
するとここまで黙っていたアーネストが、不意に会話に入り込んでくる。
「ふむ、それならばアレックス殿下なんかはいいお相手ではないかな?勿論、セリアリス嬢が正妻となられるが、側室とて大変栄誉な事。それに聖女である君のお相手という事であれば、第一王子ならば相応しいだろう」
「いえいえ、私などアレックス様のお相手としては、到底務まるものではでございません。すみません、アレックス様、私はそんな大それた事など考えてもおりませんので。アーネスト先生もご冗談もほどほどにお願いしますね」
ユーリはあくまで自分ではアレックスの相手は相応しくないとそれを否定する。アレックスはそれを少し渋い顔で受け止めるが、アーネストは更に軽口を重ねる。
「どうやらユーリ嬢は自己評価が思った以上に低い様だね。君は私の生徒の中でも随一の聖魔法の使い手、慈母神の加護を持ち、アナスタシア伯爵家の養女とは言え、伯爵令嬢なのだよ。しかも王都の平民の間では、聖女の再来とまで謳われる人気がある。君を手に入れたい人間は多数いるし、君にはその価値がある。私にはアレックス殿下のお相手として十分な資質をお持ちだと思うよ」
「い、いえ、過分なご評価、光栄には思いますが……」
流石のユーリもそこまでの賛辞を受けると返事に窮する。するとやはりここまでは、会話を傍観していたセリアリスが、2人の会話に水を差す。
「アーネスト先生、ユーリ様をいじめるのはそこまでにして下さいませ。ユーリ様も自己評価が低いのは事実ですので、もう少し自信を持たれてもいいと思いますわ。とは言え、今日は生徒会メンバーを王妃様にご紹介する場。婚姻云々はまた別の機会でもいいと思いますわ」
「フフフッ、そうね、セリアリスさんの言う通りだわ。アーネスト、戯れもほどほどになさい。ユーリさんも困らせてごめんなさいね」
セリアリスの仲裁にのる形で、ヴィクトリアもそれに追従する。すると流石にそれ以上は話を出すこともできず、アーネストは謝罪を口にする。
「これは失礼しました。つい教師の立場でユーリ嬢の自己評価の低さを改善しようと、口が過ぎました。これもまた別の機会が良いでしょう」
「いえ、こちらこそお褒め頂いた事には感謝いたします」
その謝罪を受けて、ユーリもまた感謝を述べる。ただこの一連の会話の中で、エリカだけが別の事を考えていた。
『あれ?セリアリス様も呪に犯されている!?』
感じたのは小さな違和感だが、恐らくは間違いない。確かにここ数日、体調を崩される機会が少なからずあった。加護を得られなかった時分には感じられなかった違和感だが、今はわずかながら感じられる。しかも更に厄介な事がある。
『ええっ、この感じ、国王陛下の部屋から漂う呪気と同じもの?ええ?なにどういう事?』
セリアリスから感じる呪の気配が、王の居室から感じる呪の気配と同種のものであるのだ。呪の気配はその呪をかけた術者が同一の場合、同じような気配となる。エリカはこれまで修行の一環でその手の浄化を何度かした事があり、その経験から今回のセリアリスも同じだと告げている。
何より厄介なのは、王の居室の呪の気配が、王が対象だった場合だ。今ではほぼ間違いないと思っているが、対象が王であった場合その目的は暗殺である。そしてその暗殺に用いられている呪がセリアリスにも用いられているという事は、王家に近いものの犯行である可能性が高いのだ。もしこの場で、至高神アネマの加護を得て、呪の存在が感知できるようになりましたと公言した場合、自分の身が危なくなる。とは言え、このまま放置すれば、王は死に、セリアリスもまたこの舞台から去る事になる。
『ええ?ホントなんでこのタイミング?私にどうしろって言うの?』
差当りセリアリスに関しては、まだ呪の気配は小さい。時折、体調を崩す程度でまだ如何こうなるものでもない。機会を見計らって浄化をすれば、そこは解決できる。ただそうした場合、その行為を行った自分が粛清対象となる可能性は否定できないが、そこは仮にもミルフォード侯爵家だ。表だって如何こうしようとするような奴はいないだろう。ただ王の方は問題だった。
「では今日はこのあたりでお開きとしましょうか。ユーリさん、エリカさん、今日は楽しかったですわ。これからも生徒会の仲間として、アレックスを支えてあげて下さいね」
「はい、今日はご招待いただき有難うございました」
「はい、至らぬ身ではありますが、頑張ってお手伝いさせて頂きます」
そう言って2人は王妃に別れの挨拶をすると、アレックスが王妃に言う。
「母上、父上にも一言ご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか?」
すると王妃は少し沈んだ表情を見せて首を横に振る。
「昨晩から余りご体調が優れないようで、今は休んでおいでです。昨日、今日の事をお話した際には一声挨拶でもとおっしゃっていたのですが、またの機会が良いでしょう」
「そうですか。承知しました。ではみんな、学院へ戻ろうか」
アレックスは立ち上がって入口へと先導し、他の者も王妃に礼をした後、その後に続く。
そんな中、エリカは平静を装いつつ、このまま帰るべきか、それとも一声かけるべきかで葛藤する。王子と王妃の会話から、やはり呪の気配の元は王だと確信したからだ。ただ結局は問題の大きさを考えるとその場で行動を起こす事ができず解決を先送りする事に決め、悶々とした気持ちを抱えながら、その場を後にした。




