第二話 ノンフォーク公爵領
のんびり物語が進みます。
クロイツェル領を発って10日、ようやくレイはノンフォーク公爵領の領都であるオムロ近郊まで来ていた。
街道を真っ直ぐ来たので、日程としては予定通りであるが、やはり山脈を越えるのは正直大変だった。街道があるとはいえ、山々の間を沿うように作られた道である。ところどころ狭い道や荒れた場所もあり、すれ違う隊商が立ち往生しているのを手伝ったりもした。
道中、盗賊には襲われなかったが、魔獣には遭遇し、討伐をしたりもしたので、冒険といえば冒険なのだろう。とは言え、街道にでてくるような魔獣は上位種ではない。レイにしてみれば、さしたる脅威にもならない相手だったので、全体的には、周囲の風景を楽しみつつといった、のんびりした旅路ともいえた。
『主様、今日はあの街でお休みになられますか?』
レイが街を見下ろせる高台で、馬を止めたところでもう一人の精霊から声がかかる。厳密には、レイにしか聞こえず、レイも声を出して話をするわけではないので、声がかかるという表現が正しいかは判らない。
『ディーネ、そうだね。今回は父上の頼まれごともあるから、2~3日は滞在する事になるかな』
『それは良かった。見ればなだらかな川が直ぐ傍にあるご様子。水場の近くであれば、気持ちよく過ごせますもの』
そう言って声の主は歌うように喜びを表す。そう声の主はレイにもう一つの寵愛を示してくれる水の精霊ウィンディーネ。シルフィより長くこの世界に留まり、精霊として、上位の格を持つ存在である。その格ゆえにシルフィードよりその意思を明確にすることができ、レイを主様といって敬愛を示してくれる存在である。
『ははっ、そうだね。あそこならディーネの力も十分に使えるかもね。まあ使う機会はないと思うけど』
『フフフッ、承知しておりますわ。私の力は内緒でございましょう。私は主様のお傍に居れるだけで、幸せですから、それで結構ですわ』
ディーネの満足そうな感情を感じて、レイは思わず苦笑する。
本当に不思議な力だ。加護持ちの場合は、このように精霊との交流をする事は出来ない。精霊の存在は感じられても、意思疎通など図れないのだ。ただレイは生まれた時から、厳密には物心ついた時から意思疎通ができた。元々そう言うものだと思っていたのだから、他の人に精霊の声が聞こえないと聞いて、むしろビックリした位なのだ。
だからこそこうして親愛の情を見せてくれる精霊達には、嬉しさと共に不思議な感覚を持つのだった。
『ディーネ、有難う。そういって貰って嬉しいよ。俺にそこまで懐いてくれるのは不思議でしょうがないけど』
『それは主様だからですよ。主様は特別なのです』
やはりそう言われても不思議な気持ちしか湧かないのだったが、嬉しさを滲ませた笑顔を作るとオムロの街に向けて、馬の歩を進めるのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オムロの街は、四大貴族のノンフォーク公爵領の領都だけあって、クロイツェルの街よりも大きかった。クロイツェルの街も海洋貿易の要所でもある為、国外の人の出入りもある事から、相応の大きさを誇っているが、ここオムロは、近くを流れるセームズ川を使った移動手段の中継地点としての役目や、国軍の軍事拠点の一つという側面もあり、その大きさは実は王都ワシントスに次ぐ大きさを誇る。
人口にしておよそ50万人。王都100万人の人口に比べたら半分ではあるが、クロイツェル領25万人の領民に比べたら、その大きさは倍にものぼる。そして外壁にある正面の門を潜り抜け、大通りを真っ直ぐ進んだ先にある内壁で囲んだ区画が貴族街。更にその最奥にある屋敷がノンフォーク公爵の邸宅となる。軍部はその内壁の外、南西部に位置する区画に纏められており、下士官や兵卒はその近隣の居住区に居を構えている。反対に北西部は商館や倉庫が立ち並ぶ商業地区で、一般市民はそちらの区画に居住区がある。なお川もその商業地区の先にあり、そこが流通拠点ともなっている。
レイは差し当り身なりを整える為に、その商業地区の中にある比較的高級な宿へと移動する。その宿自体はクロイツェルの街の中にある商業ギルドの会頭から紹介された宿であり、綺麗でサービスも良く、何より料理が自慢の店との事である。なので、初めての場所でも迷う事もなく、その宿に入る。
「いらっしゃいませ、『銀竜侯の館』へ。お客様はご宿泊のお客様でしょうか?」
「ええ、クロイツェルの商業ギルドのエンツェルさんより紹介いただいて、お伺いしました。取りあえず2泊でお願いしたいのですが。あっ、これ紹介状です」
レイはそう言って、紹介状を受付の女性に渡す。女性は紹介状を見て少し驚いた表情を見せると、レイに会釈をして裏手にいる上司を呼びに行く。レイは、紹介状の内容は知らないのだが、恐らく子爵嫡男云々が書いてあったのだろう。慌ててその上司と受付の女性が戻ってきて、レイに挨拶をしてくる。
「初めまして、当ホテルの支配人をしておりますカイザックと申します。今回は2泊とお伺いしておりますが、貴族様はどのようなお部屋をご所望でしょうか?」
「あっ、いやそんなに畏まられても困る。他の客と同様に扱って貰って構わない。部屋は一人なので、それに見合う程度の部屋でいい。それと馬を預かってもらいたいんだが、可能だろうか?」
「はい、馬は裏手にお客様用の厩舎をご用意しておりますので、そちらでお預かりする事は可能です。お部屋も角部屋で見晴しの良い部屋が空いておりますので、そちらをご案内させて頂きますが、宜しいでしょうか?」
やはり貴族相手という事で敬われる形での接客をされるが、お忍びというわけではないが、別に広めて欲しい訳でもないので、そういう旨をニュアンスで伝える。支配人もわかっているのか、綺麗な所作でそれに応じ、過度にならない程度の接客で応えてくれる。
「ああ、それで構わない。それと、今日の夕食はこちらで食べたいのだが」
「でしたら、当宿併設のレストランがございますので、そちらでレイ様の御席をご用意させて頂きます」
「うん、助かるよ。それと明日は貴族街に入りたいのだけど、どちらに行けば取り次いで貰えるだろう」
「では当店から貴族街の詰所にご連絡を入れておきましょう。ちなみに貴族街のどなた宛てにお伺いされますか?」
レイはそれを聞いて少しほっとする。いちいち詰所で詳細を説明するのも手間だし、公爵閣下や奥方が不在なら日を改める必要もある。
「ノンフォーク公爵閣下か奥方様、どちらかいらっしゃる方で構わない。公爵家には私の父からの手紙をお渡しするので、ご都合を確認いただけると助かる」
「ご、ご領主様ですか?いや、失礼しました。承知しました。ではそちらのお手紙はお預かりします。今から使いをだし、ご返答をいただくようにしますので、ご返答が来ましたらお伝えします」
支配人は訪問相手がノンフォーク公だとは思っておらず、驚いた表情を見せるが、直ぐ気持ちを立て直し応対したのは流石だった。レイもその事には咎める素振りも見せず、笑顔でお礼をする。
「有難う。手間をかけるがよろしく頼む」
結局その日のうちに公爵家からの返答があり、明日の午後に参上されたしとの連絡をいただけた。ただノンフォーク公はやはり、王都で政務を行っているとの事で不在の為、奥方がご対応されるとの事であったが、それも想定内だったので、レイはそれまでの間を宿の部屋でのんびりと過ごす事にする。
街を見て回るかとも思ったが、長旅の途中であり、明日の訪問で粗相があってもいけないので、出歩くのは控えた形だ。シルフィは少し不満げな感じだったが、旅を続ければ、遊ぶ機会はいくらでもあるので、我慢してもらう事にした。
そして次の日、レイは身なりを旅の装いから、貴族らしい礼服に着替えて宿を出る。又、移動に際し、徒歩も外聞が悪い為、宿の方で馬車を手配してもらい、それに乗り込む。途中詰所で身分を証し、話が通っていたらしくすんなり中に通され、ノンフォーク公爵家邸宅へと辿り着く。馬車はそのまま待機してもらい、執事らしい人物に案内されて、高価そうな調度品が並べられた応接室へと通される。
レイはここまで特段緊張した素振りは見せていない。クロイツェル領では、父に連れられ、国外の要人との会談にも参加させていただいた事も多く、時には名代として対応した事すらある。また歓迎の宴と称して、パーティーの主催側で、婦女子のエスコートをさせられたりと社交の場の経験もあり、中央の社交界では全くの無名であるが、場数は下手な貴族より多いくらいだった。
なので出された紅茶を嗜みつつ、泰然とした表情で待っているところで、応接室の扉が開く音が聞こえる。レイはすかさず立ち上がり、優雅にお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。クロイツェル子爵家嫡子、レイ・クロイツェルにございます。本日は急な訪問に応じていただき、誠に有難うございます」
「あらあら、お若いのに、しっかりされた方だこと。初めまして、セアド・フォン・ノンフォークの妻でカエラ・フォン・ノンフォークでございます。レイ殿、ようこそいらっしゃいました。生憎主人は王都で政務をしており、本日は代わりにお相手させて頂きます」
カエラ・フォン・ノンフォーク。ノンフォーク公爵の妻で、元々はウェリントス公爵家のご令嬢だったろうか。いかにも貴族然とした佇まいの美しい女性で、レイの母レイネシアより少し年上だろうか。珍しい薄藤色の髪をした、優しそうな、それでいて威厳のある美しい方だった。
「有難うございます。父からは、公爵閣下はご不在の可能性がある旨、伺っておりましたので、何の問題もございません。また、私自身も旅の途中で公爵閣下の所領を通るのに、父より軍に関する書状をお渡しする事と併せて、粗相のないようご挨拶をさせて頂くのが目的ですので、こうしてお話出来て光栄です」
レイはそう言って茶目っ気を含む笑顔を見せる。夫人もそんなレイの姿を見て、優しく微笑むと、レイに言葉を返す。
「フフフッ、そういって頂けると嬉しいわね。それにしてもレイ殿は旅の途中との事でしたが?」
「はい、この春から王立学院に通う事になりましたので、王都へ向かう途中となります。正直この年になるまで、国内の他の地域には訪れた事がなかったので、今は物見遊山も兼ねてといったところでして」
「あら、なら私の娘と同学年となるのかしら。私の娘、セリアリスも今年から学院に通うのよ」
実はレイはその事を知っていた。厳密には、父から予め知識として教えられていたのだ。セリアリス・フォン・ノンフォーク。レイと同学年の生徒の中では、一番有名な女子といっても過言ではない。なにせ第一王子の許嫁にして、未来の王妃候補なのだから。まあレイにしてみれば、雲の上の存在だし、家格からいってもそうそう話をするような事はないので、正直余り気にしていなかった。
「はい、存じ上げております。なんでも今年の新入生は高貴なご子息・令嬢が多く入学されるみたいで、その中でも特にセリアリス様は有名な御方ですので」
「でも偶々年代が重なったっていうのもあるのでしょうが、それにしても多すぎるのがね。社交界でもそのあたり、噂が多くて困るのよ」
「まあ、私のような地方の領主嫡男では、ご縁がないでしょうから、遠巻きに眺めるだけが関の山でしょうが」
といって、レイはすまし顔で紅茶を啜る。まあ夫人にしてみれば、火中の真ん中に娘がいるのだ。心配やら、不安やらが多いのは致し方ないのだろう。特に第一王子も同学年との事なので、レイとしてみれば、関わりたくない、遠巻きにも眺めたくないというのが、本音だったりする。
「あら、でも一応は学院内では身分差は不問という規則になっているのよ。まあ平民の子たちは、貴族というだけで委縮しちゃうから、完璧にとはいかないのだけど」
「いやそこは私のような地方領主の嫡男だったとしても、同じですよ。そういうルールがあったとしても、やはり王族や上位貴族の方々には気後れしますので」
レイはそう言って、苦笑を交えつつ否定的な意見を述べる。レイとしては引け目など正直感じていないが、関わりたくないとは思っている。そんなのに絡まれても煩わしいだけなのだ。ただそんなレイの気後れしていない姿を見て、夫人は面白そうな顔をする。
「フフフッ、そういう割には、今この場では余り気後れしている風には見えないのだけれど。中央の社交界に来るような子息、令嬢にはそこまで堂々とした子はいないわよ。そう言えば、レイ殿は従者を連れていないの?」
「はい、身の回りの事は一通りできるよう教えられていますので、学院では寮ですし、従者を身近におけるとも伺っておりますが、必要性は感じませんので」
「ふーん、もしかして旅の間の護衛も?」
「そういう意味では、私も軍人の息子ですので、それなりには戦えますから。幸い加護持ちの家系でもありますので」
一応学院では侍女や近衛の存在を認めている。特に王族や高位貴族の方には、そういった存在が付く事が多いそうだ。レイ自身は夫人にも言ったが、必要性を感じないし、そもそも子爵風情で侍女を侍らすのも外聞が悪いのだ。なので、レイは警戒するでもなく、当たり前のようにそう答えたのだが、夫人は何か別の事を考えているようだ。だからそのセリフが夫人から出た時に、何処で失敗したと悩む事になる。
「ああ、クロイツェル子爵家は、代々加護持ちですものね。レイ殿は何の加護をお持ちなの?」
「私は風の精霊の加護を持っております。風の魔法なら攻防どちらにも使えますので、街道に出る程度の魔物であれば、特段問題なく倒せますよ」
「なら良かった。レイ殿に一つお願いがあるのだけど、聞いてくれるかしら?」
「はい?お願いの内容にもよりますが、私にできる事でしたら……」
そこでこの会談で初めて、レイは当惑した表情を見せる。まあ無理難題とかなら、普通に断る位の胆力はレイにはある為、そこまで警戒はしていないのだが、嫌な予感はするのだ。
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