第一話 とある子爵嫡男の旅立ち
連続投稿。こっちが本編です。むしろこっちがプロローグっぽい。
「坊ちゃま~、旦那様がお呼びですよ~」
レイ・クロイツェルは海岸の先にある灯台の最上部の見晴台で、のんびり海を眺めていた。茶色い髪を風に靡かせ、澄み切った青い瞳を海へと向けていた精悍な顔立ちの少年は、そんな掛け声にスッと目線を向ける。ここはレイにとってお気に入りの場所だが、近くこの地を離れなければならない。だから、しばしの別れという事で立ち寄った場所だった。
そんな多少の感傷をもって海を眺めていたところ、灯台下より声を張り上げた侍女のメリッサから声がかかる。どうやら父上がお呼びらしい。そろそろ王都に旅立つ日も近くなり、何やら用事でも言いつけられるのだろうと思いつつ、下にいるメリッサに返事をする。
「はい、はい、今降りるよっ」
レイはそう言って、その見晴台から身を乗り出すと、おもむろにそのままそこから飛び降りる。灯台はこの海域を照らす為につくられた塔だ。高さおよそ30Mほどはあるだろうか。大抵の人間なら飛び降りたら大怪我をするだろうその高さから、自身の主たるレイが飛び降りてもメリッサは驚く素振りを見せない。
レイはそのまま下へと落下する風圧を感じつつ、友人に声をかける。
『シルフィ』
友人はレイの心の声を聞き、嬉しそうに、遊ぶことをせがむように、レイの声に応える。すると、レイの体を支えるように優しい風がレイを包み、フワァッと地面近くで減速させ、そのまま地面へと着地させる。
『シルフィ、サンキュー』
レイが再び心の中でお礼を言うと、その声に反応するようにシルフィの声が聞こえる。
『遊ボ、遊ボ、レイ、遊ボ』
『ごめん、ごめん、父上から呼ばれてるんだ。また今度遊ぼう』
レイは無邪気に纏わりつく風に苦笑をしながら謝罪をし、呼びに来たメリッサに話しかける。
「メリッサ、父上の用事はどんな事なの?」
「それはレイお坊ちゃまがいらしてから、直接お話しになるそうですよ」
メイド服を着たメリッサは、レイが生まれた時から世話をしてくれている熟年の侍女だ。母上は母上で子供の面倒見の良い人だから、レイにしてみれば二人の母親に育てられたようなものだった。母上は主に礼節やマナー、貴族としての教養を教えてくれて、メリッサは身の回りの事や、生活する上での必要な知識などを事細かに説明してくれる。しかも二人は仲が良く、良い主従関係を築いている。レイはそんな2人の姿を好ましく思っている。
レイはメリッサにそう言われると、笑顔を見せて自分の住む屋敷へと向かう。灯台から屋敷までは歩いて10分もかからない。なのでそのままメリッサを伴って歩いていると、メリッサがぼやくようにレイに話しかける。
「それにしてもレイ坊ちゃまは相変わらず、風の精霊に愛されておりますね」
「ははっ、そりゃそうさ。なんてったって、シルフィは俺の友達だからね」
そう、レイは風の精霊である「シルフィード」と友人関係にある。世間ではそれを精霊の寵愛、精霊の愛し子などとも言うが、どうやらレイは生まれた時から精霊と仲良くなれる性質らしい。元々は、ご先祖様が精霊と仲良くなったのが理由らしいのだが、そのお蔭かクロイツェル家は代々、風と水の精霊の加護を受ける人物が多い。レイはその中でも特に精霊に好かれているらしく、加護以上の恩恵、寵愛を受けている。まあ、当人にしてみれば、ただ仲良くなっているだけの話なのだが、それは非常に貴重な事で、身内以外には誰も知らない事実でもある。
「勿論、風の精霊様とも仲良しなのは知っておりますが、あの高さから飛び降りる事などただの加護持ちではできませんからね。本当に非常識です。とは言え、あんまり世間の目のあるところで、そのお力をお見せになられないようにだけ、お願いしますよ」
「うん、わかってるよ。知らない人にはただの加護持ちだと思われるようにしているからね。まあ、加護持ちってだけでも結構珍しいんだけど。それでも寵愛よりかはましだから。これも我がクロイツェル家の為だしね」
レイは、そんな呆れた声で忠告してくれるメリッサに苦笑いを返しながら肩を竦める。
クロイツェル家はエゼルバイト王国に所属する子爵家の一つだ。エゼルバイト王国の海洋貿易の唯一の拠点として栄える所領を持ち、同じく唯一の海軍を管轄する提督の地位を継承する家系でもある。本来であれば、子爵という爵位には似合わない所領や権限を預けられているが、これも加護持ちの家系という特異性のおかげである。とは言え、過ぎた能力は警戒される。勿論王国に対し叛意がある訳ではないが、無用な警戒を避けたいというのも当然だ。なので、加護以上の恩恵の持ち主であるレイも、歴代の他の当主同様にただの加護持ちであるとされている。もっとも、王国にしてみれば僻地も僻地であるクロイツェル領は関心の低い地域でもあり、レイ自身が力を誇示せずただの子爵で満足する限りは、大きな揉め事など起こりえないともいえるのだが。
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そしてそうこうしているうちに、屋敷へと到着し、レイは父のいる執務室へと足を運ぶ。
「父上、お呼びにより参上いたしました」
レイが部屋に入ると、机の上に積まれた書類に目を通している父の姿が見える。
カイン・クロイツェル。レイの父親であり、現クロイツェル子爵。エゼルバイト王国軍海軍提督でもある。見た目は40を超えても若々しく、レイと同じ茶色い髪を今はオールバックにしている。領内を視察した際に見た同年代の領民と比べても、細くガッチリとした体つきは精悍さと屈強さを感じさせ、どちらかと言うと貴族の領主というよりは軍人の雰囲気を感じさせる。
「ああレイ、すまんが、この書類に目を通してから話をするから、そこに座っていてくれ」
「わかりました」
まだ仕事の途中らしい父の手を煩わせる訳にもいかないので、レイは大人しく執務室の中にあるソファに身を沈める。レイの父は真面目な性格なので、一つ一つの仕事をキチンと終わらせてから次の行動を起こす。今も取り掛かっている書類に真剣な表情で目を通している。手持ちぶさたであったのでレイが父の執務室の様子をぼんやりと眺めていると、父が声を上げる。
「ふぅ、これで良し。今年も港まわりの収支は順調そうだな。他国の情勢も落ち着いているし、春になっても落ち着いた時間が過ごせそうだ」
「やはり、気になるのは人族の他国になりますか?」
レイは、なんとはなしに父の言葉を拾って質問を投げかける。クロイツェル子爵領には国外からの人や物の流れが多い、必然その手の話が多く入る。そういった情報収集は、領主であり海軍提督である父の仕事の一つでもある。
「ああそうだな。異種族で他大陸に関心を示しそうなのは魔族と獣人族くらいだが、どちらもそこまで積極的ではない。亜人族に至ってはそもそも閉鎖的だし、やはり気にするべきは身内なのだろう」
「とはいえ、皇国は陸続きで海上からの進軍はあり得ないでしょう。連邦は同盟国ですし、公国はそもそも侵略を良しとはしない国ですし」
皇国の名はエリアーゼ皇国。開祖エリアーゼ女帝の名をいただく帝国だ。中央集権で全ての土地、人民を皇帝の下に置く、軍国主義の国でもある。歴史では人族国家の中では一番若く、能力を示したものからのし上がっていく実力主義の国家でもある。王国とは長く国家間で紛争が絶えず、両国国境沿いにあるキュストリン辺境伯領では常に緊張が走っているという。
連邦はセルブルグ連邦といい、小国家群が連邦政府により統治されている。技術や文化などに秀でており、古代遺跡による恩恵で高い魔術水準を誇っている。
そして、六神教の総本山のある神聖オロネス公国。教皇以下の神殿勢力に統治された国で、各国にある六神教の神殿とも密接なかかわりがあり、王国だけでなく皇国にすら影響力を持つ。これらが人族の大陸であるバルバド大陸に存在する国々である。
「そうだな。ここクロイツェルに限って言えば、異種族の方が脅威として気にするべきなのだろうが、国という立場で言えば、やはり皇国が最大の脅威だ。連邦も一枚岩ではないし、公国も他国を神敵とみなせばどうなるかは判らんが。っと、そんな事より、王都への出立はいつになるんだ」
まあ確かに今は落ち着いているし、無用に警戒する必要もないので、それ以上は追及せずに父の話にのる。
「失礼しました、変な話をしましたね。えっと、王都への出立は明後日を予定しています。随伴は無しで、馬一つで王都へ向かうつもりです。少しはご先祖様の気分を味わいながら旅をしようかと」
ちなみにクロイツェル家のご先祖様は元々冒険者である。冒険の行き着いた先で精霊の加護を受け、この地に根をはり、クロイツェル家の当主となる。一時期はこの海域の大海賊だった事もあるらしく、祖先は決して貴族然とした坊ちゃま嬢ちゃまだったわけではないらしい。それだからか、今に至るもどちらかというと自由気ままが似合う性分なのだ。
「ふむ、護衛なしか。まあ、レイなら大丈夫か。俺も学院に入るときは一人で旅をした。帰りはレイネシアがいたから馬車での移動だったがな。お前も良い人がいたら連れて帰っても良いぞ。まあ家は子爵家だが、あんまり家格には拘らん。相手が平民でもいいし、精霊の導くままにだな」
「はあ、そうですね。母上のように精霊に愛されるような方がいれば良いのですが。それに一応、学院には嫁を探しに行くのではなく、学業に勤しむ為に行くのですよ、父上。それより、自分に何か用があったのではないのですか?」
レイは話がヘンな方向に行く前に、ここに来た理由に話を戻す。ここで話にのると、父と母の馴れ初めやら惚気話で脱線しかねない。父と母の夫婦仲が良好なのは良い事なのだが、息子としてはそれを語られても困るというものだ。
「ん、ああ、そうだった。レイ、王都に行く途中でノンフォーク公爵領を通るだろう。行きがけに立ち寄って、この書状を公爵閣下に届けてくれないか? 海軍関係の書状がいくつかあるので、それを渡して欲しい」
「ノンフォーク公爵閣下に直接お会いした方がいいのでしょうか?」
「ああ、公爵領にいらっしゃれば直接渡して欲しいが、いらっしゃらなければ家の者に渡しておいてくれればいい。奥方ならいらっしゃるだろう。それと今回は、お前の挨拶も兼ねてだ。失礼のないようにだけ気を付けなさい」
ノンフォーク公爵家はエゼルバイト王国の四大貴族の一つであり、王国軍の国軍大将の地位についている軍閥貴族でもある。ノンフォーク公はいわば軍のトップであり、海軍提督であるレイの父の上司にもあたる。所領もクロイツェル領とは山脈を隔ててではあるが隣接しており、王都までの街道の中継地点でもある。レイの母は宮中貴族の子爵家の娘であり公爵家と姻戚関係がある訳ではないが、上司筋として、また隣接する所領の貴族として、筋は通しておいた方がいいのであろう。
「わかりました。失礼がないように気をつけます。それと、王都に着いたらお爺様の家の方にもご挨拶に行った方がいいですか?」
「ああ、そっちはレイネシアが手紙をしたためているみたいだから、レイネシアに聞いてくれ。ドンウォーク殿にお会いするのも5歳の時以来だから、きっとお喜びになるだろう」
「ははっ、そうですね。一度、クロイツェルに遊びにいらして以来ですから。まあ王都からでは遠いですから、致し方ないとは思いますが」
「フフフッ、そうだな。俺やレイネシアはそれでも何度かご挨拶に行ってるが、子供達は来ていただいた時くらいしか会えないからな」
長男であるレイは、それでも物心ついた5歳という年齢で会っているからいいものの、妹のリーシャはまだ物心もつかず、末の弟のケビンに至っては生まれていなかったりする。ちなみにリーシャは今年16歳になるレイより3つ下の13歳、ケビンは7つ下の9歳である。
なので、お爺様であるドンウォーク前子爵がこの所領に遊びに来たときには、まだケビンはいなかった。既に引退されているとはいえ高齢でもあり、山脈超えの旅は厳しいだろう。まあ、学院に通っている間にリーシャやケビンを王都に呼べる事があればお引き合わせすればいいか、などと考える。
「まあ、自分の在学中に王都で何か慶事があれば、リーシャやケビンを王都に遊びに寄越してもいいですけどね」
「ここと王都で往復2ヶ月近くかかるから、リーシャが学院に通うようになるまでは難しいかもしれんが、まあドンウォーク殿にはよろしく言っておいてくれ」
「はい、わかりました」
レイはそう言うと、久方振りにお会いできる祖父へと思いを馳せるのだった。
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そしていよいよ王都への出発の当日。父には朝、朝食時に挨拶を済ませたが、他の家族はわざわざ見送りに出てくれる。
「お兄様、戻ってきたら学院のお話、たくさん聞かせてくださいね」
「ううっ、兄上、早く帰ってきてくださいね」
妹のリーシャは笑顔だが、弟のケビンは寂しくなったのか少し愚図る様な仕草を見せる。リーシャは母親と同じ金色の髪に青い瞳の勝気で可愛らしい少女。ケビンは父親やレイと同様の茶色い髪で、瞳の色は父親と同じ黒。まだまだ少年のあどけなさを含んだちょっと気弱な印象の少年。そして母レイネシアは金色の髪に青い瞳の綺麗な女性だった。その昔、王都の宮中貴族界隈では多くの子息に求婚されていたほどの美貌を持つ。年を取り子供を3人も生んでいるとはいえ、その美しさは健在だ。時の王族の中でも、側室になどと言われていたとかいないとか。まあそんな母親のモテ事情はどうでもいい。
そしてレイの母は、愚図るケビンに苦笑しながらその頭を撫でる。
「ほらほら、ケビン。レイの門出なんだから、メソメソしないの。それに王都に行ったら暫くは帰ってこれないんだから、覚悟なさい。レイ、王都に着いたら手紙を寄越しなさい。リーシャもケビンも、もちろん私やメリッサだって楽しみにしているんだから。それと、お父様にもよろしくね」
「はい、任せてください。ケビン、俺が王都に行っている間は、お前がリーシャや母上やメリッサを守らなければいけないんだからな。任せたぞ」
レイはそう言って、ケビンの前に右手で拳を作って差し出す。ケビンも涙をゴシゴシと手で拭って、レイの拳に自分の拳を打ちつける。
「う、うん、僕が母上や姉上を守るよ、頑張るっ」
「ほんと~、ケビン、貴方にお兄様の代わりが務まる~?」
「う~、やるもんっ、大丈夫だもん」
やっとの思いで決意したケビンをリーシャが軽い口調でからかうが、ケビンの決意は揺るがないらしい。レイはそんな弟を微笑ましく思いながら、軽くリーシャを小突く。
「リーシャも、少しは淑女らしくお淑やかにな。王都で学院に行っても、そんなんじゃいいお相手は見つからないぞ」
「あら、お兄様。私はこう見えて外面は良いのよ。国外の貴族や名門商家のご子息にも良く声をかけて頂けますから。フフフッ、それよりもお兄様の方こそ、頑張って下さいね。お母様みたいな方を捕まえないといけないですから」
「はぁ、お前といい、父上といい、俺は学院で勉学に勤しむ為に行くんだ。嫁探しは二の次だよ」
レイはそう言って軽くリーシャを睨むと、母親がそんなレイをからかってくる。
「あら、同年代の男女が集まるような機会は中々ないのよ。旦那様と私の息子であるレイなら女子の方から寄ってくるだろうから、精霊様の導きに従うのが良いと思うわ。旦那様と私も精霊様のお導きですもの。ハズレは無いわよ」
「うっ、母上まで。まあ、それは兎も角、王都に出発します。着いたら便りを出しますので、暫しのお別れです」
「はい、行ってらっしゃい。体には気を付けるのよ」
「お兄様、行ってらっしゃい」
「兄上、行ってらっしゃい。あとの事は僕が頑張るよっ」
そう言って家族が口々に別れの挨拶を交わしてくれる。レイはそれを笑顔で受けた後、馬にまたがり、馬上で全員に挨拶をする。
「みんな、行ってきますっ、お元気でっ」
こうしてレイは、これまで15年間暮らしてきたクロイツェルの屋敷に別れを告げる。思えばここがすべての始まりである。ただの子爵家嫡男であり、まだ特別な存在とは言えない、ただの少年の旅立ちである。もし旅立たなかったら、そのままの存在でいられたのかも知れないが、旅立ってしまった以上、後の祭り。そう、これから物語は大きく動きだす。
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