第百三十一話 綻び
大変ご無沙汰しております。
色々忙しすぎました。それでも何とか戻ってこれました。今後、不定期にはなりますが、ちょこちょこ更新をしていきたいとは思っています。
レイは相手の猛攻を躱しながらも、どう決着させようか考えていた。既に相手の手の内は見切っていた。魔法も攻撃速度も想定を超えるものは無い。ただ恐らく意識を刈り取る迄はしないと動きを止める事も無いと感じていた。
『さて、どうやって意識を刈り取るかだけど……』
遠距離からの攻撃では駄目だろう。下手したら殺してしまいかねない。ならばとレイは覚悟を決める。
『ならばこちらから打って出るっ』
レイは剣に風を纏わせ、横に大きく剣を振り、相手を弾き飛ばすように後方へ下がらせる。そして相手の体勢が立ち直る前に、一気に距離を詰める。相手に焦りや動揺は感じない。ただ虚にレイを見ている。レイはそれに不気味さを感じつつも攻勢をかける。
一合、二合と相手は辛うじて剣を交わすが、崩れた体勢を戻すことも出来ず、ジリ貧だ。そして漸く致命的な一打を加えられるタイミングで相手が予想外の行動に出る。自らの足元から真っ赤な炎を立ち昇らせたのだ。
『自爆っ』
レイは驚愕して慌てて後方へと飛び退く。みると騎士は自らの体を焼きつつも再び体勢を整え、炎を収束させる。ただ騎士の甲冑からは、白い煙が立ち昇り、炎で焼けた部分は煤けている。そして火傷に顔を歪めることもなく、虚ろな瞳を此方へ向ける。もはやここまでくると穏便な決着は難しいのではとレイは腹をくくる。するとレイの視界によく知る大切な友人の姿が目に入る。
『はっ?セリー?なんでセリーがここに?』
レイが一瞬視線を送るとセリアリスはニコッと笑う。ああ、あれは怒ってる、レイは内心で冷や汗をかく。目の前の敵に対し緊張も、ましてや冷や汗など流す事もなかったレイであるが、セリアリスのあの凍てつくような笑顔に思わず顔を引き攣らせる。とはいえ今は戦闘中。最早これ以上長引かせる訳にもいかない。レイは今度こそ意識を刈り取るべく、意識を再び騎士へと向けた所で、違和感を感じる。
「まさかっ」
レイは思わず叫び声を上げる。目の前の騎士は攻撃対象をレイから変えて、セリアリスへと一直線に火炎魔法を繰り出す。レイは完全に意表を突かれ、一歩踏み出すのが遅れ、火炎魔法がセリアリスへと襲いかかる。
「セリーッ」
レイは慌てて水の魔法を展開しようとするが、間に合わない。ただ火炎魔法がセリアリスを飲み込もうとした瞬間に竜巻がセリアリスの周りに吹き荒れる。
『ナイスッ、シルフィッ』
暴風によって火炎は巻き上げられ、周囲に火炎の煙と砂塵によって白いモヤがかかる。するとそのモヤの向こうから雷の青白い閃光が響き渡る。
バリッ、バリバリバリッ
閃光は煙を蹴散らすように真っ直ぐに騎士に向かって放たれる。
「グワアアァァァ」
セリアリスによって放たれた雷魔法が騎士の体に着弾し、騎士は絶叫と共にその場で倒れる。魔法を放ったセリアリスはと言うといい迷惑と言わんばかりに不満気に鼻を鳴らして倒れた相手を睨み付けている。レイはその雷魔法が自分に向けられたものではない事に軽く安堵しつつ、慌ててセリアリスの元へと駆け寄る。
「セッセリー、大丈夫っ!?」
「勿論、風の精霊様が守ってくれるもの。むしろこの指輪があるのに、レイの方こそ慌てすぎよ」
確かにその姿を見ると怪我一つせずに堂々とした姿のセリアリスがいた。まあセリアリスの言う通りで、勿論、指輪を通して精霊の力を呼び出したのも間違いないし、シルフィの手助け有りであれば、心配の必要がないのも理解はできるのだが、それと心配をしないと言うのは、また別問題だ。
「それでも心配するのは当たり前だろ?セリーは大切な人なんだから」
「う、むう……、レイその言い方はずるいわ、そう言われたら文句が言い辛くなるじゃ無い」
セリアリスは少し頬を赤らめ、はにかむ様にレイを睨む。レイの大切な人の中に自分がいる事が嬉しい。しかもさも当然に、当たり前の事の様に言うのがずるい。しかしレイは何故セリアリスに睨まれるのかが判らず不思議そうに首を捻る。するとそこに威厳のある声が響く。
「残念ながら、明らかな反則行為でした。よって私の婚約者候補は、レイ・クロイツェル、貴方にします」
その声は女王であるナターシャ・ド・フェリックスの発した言葉であり、その言葉によってレイの優勝が確定したのであった。
◇
ナターシャは暗い闇の中で揺らぎを感じる。
これは自我さえも溶けて無くなりそうな闇の中でナターシャが感じられる唯一の希望の光である。揺らぎはナターシャを飲み込んだ闇が見せる感情。これまでも何度か訪れたナターシャ自身が表に出れる予兆だった。
ただそのうねりはこれまで以上に激しいものになる。いつもならば穏やかなうねりに意識を任せて気が付くと表の世界に出ていた。誰にも気が付かれないそれでもこの闇よりはマシな世界に。そして自分を見つけられるレイがいる世界に。だが、今のうねりはいつもと違う。抗わないと飲み込まれてしまう様な激しいうねりに変わりつつある。
『何が起きてるの?』
ナターシャを飲み込んだ闇が大きく揺らぐ出来事が起きている。何が起きているかは全く分からない。でも何か感情が揺れ動く様な事が起きている。それが好機なのか、破滅への一歩なのかは判らない。ただピンチでもチャンスでもどちらにせよ、何かが起きる。ならばその時まで抗って見せる。ナターシャはそう強く意識しながら、揺らぎの奔流に抗い続けるのであった。
◇
「ですからお断りします。残念ながら、態々セリアリス嬢が迎えに来てくれましたので」
レイは決然と女王に対して断りを入れる。そして彼の隣にいる少女に優しく笑みを浮かべる。するとセリアリスもそれに同調する様に笑顔を見せて言う。
「彼はエゼルバイト王国を代表して魔法学園へ交換留学生としてきています。いつまでもその務めを放棄させるわけにはいきません。例えそれが女王陛下の求婚だったとしても、まずは務めが優先ですので」
セリアリスもまた公の立場を説明しながらも、当然の様にレイに寄り添いながら、笑みを返す。
気に食わない。それが女王であるナターシャの一番の感想だ。そもそも女王に対し臆する事のないこの娘がいる事が気に食わない。レイ・クロイツェルが女王たるナターシャに関心を示さないのも気に食わない。何よりも二人の関係が信頼により結ばれているのが、気に食わない。
彼女を前にして恭順と敵意この二つをどちらも持たない人間は珍しい。そして目の前の二人はどうかというと、その両方を持ち得ない。対等に相手を見据え、対等に接する。対岸の火事かの如く眺め、そして踏み込もうとしてこない。
「ふむ、レイ・クロイツェル、其方は私に興味が無いというのだな?」
「はい、元々今回の催しに参加したのは、女王陛下のお顔を立てての事。参加自体で義理は果たしましたし、それにそもそも受け入れるつもりはありませんでしたから」
レイはそう言って肩を竦める。そもそも子爵家嫡男程度に王家は釣り合わない。ましてや、彼女の望みは嫁になる事ではなく、婿を取る事だ。レイと交わるはずがない。
「この私を袖にすると……、そしてその女と共に行くというのだな」
女王ナターシャは厳しい目付きでセリアリスを睨みつける。大抵のものであれば震え上がるその視線にも微塵も焦る素振りすら見せないセリアリス。どちらが後出しかを言えば完全に女王が後出しである。臆する理由がない。
「袖にすると言うと語弊がありますが、彼女と共に学園に行くと言うのであれば、その通りです。そもそもそれが目的で連邦へとやって参りましたので。ですので、この催しに参加する際にお話しした通り、この後は学園に向かいます」
レイもまた臆する事がない。事前に伝えた通りであり、その事は女王も承知済みの認識だった。ただ何故かセリアリスが来てから、雰囲気が一変した。彼女はセリアリスに対し敵意を隠さず、鋭い視線を送り続けている。
『これを如何考えるべきか、セリアリスへの敵意は何が理由だろう?羨望?……は違うか。独占欲、の方が近い……、ああ……嫉妬?』
レイは女王ナターシャとの会話を交わしながら、セリアリスに対する女王の感情を慮る。最初は大国の高位貴族への羨望かと思ったが、むしろ大国の貴族令嬢としての矜恃を失わないセリアリスに苛立ちを持っている感がある。レイに対する独占欲も近い感情を持ち得ているが、それが答えという訳でも無さそうだ。一番しっくりくるのは嫉妬。女王に対し折れないセリアリスが悠然と現れ、レイを連れ去っていくのだ。レイの親愛と信頼をその身に受けての話である。セリアリスはそんなナターシャの感情に気が付いているのか、ナターシャを煽りにいく。
「女王陛下には申し訳ないのですが、お話しとしては、最初からレイはその気が無かった様子。私も迎えに行けば、レイが一緒に来てくれると思っておりました。彼が私との約束を違える事が無いとわかっていましたので」
「貴様、私をコケにする気かっ!」
するとセリアリスは余裕を持って首を横に振り、真っ直ぐにナターシャを見据える。
「いえ、私は事実を申し上げただけに過ぎません。彼は私の大切な友人です。彼は私の信頼を裏切る筈が無いと理解しているだけです。その彼が私と約束している以上、例え相手が女王であろうと、揺らぐ事はありません」
「あり得ん、あり得んぞっ、男など勝手な生き物だっ、矮小で、狡猾で、そして卑怯だっ。平気で人を裏切り、女を道具としか見ていない。そんな奴らは我が元にひれ伏せさすのだっ」
何故かセリアリスの言葉に激昂する女王ナターシャ。何が彼女の感情を逆撫でしたのか、セリアリスには理解できない。ただレイはそれを良い兆候と捉える。これは一つの綻びだ。彼女の中に眠るもう一人のナターシャを呼び起こす数少ないチャンスである。出来るならばセリアリスと情報を共有しておきたかった所だが、そうチャンスがあるとも思えない。ならばとレイはセリアリスを抱き寄せる。
「女王陛下が何にお怒りになられているのかは分かりませんが、彼女は私の大切な人です。彼女が私を信じている限り、私は彼女の信頼に応えるまでですよ。例えそれが女王の伴侶であれ、世界を半分頂けるという対価であったとしても、気持ちは変わりません。女王陛下はそういうお相手がいらっしゃらないのですか?」
レイがセリアリスを抱き寄せたのには二つの意味がある。一つはこれから何が起こるか分からない以上、彼女を守る為の備え。そしてもう一つは分かり易い挑発である。そして激昂しているナターシャは、何故か挑発するレイではなく、抱き寄せられたセリアリスを睨みつける。
「この泥棒猫がっ、我が婚約者候補を籠絡するかっ、アレも妾を疎んじた。妻神だなんだと言いながら、裏で他の神とも契りを交わし、神のみならず人の子とも契りを交わす。妾というものがありながら、妾とは交わろうともせず、他所にばかり目を向ける。憎い、妾に目を向けぬものも、妾から目を背けさせたものも全てが憎いっ」
それは本来女王ナターシャでは紡ぎ出されない言葉だった。明らかに異様。そしてその異様さは、彼女の形相にも現れる。嫉妬に荒れくるう形相。そしてそれは遂にナターシャから溢れ出し、別の形を作り出す。ナターシャは糸が切れた人形の様に崩れ落ち、レイはそこでこの場をジッと見ていた近衛騎士に叫ぶ。
「セドリックッ、女王を連れて離れろっ」
近衛として近くに控えていたセドリックはその声に素早く反応し、女王を抱き抱えると、その場から一気に走り出す。そして彼が通り過ぎたのと同時に、ナターシャから漏れ出たものが、形となるのだった。




